寄せ合う気持ち
「優、そろそろ離れよっか」
「うん、ごめんね」
「謝んなくていいって」
さっきから何度も聞いた「ごめんね」を聞き流しながら抱きしめあうのをやめる。涙声にさえなっていないが優の目は赤くなっていて、抱きしめていて見えなかったが泣いていたようだ。
「それより京に謝んないと」
「ああ!忘れてた!」
本当に忘れていたのだろう、飛び跳ねるように立ち上がりドアをぶち破っていくのではないかというくらいので勢いで部屋から出ていく。さっきまでの様子が嘘みたいで安心したのと、逆にちょっと心配になる。あまりにも変わりすぎてしまって優が別人の様だった。精神的に不安定になる面は何度か見たことがあるが、死のうとしたりはしたことがない。なんなら高校生になってからはそんな姿一度も見たことが無かった・・・あまり考えても仕方ない、とりあえず今は京の様子を見に行かないと。滅多なことは無いだろうが心配だ。自分も部屋から出てキッチンの方に向かうと、京が椅子に座って優が床に正座させられていた。
「手大丈夫なのか?」
「所詮カッターナイフだ、ほらどうってことない」
そう言って絆創膏をした所を見せてくれるが、真っ赤に染まっていて全然大丈夫じゃない。
「包帯取ってくるから、あと消毒液と」
「ええー、大丈夫だって、気合で治るから」
「治るわけねえだろ」
キッチンから出てリビングの方に向かう。戸棚を開けて包帯と消毒液にガーゼを取り出してキッチンに向かうと、今度は優の姿勢が土下座に変わっていた。
「おかえり、ほんとに取って来たのかよ」
「当たり前だろ、ほら手を出せ」
京の隣の椅子に座って、優を背に向ける形でこっちを向かせる。絆創膏を剥がすと結構深く切れていて見ているこっちが痛くなる。消毒液をガーゼに付けて傷口に付ける。
「くあー、染みる」
「こら、手を動かそうとするな」
痛みを誤魔化そうとしてい体をくねらせている。ちらっと京の後ろの優を見ると、目が合いあたふたしながらすぐに土下座に戻る。血で濡れたガーゼを捨ててもう一枚に沿う毒液を付けて傷口に張り付けて包帯を巻く。
「孝一こういう事できるんだな」
「まあな」
昔は優がよく転んだりして手当てしたのでこういう事には慣れている。
「サンキュー、いや思ったより深かったんだな」
「ほんとに、見てるこっちが痛いわ」
「もっと見せてやろうか?」
「もう包帯巻いてるだろ、って剥がそうとすんな!」
慌てて剥がそうとする左手を止める。ちょっと睨まれるがそんな事は無視して、
「ところで、優はさっきから何やってんの?」
「謝りたいっていうから土下座させてるんだ」
「言葉ではなく?」
「言葉より形だろ」
多分その言葉の意味は間違っている。優は顔を上げることなく土下座の姿勢のままだ。
「これいつ終わるの?」
「優が気が済んだら終わって良いって最初に言った」
それって京がこの家にいる間は終わらないんじゃないだろうか。京はそんなこと考えていないのか机の上を指さす。
「それよりそのサンドウィッチ食べていい?」
「ああ、いくらでも食べてくれ」
時計を見ると3時を回っていて昼飯というよりおやつの時間だ。
「じゃあ頂きます」
一切の遠慮もなく手にした卵サンドを食べ始める。美味しいのか、昼飯を食べていないで来たのかみるみるうちに皿の上のサンドイッチが消えていく。今さっきあんな事があったのに気にした様子さえ見せない京のこういうところは見習いたい。
「孝一も食べるか?」
「いや、俺は良いわ」
さっきの事で胸いっぱいすぎて空腹感なんて皆無だ。
「こんなに美味しいのに」
その時「ぐー」とお腹が鳴った音がして、一瞬自分かと思ったが優が顔を上げていて犯人が誰かすぐに分かった。
「食べたい?」
「・・・はい」
「じゃあ・・・思いつかないから孝一が考えて」
「なんで俺なんだよ」
「今ならなんでも言う事聞いてくれるぞ」
なんでもって言うけど本当に何をさせればいいんだ。土下座した優はまだ顔を地面につけて待っている姿を見ていると、だんだん痛々しくなってきた。
「じゃあ、京と優が仲直りする」
「なんだよそれ、喧嘩なんてしてないだろ」
嫌そうというか、なんでそんな事なんだと顔だけでわかる表情をしている。
「俺が決めたんだから文句言うなよ」
喧嘩なら謝れば済むが、今回は何一つ京に悪い所がなかったし優がずっと負い目を感じるだろう、だから今のうちに元通りにの2人の関係に戻っておいて欲しい。
「わかったよ、ほら優、土下座やめて」
「うん」
土下座をやめて立ち上がり、京も同じように椅子から立ちあがる。京は優が話し始めるまで何も言うつもりはないのか黙っている。優もそれは分かっているのかすぐに口を開く。
