第4話「おてんば姫君と物知り精霊」 前篇
はじめて見た魔物をひと言であらわすなら、大きなカマキリだった。
「もしも昆虫が人間サイズなら~って話題は語り尽くされたネタではあるけどさ」
明らかに人間サイズすら超えているよね?
軽トラックサイズはありそうだ。
「たしか……人間大カマキリの握力は三トンとか聞いたことあるけど、このサイズになるとどうなるのや――うぉっと!」
ひっくり返ってしばらくもがいていた魔物が不意打ち気味に切りかかってくる。
後ろへ飛んで避けるとすぐそばに襲われていた女の子がいた。
ふわりと香るフローランス……香水だ。
花の香りのする生き物ということでピンときていたが、やはり香水のことだったらしい。
内心で「人だ! 異世界の人だ! しかも金髪美少女さんだ!」と二年ぶりに出会う人に興奮し、無意識にしっぽが左右に揺れ鼻をクンカクンカしてしまう。
……この体になってから、どーも匂いに対するフェチズムが変わった気がする。
ともあれいつまでも女の子の体臭を嗅いでいてはただの変態だ。
名残惜しいが嗅ぐのをやめ、表情に出ないよう冷静に問いかける。
「君、大丈夫?」
「え、あ……ぅあ……」
うわ言のような声が返ってきた。
殺されそうになったせいでパニックになっているのか?
いや、そもそも言葉が通じるとは限らないのか。
「あ~僕の言葉わかる?」
「え? あ、はい……」
どうやら伝わるらしい。
ふむ、オオカミと人間が同じ言葉を使っているのはどういうことだ?
なんにせよ、今はありがたい誤算だ。
「悪いけど少し下がっていてもらえるかな? 向こうの茂みに僕の連れが隠れているから、そこまで逃げてくれると助かるんだけど」
「あ……そ、の。ごめん、なさい。足……すくんじゃって」
ふと、花の香りの中に、かぐわしい異臭が鼻をつく。
彼女が座り込む地面に視線を下げると、水気のような染みが広がっていた。
どうやら匂いはそこからするらしい。
「あーうん、なるほど」
その正体を察し視線を逸らす。
いくら緊急事態でもそれくらいの配慮はしてしかるべきだろう。
俺に美少女の失禁を見て興奮する性癖はない……ほんとだよ?
「動けないならそこでじっとしておいて」
「どう、するの?」
「あれを倒す」
強い言葉で自身を鼓舞し駆けだす。
背後に少女を背負ったままでは身動きが取れないと判断したからだ。
はじめての魔物。緊張もあれば恐怖もある。
できることなら距離をおき時間をかけて魔術で弱らせる方法をとりたかった。
だがそれでは少女や隠れているスーヤが標的にされる恐れがある。
駆ける足はわかるほど震えているし、涙目になりかけているのも近くで見られれば気づかれるだろう。声が震えていないことを褒めてほしいくらいだ。
それでも、ここは男として意地を張るところなのだろう。
「土よ、我に答えよ!」
魔物が動き出す。それに合わせて詠唱開始。
鎌が横凪に振られるのと上空へ跳ぶのは同時だった。
隆起した地面は鎌により横一線に両断され瓦礫へと変わる。もしあれが自分の体だったら……そんな臆病風を武者震いと言い訳して眼下の敵へ狙いをつける。
「火よ、我に答えよ!」
込めるのはありったけの力。とにかく熱く、とにかくデカく。
それだけを意識して放つ特大の火球。
「虫には火属性ってのはお約束だよな!」
だが相手も一筋縄ではいかない。
魔物は二本の触手を立てると、青と赤、二つの魔方陣を出現させる。
火球は青の魔方陣から出現した水流に飲まれ消え、続く赤の魔方陣から飛び出した火炎によってかき消された。
「おまえも魔術を使うのかよ!」
渾身の一撃が相殺され思わず毒づく。
しかも、だ。
「詠唱なしで二種類同時とかマジか!」
俺も何度か試していたが、詠唱破棄や二つ同時の魔術使用はできなかった。
やり方が悪いのか、それとも才能がないのか。
どちらにしろ相手は自分にできないことをした。つまり格上だ。
唯一の武器である魔術が通じない。
………………あれ? これ詰んでね?
