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領主様と次期当主1

 ノキシスはオーティスが苦手だ。

 どのくらい苦手かと問われれば、『見なかったことにして、逃げ出したいくらい』苦手だった。


 案内役の使用人の後ろを歩きながら、ノキシスが深呼吸する。

 通された先は重厚な木目の扉で、彼はますます表情をげんなりさせていた。

 サミュエルがノキシスへ顔を近づけ、そっと耳打ちする。


「ノキ、何かあれば、大きな声を出してください」

「わたし、女子どもと違うある……」


 しおしおと肩を落としたノキシスが、扉の向こうへ消えた使用人に逃げたい顔をする。

 主人の了解を得た彼が戻ってきたとき、ノキシスの戦いが幕を開ける。


 腹痛を抱えていそうな顔で待機していた彼の元へ、比較的速やかに使用人が戻ってきた。

 ノキシスが表情をうさんくさいものへ作りかえる。


「お待たせいたしました」


 やはり能面のような顔で、使用人が扉を開ける。

 サミュエルから手土産を受け取り、いざオーティスの部屋へ。

 ノキシスの単騎戦が始まった。


「これはこれはオーティス様! つまらねーものあるが、お土産持ってきたよ!」

「その喋り方をやめろ」


 開口一番、相手の癪に障った。


 一人掛けのソファに脚を組んで座った男性が、冷淡な目で頬杖をついている。

 濃い灰色の髪は、陰影によって暗くも明るくも見える。

 意思の強い目つきは鋭く、眉間には長年に渡って刻み続けられた渓谷が生まれていた。


 彼こそが本家跡取りの最有力候補と謳われる、オーティス・ゲルトシュランク。

 低い声と眼光に晒され、内心苦く笑ったノキシスが、笑みの質を変えた。


「……お気に召さなかったかな?」

「俺の前でふざけた真似をするなと、再三伝えたはずだが」

「失礼。物覚えが悪くてね」

「優等生が何をほざく」


 座れ。高圧的な命令に従い、ノキシスが向かいのソファに腰を下ろす。

 すかさずテーブルに置かれたティーセットに、彼は胸中でため息をついた。

 ――これは、すぐには帰られそうにないな。

 諦めにも似た予測に、彼の肩は自然と落ちた。


 部屋の主が使用人を下がらせ、室内にはオーティスとノキシスのふたりのみが残される。

 人口密度は圧倒的に減少したはずだというのに、重苦しい密度が増しているようにノキシスは思えた。

 彼の帰りたい指数が跳ね上がる。

 意に介さず、オーティスの不機嫌そうな声が響いた。


「……俺はふざけた真似はやめろと言ったはずだ」


 腰を浮かせたオーティスが腕を伸ばし、ノキシスの顔から眼鏡を奪い取る。

 ぎょっと身を竦めたノキシスが、困惑に眉尻を下げた。


 ノキシスの視力は、壊滅的に悪い。


 眼鏡という文明の利器を失い、彼の視界は鮮明さをなくしたぼけぼけとしたものへと変わった。

 心許なそうに、うろうろと視線をさ迷わせる。


「オーティス、眼鏡はやめてくれ。それがないと、テーブルのカップすら見えないんだ」


 狼狽した声だった。

 めきょり、オーティスの手の中で眼鏡がひしゃげる。

 奇妙な音に、ノキシスが不思議そうに瞬いた。

 よもや自分の眼鏡が無残な姿になってしまったなどと知る由もなく、彼はきょとんとオーティスっぽい影を見上げている。


 ――あああああッ!! これが上目遣いいいいいいい!!!!


 先ほどまでの厳格な顔をどこへやら、頬を真っ赤にさせたオーティスが荒ぶる心情のまま悶える。

 彼は9歳の運命の日から、ひたすら一途にノキシスへ恋心を募らせていた。


 あの日、少年オーティスは、『ノキ』と名のつく少女を調べに調べた。

 しかし見つかった名前は、『ノキシス・グレーゴル』という少年ただひとり。

 大人に尋ねるも、皆口を揃えて「ノキシスは男」だと言う。

 理解に苦しんだオーティスは、ノキシスの裏に隠された真実を悟った。


 ――きっと彼女は、男のふりをしているのだろう!

 グレーゴル家には、ノキシス以外に後継がいない。

 あんなにも愛らしく繊細な彼女は、無理矢理性別を隠され、男として育てられてきたに違いない!


 少年オーティスは真実に愕然とし、その胸に秘めたる思いを宿した。

 ――いつか彼女ノキシスを、無情な運命から救い出す!


 現実のノキシスは紛うことない男であり、オーティスのそれは妄想である。誤解であり、曲解だ。

 しかし、拗らせた恋心は留まることを知らず、素直になれない彼はノキシスへちょっかいをかけ続けた。


 滑らかな白い髪に触れたいと思い、けれども照れが勝って強く引っ張った。

 興味を引きたくて、わざとノキシスの使っているものを取り上げた。

 メイドの背に隠れる様子に苛立ち、ノキシスの摘んだ花を奪って踏みつけた。

 年の差は体格にも現れ、ちょっと力を込めて突き飛ばせば、ノキシスは容易く転んだ。

 自分が偉いことを示したくて、高圧的な態度で接した。


 ノキシスを前にすると、どうしても素直になれない。

 こうして遠路遥々呼び出すも、照れを隠そうとついぶっきら棒に接してしまう。


 ……これでは駄目だ。


 わかっているというのに、思う通りに行動することができない。

 オーティスは長年悩み続けていた。


 ――フレーゲルがノキシスへ過剰に当たることも、妹の本能的な敵意が原因だろう。

 何せノキシスはこの美貌だ。

 何と憐れな妖精! 家の取り決めのため、これまで本心を押さえ込んできたのか!

 だが、俺だけはお前の真の姿を知っている!

 俺の前だけでは、お前本来の姿を見せてくれ!


 恋は盲目とは言ったものだ。見え方を歪める。

 ノキシスの外見は整っているが、特別女顔というわけでもない。

 当然骨格も身体つきも成人男性のそれであり、胸のふくらみもなければ、柔らかな肉体もない。

 ただ平均より背が低く、痩せ型なだけだ。


 29歳ノキシスが、困惑のまま瞬きする。

 長い白睫毛が上下する様は、オーティスにとっては天使のはばたきにも匹敵するものだった。


「……オーティス? 眼鏡を……」

「ふ、ふん! こんなもの、必要ない!」


 お前の顔が見えなくなるからな!!

 オーティスがひしゃげた眼鏡を胸ポケットへ突っ込む。

 彼のノキシスから奪い取ったコレクションが、またひとつ増えた瞬間だった。


 一方、ノキシスはひっそりとため息をついていた。

 帰り道はサミュエルに連れて行ってもらおう……。彼が眼鏡を諦める。

 それより、この苦痛な空間から早く出ることが先決だ。

 ノキシスは、オーティスからの熱視線に気づいていない。

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