第1章 旅の途中で
海と山に囲まれたその街は、相変わらずと言っていいほど、人の影もなく、静かなものだった。
やはりここも、打ち捨てられた建物が多く、人がいないためか、街に迷い込んだ鹿と言った野生動物をよく見かける。
旅の途中で立ち寄った、海岸線沿いにある小さなリゾート地。
そこでは、古びた背の高いホテルなんかの、宿初施設が並列するように建っている。
オーシャンビュー。
この街に来る途中に掛かっていた案内版には、美しく青い海を背景に、こんな文字が入っていた。それに、熱海と言う地名も。
戦前なら、ここには多くの海水浴客が、真夏のシーズンになると、押し寄せたに違いない。
しかし、今となってはもう、遠い過去のことだ。
真横に広がる、黒く濁った放射能だらけの海に、好き好んで入ろうとする人間など、なかなかいないだろう。
土砂の汚染は、この100年間の間、随分と収まったものの、この島国を取り囲む海の汚さだけは、変わらなかった。
ここの砂浜も、近づけば死んだ魚が打ち上げられており、異様な臭気を発している。
そんな熱海の海岸にあるパーキングエリアに入ったアサヒは、エンジンを切って徐に鞄に入っていた地図を、近くの廃車のボンネットの上に広げて「うーん……」と腕を組んで悩み声を上げる。
「おにぃ、どうしたの?また迷ったの?」
何気なく聞いてきたミソラに対して、アサヒは「いや……」と前置きする。
「こっちの方角で合っているはずなんだけど、もしかしたら、さっきの道を反対方向だったかもしれない」
頭を抱えるアサヒだったが、依然として状況は変わらない。
「おにぃ、そんなことより、私、お腹すいたー!」
「はぁ?さっき飯、食べただろ?」
「えぇー、レーション1つじゃ、物足りないよー。おーなかすいたー、おーなかすいたー、おーなかすいたったー」
「なんだよ、その歌は……?」
「ふふん、前に博士に教えてもらったんだよ。なんでもね、お腹がすいた時に歌う、御呪いの歌なんだって」
また「おーなかすいたー、おーなかすいたー、おーなかすいたったー」と連呼するミソラに対してアサヒは苦笑いする。
「あーもう、うるさいなー……。そんなにお腹すいたなら、そこらへんに転がってる魚でも食べていろよ?」
「え、嫌だよー。みんな腐ってるじゃん。レディにそんなこと言うなんて、おにぃ、デリカシーないね。女の子にモテないよ?」
「はいはい、俺が悪ううございました……」
「ふふん。分かればいいのですよ」
ミソラはそう言いながら、両手をアサヒに差し出してきた。それは、追加の食べ物の要求だとすぐに分かった。
「くそ……、お前、最近口が達者になったな……。それもこれも、博士の影響か?」
「そうだよ。やっぱりあの人、皆に博士って呼ばれているだけのことはあるね。私の知らないこと、たくさん知ってるんだもん」
ミソラは小さな笑みを浮かべながらそう言うと、アサヒからもらったレーションの袋を破ってもぐもぐと口にする。
そんなミソラに、嘆息したアサヒは小言をつぶやきながら、もう一度広げた地図に目を落とした。
現在、アサヒ達がいるのは、この海が見える街。熱海と言う場所だった。
そして、目的地はここより西にある、東日本第3都市、『浜松』である。
「うーん……」
広げた地図を裏返しにしても、横から眺めても、目的地にどうやって辿り着けばいいのやら、全く見当はつかない。
それもそのはずだ。博士にもらった地図は、主に市場で売られている繊細に書かれている地図とは違い、子供にでも書かせたような簡易的なものなのだった。見る人によっては落書きとも言えるかもしれない。
しかも、今気が付いたことなのだが、その落書きのような地図の斜め下の目立たない所に、小さく博士の直筆まで書かれている。
それを見つけたアサヒは、さらに呆れ顔した。
「あの野郎、俺達に本気で仕事頼む気あんのか……?。
アサヒが小さく文句を言った、そんな時だ。
「おにぃ、ねぇ、おにぃってば!」
少し遠くから、ミソラが自分を呼ぶ声が聞こえる。
その声に気が付いたアサヒは、声のした方をを向くと、いつの間にかレーションを食べ終えたミソラが、パーキングエリアを抜けて道路に出ていた。
「おにぃは、ここで待っていてね!私、ちょっと行ってくる―!」
「はぁ?行って来るってどこに?」
「猫だよ、猫!さっきね、この建物の中に、猫が入っていくのが見えたの!たぶん迷子になってると思うから、私、探しに行ってくるね!」
それはまるで好奇心の塊のように、うきうきと笑みを浮かべながら、ミソラは猫が入り込んだと言う建物。恐らく元はホテルの中にかけて行ってしまった。
「はぁ……。待ってろって言われてもな……」
――こんな所で、誰かに襲われたら危険だし……。
アサヒはそう思いながら、荷物を早々に片づけて、しぶしぶとミソラの後を追うことにした。