焦りから咄嗟に他に武器になりそうなものを探し、ふとあるものに目が留まった。
「折れた剣?」
少女の傍らに転がる宝剣。おそらく彼女の持ち物なのだろう。
状況からしてあれを武器に戦い、そして敗れたのだ。
だから、それだけ。武器になるわけもない。
そもそもオオカミの体で人間の手で握る剣がどれほど役にたつのか。
それでも追い込まれていた俺はその藁にすがった。
「その剣を貸して!」
「え? で、でもこれ、折れて――」
「いいから貸して!!」
切羽づまった声にわけもわからず投げ渡す少女。
回転し飛んでくる剣の柄を噛むと、その重みがずっしりと顎に伝わった。
(って、こんなもの持ってどうすんだよ俺!)
後悔あとに立たないまま魔物の攻撃が襲いかかる。
岩に木の幹すら易々と両断する死神。
迎え撃つのは折れた宝剣を咥える小柄なオオカミ。
まともにやり合ってはいけない。
瞬時に判断し後方へ跳躍。追随する鎌を四肢で地面を踏み込み避ける、避ける、避ける。
(ちょ、待て、これは、シャレにならん!)
いよいよ命の危機を感じ始めた時だった。
ふと、折れた宝剣の刀身に刻まれた彫刻が目にとまる。
本来は精緻な作りだったのだろうそれは、無残に削れ跡形もない。
ない、のだが。
その模様を見て一つ閃くものがあった。
(そうだ! もしかすると!)
咥えていた剣を放り投げる。
「火よ、我に答えよ!」
すぐさま紡いだ詠唱で出現する魔方陣。ここまではいつもと同じ。
ここから俺は発動した火球を使って、魔方陣の幾何学模様と同じ物を宝剣に刻みつけた。
「あなた何を!」
「相手は詠唱なしで二つ同時に魔術が使えるんだぞ! まともにやり合えるか!」
模様の刻み終えた宝剣を咥えなおし答える。
(頼むぜ、ぶっつけ本番で悪いけど、うまくいってくれよ!)
祈るように力を込める。
いつものように、魔方陣へ力が流れるときと同じように。
しばらくして剣に刻んだ模様に何かが流れ込んでいく感覚を覚える。
ゆっくり、されど着実に、燃えるような熱を帯びた柄をそれでも離さず力を注ぎこむ。そして、
「ッ! できた!!」
そこには折れた刀身を炎の刃で延長された、燃える宝剣があった。
詠唱することで浮かぶ魔方陣の幾何学模様に、力を注ぐことで魔術がうまれる。
魔術のプロセスは単純だが、一秒が勝負をわかつ戦闘の中ではあまりにまどろっこしい。
だったらあらかじめ幾何学模様を用意しておけばいいのではないか?
半ば賭けだった思いつきだけど成功。これで手数の差を縮められる。
「うらぁあああああっ!」
試し切りもかねてさっきからしつこく攻撃を繰り返す魔物へ剣を振るう。
熱したナイフでバターを溶かすように刀身が魔物へと吸い込まれる。
纏う炎と鋭利な刀身は振り下ろされた鎌を削ぎ落とした。
「やった!」
「ダメ! 避けて!!」
悲鳴に近い叫びに体がはねる。
一瞬前まで首があった位置に切り飛ばしたはずの鎌が通過して行った。
奇襲を回避され魔物は苛立ち気に唸り声をあげる。
「い、いまのはまずかった!」
「気を付けて! そいつものっすごい再生能力があるみたいだから!」
「そういうことは早めに教えてほしかったな、っと!」
またしても詠唱を破棄した魔術を俺はバックステップで回避。
牽制を込めて纏った火の魔術の一部を切り離し投げつける。が、鎌の二閃が散らす。
常に火の魔術を纏う剣の攻撃力は破格だが、詠唱を破棄した二種類の魔術と二本の鎌という壁。
それを超えた先にある超回復という防御を抜くには足りない。
対して魔物側も素早く動き続けるウィルディーを捉えきれずにいた。
攻防の激しい入れ替わり、両者の力はここに来きて拮抗する。
(そういえばカマキリの弱点って……)
その拮抗を崩す答えはすでに頭の中にあった。
自らの記憶を信じて死地へと踏み込む。
当然それを勝機と見た魔物の攻撃はより一層激しさを増す。
鎌が頬を掠める。
火の魔術を相殺しオレンジの火の粉が視界を飛散する。