「京ちゃんごめんなさい」
90度くらいに腰を曲げて謝る。その優の頭を撫でる。
「顔上げな」
「うん」
ゆっくりと顔を上げると、京が優を抱きしめる。
「もうあんな事しちゃだめだよ」
「ごめんなさい」
「みんな悲しむって分かるでしょ」
「うん、ごめんなさい」
「じゃあ仲直り終わり!」
そう言って抱きしめていた優を離し、また頭を撫でる。
「ほんじゃそろそろ帰るわ」
サンドイッチとケーキを食べながら1時間ほどいろんな事を話していた。つい先程まで起きていた優は疲れたのか、机の上にうつ伏せになって眠ってしまっている。
「もう帰るのか?」
「部活あるしな」
そう言って玄関の方に歩いていくので自分も見送りについていく。
「学校って昼までだったのか?」
座って靴を履いている京の背中に話しかける。
「いや、昼から仮病で早退したんだ。だから鞄だけ部室に置いてきた」
下を向いてくぐもった声が聞こえてくる。仮病で早退して部活だけしに帰るなんてやる事が相変わらず大胆だ。
「部活終わってから来てくれればよかったのに」
「早く2人の様子を見ておきたかったの、もしかしたら優が壊れちゃってるかもって心配してきたんだから」
「壊れるって大袈裟な」
靴を履き終わったのか京は立ち上がりこっちを向く。
「大袈裟なんかじゃないよ。孝一は優の事全部分かってるつもりかもしれないけど、あの子は見せてない一面や、言ってない事いっぱいあるよ」
「見せてない?」
「そう、好きな人に見せない一面、好きな人だから見せらないのかもしれないけど」
京が何を伝えたいのかいまいち理解できない。だがこの数日で優の見たことのない所を何度か目にしている。
「優は愛情を欲してるんだよ。友達じゃなくて恋人や家族が与えてくれるものにね、それは私じゃあげれない。女だし」
ちょっと茶化した感じで言ってくる。
「まあそれはそうだろうな」
「私が女の子が好きだったらなあ」
「京はかっこいいから女の子にでもモテそうだしな」
実際に身長が高くて、キリっとした顔をしていて男目で見てもかっこいい。しかも内面までイケメンである。
「私は男にモテたいんだけどな」
ニッと笑って扉を開けるので自分もスリッパを履いて外に出ると、京が立ち止まってこっちを向いていた。
「孝一」
「なんだ」
「あの、私今日頑張ったじゃん」
「ああ、助かった」
京が居なかったら血の海になってただろうし、優にあのことを話す機会までくれた。一人だったらいつまでも言えなかっただろう。
「だからさ、えーっと」
「何かおごろうか」
「いや、そうじゃなくて」
「なんだよ」
京は下を向いて言い淀む。
「あの・・・」
「だからなんだよ」
「あー、もう!」
いらいらした口調で近づいて来たので殴られるのかと身構えるが、そんな考えを裏切るように京は自分の服を掴んで頭をそっと胸に当ててくる。また浮気しないか試すのかと喋るのを待つが何も言うことなく自分から離れていく。
「じゃあまたね」
こっちがまたな、と言う前に走り去っていった。一瞬だけ見えた京の顔は真っ赤だった。
キッチンに戻ると大きくあくびをした優と目が合い、優が慌てて口を押さえる素振りをする。昔なら恥ずかしがる素振りなんて見せなかったのに、付き合って女子力が上がったのだろうか。
「京ちゃん帰ったの?」
「さっき帰った」
優の前の椅子に座る。
「そうなんだ、私の寝てる間に何かあった?」
真っすぐに自分の顔を見つめてくる。
「いや、何もなかった。優が寝てすぐに帰ったから」
一つ減らした嘘は、また一つ増えてしまう。
「そっかそっか、それなら良いんだ」
「それより明日遊びに行かない?」
「行きたい!どこ行くの!」
椅子から飛び上がる優を見ながら京の事を考えてしまう。
京のあの反応に自分に好意があると気付かないほど馬鹿ではない。いや、それ以前から気づいてしまっていた。だから京が浮気しないか調べるなんて言ってあんな事をしたのは、ただ誘惑してきたのかと思った。だけど優を守り、玄関で言った言葉も本心なんだろう。自分の想像でしかないが京は優の事と自身の気持ちがせめぎあっているのかもしれない。
この状態を宙ぶらりんのままにしておこうとは毛頭考えていない。すぐにでも解決しなければ優を裏切ることになるし、なにより京に悪い。
「考くん?聞いてる?」
いつの間にか横に立って居た優がくっつきそうな距離で覗き込んできたので、そのまま優の唇にキスをする。
京が言っていた様に恋人としての愛情を与えるように。
そして嘘を付いてしまったことを詫びるように長く優しく。
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