雪がとけたら
雪が溶けたら何になる?
ちょっとした街頭アンケートに呼び止められた。
「雪が溶けたら何になると思いますか?」
「水?」
と、答えたのは多恵だった。
じゃああなたはどう思いますか。
聞かれて、私はどうしようかと考える。思った事をそのまま答えると、周りの人間に「変な奴」だと言われそうな気がしたので。
「私も水だと思います」
そう答えた。
「じゃあ、本当は何て思ったんだよ」
と、潤が聞く。
「雪が溶けたら、汚くなる」
私の言葉に、潤は少し戸惑ったようだ。
私は苛立たしげに繰り返す。
「雪が溶けたら最悪だ。むかるむし、跳ねは上がるし。シャーベット状にかたまった泥色の雪なんて汚い以外の何ものでもない」
新雪は大好きだ。
新雪に足跡を付けるあの快感。それでも勿体なくてはじっこの方を歩いたりして。
でも、次の日は最悪だ。出来れば外を歩きたくない。
潤は、声を上げて笑った。
「それは、都会の人間の言葉だなぁ」
「それ、嫌味?」
上目遣いに潤を見上げる。
自分が住む街が決して都会とは呼べない事ぐらい解っている。
「ごめんごめん、間違えた。三方を山で囲まれた雪が少ない地域に住む人間の言葉だ」
「うんうん。それを一言で言えば盆地って言うんだよ。ひとつお勉強になりましたね」
ついつい茶々を入れる私に、潤は「いちいち揚げ足を取るなよ」とむくれる。
ツッコミは文化のひとつだと言うのに――この街に来て三年目の潤はそのあたりがまだ解っていない。
「で、潤は何が言いたいのよ。雪が溶けたら?」
「雪が溶けたら、春になるんだ」
なるほど。その手があったか。
「上手い、座布団一枚」
「いや、真面目な話」
と、潤が頭を掻く。
「雪が一日で溶けるのが当たり前だから、汚くなるのが気になるんだよ。俺の実家、本当に田舎だから。冬になると雪深くて。多分美香なんか想像もつかないような世界だと思う」
さすがにそう言われるとむっとした。
そりゃあ、雪深い場所に住んだ事なんかないけど。テレビとかで見たこともあるし、雪深い場所にカニを食べに行った事だってある。勿論信州にスキーに行った事もある。
そう言うと潤はいきなり、黙りこくる。
あら、怒っちゃった?
「じゃあ、住んで見る?」
言われて、私は思いっきり首を振った。
「無理。あそこは遊びに行くところであって、私が住める場所じゃない」
あんなに雪深い場所では、車を出すのも私には無理だ。きっと何処にも行けない。
私の返事に、潤は「そっかぁ」と肩を落とす。
あれ?
「でも、そういう事。美香は雪に閉ざされた事もないし閉ざされる気もないから、雪が溶けたら春になるっていう感性が解らないんだろ?」
そりゃあそうでしょうとも。
って、なんで喧嘩してるんだ? 私たち。
感性が違うから?
仕方ない。ここは私が大人になろう。雪に閉ざされた気持ちを想像しよう。
降り積もる、雪。毎朝雪かきしなければすぐに玄関が埋まってしまう。雪に閉ざされると、私は外に出られない。仕事に行くのに困るし、買い物だって困る。
今でも出稼ぎとかあるのかな。冬になると男の人は杜氏さんとかやってるのかな。
そういえば北海道は雪がなくなるとすぐに花が咲き始めるんだったかな。
黙ってしまった私に、潤がちょっと心配そうな視線を向けて来る。仕方がないので、私は笑顔を見せてあげた。
「とりあえず、頭の中で雪が溶けると春になるかというシミュレーションをしてみたんだけど、途中から古い歌がずっとリフレインし続けている状態」
潤が笑う。
「やっぱり、こっちでは雪がとけても春は来ないわ」
それが私が出した結論だった。
「二月堂のお水取りが終わったら春が来るんだ」
それ、ものすごく解りにくいぞと潤が笑った。
だったら見に行こうよと約束した。
春になったら潤のご実家に挨拶に行こうかな。まだ早い?
「順序が逆だし」
潤が言った。
一昨日満開を迎えた桜の花びらが、強い風に舞う。
扉を開けたとたんに玄関に舞い込んで来た桜の花びら。
私はつられたように外に出る。
舞い落ちて、舞い上がる。花吹雪。
咲く時もおもいっきり咲いて、散る時もおもいっきり散る。
そんな潔さを持っている、春の花。
(私が言った通りだったでしょ? 雪が溶けても春にはならないって)
私は、誰もいない左となりに心の中で語りかける。
そう。彼がいなくても、季節は巡る。
私の中の雪が溶けなくても春は来る。
降り注ぐ花びらの中で、私は春の日差しを思いっきり受け止めた。