防御の間隙をぬい魔物の牙が――、
「水よ、我に答えよ。鋼鉄の矢となり敵を射抜け。【水槍】!」
極太の杭のような牙が噛みつこうとした横面を水流が弾け飛ばした。
何事かと振りかえると掌をこちらに向ける少女の姿。
体は震え、唇も紫色をしているが、その瞳には確かに俺を見つめ返し強気な笑みをたたえている。
「ナイスアシスト!」
間合い最後の一歩を踏みしめながら叫ぶ。
狙うのは元の世界にいたカマキリ最大の弱点……後方に露出する腹。
突進の勢いを急ブレーキで打ち消し、反動で半回転。
奥歯が割れる覚悟で食いしばる顎。固定するのは逆手気味に構えられた宝刀。
その刀身が柔らかな腹へと深々と突き刺さる。
「お前の再生能力にはびっくりしたけどさ」
先ほどまでの攻防が嘘のように停止する両者。
眼前、寄り添うようにすら見える至近距離。
ぎょろりと左右に張った魔物の双眸に自分の姿を見る。
「内臓を直接火であぶられても回復できるか?」
宝刀を離した口が裂け、勝利を確信したオオカミの笑みが映りこむ。
次の瞬間、魔物の体を内側から炎が包み込む。
あまりの激痛に地面をのたうつが火種は体の内。
消えるはずもない。
皮膚が裂け、体内で暴れる何かが出口を求めて蹂躙する。
それでも驚異的なのは魔物の生命力。
体内を直接焼かれようと、その都度回復し命を繋ぎ止める。
だがそれも苦痛を長引かせることしかできない。
やがてまず羽根が燃えつきた。
次に胴、足、鎌。
最後に頭部が溶けるようにちぎれ地面に落ちる。
炎は徐々に小さくなり、残ったのは生き物の燃えカス。火の粉の残火。
そして折れた宝刀が墓標のように、陽炎を纏い地面に突き刺ささっているのだった。
※
「兄さん!」
戦闘を終えると、言いつけどおり隠れていたスーヤが胸に飛び込んでくる。
よっぽど心配していたのかすごい勢いだった。
傷口にダイブされたので、一瞬目の前に星が瞬く。マジ痛い。
「無茶しないでくださいって言ったじゃないですか!」
「あーうん。ごめんごめん」
とはいえここまで心配してくれる相手を無碍にはできず、
俺は痛みを必死に抑え込み、必死にジェントルスマイルを浮かべ、慰めるように耳の付け根を舐める。
これが人間なら優しく抱きしめて背中をポンポンと叩くこともできるけど、いまの俺にはこれが限界だ。
「えっと、ちょっといい?」
と、そんな俺たちに座り込んだままの少女が声をかける。
途端弾かれるように振り返るスーヤ。
俺と少女の間に警戒心MAXで仁王立つ。
珍しく犬歯をむき出しに「グルル」と唸り声をあげていた。
でもしっぽから鼻先まで毛は逆立ち、小刻みに震えている。
はじめて見た人間が怖いのだろう。
それでも逃げ出さず疲れた兄を守ろうとしているのだ。
これでグッと来ない兄はいない。
「ええ子や」と流れていない涙をふく。
ともあれ慌てたのは少女の方だ。
「あ、あのね、警戒しないで。ほら、あたし無手だし、そもそも今は立てないし」
無害を主張するように両手をホールドアップ。
顔色をうかがうように続けた。
「えっと、そっちの……えっと、なんて呼べばいい?」
「ウィルディーです。こちの子はスーヤ。ボクの妹です」
「じゃあウィルね。あたしはミーティア、ミーティア=フィルデア=アルベルノ。長いからティアでいいわ」
「了解です。……ほら、スーヤも」
促されるまま無言で耳をピクピクさせるスーヤ。
見た目は犬なのに仕草がまんま人見知りな猫でちょっと微笑ましい。
とりあえず、彼女にはどうやら害はないらしい。
そう判断し警戒を続けるスーヤの首根っこを噛み持ち上げ後にさげる。
ちょうど親猫が子猫にするような運び方だ。
「に、兄さん!?」
「大丈夫だよ。ここは任せて。ね?」
「……兄さんがそう言うなら」
納得いかないと顔に書かれたまま大人しく引き下がる。
うんうん、素直は美徳だよ。
「えっと、じゃあティア……さん?」
「魔獣なのに敬語なんて変な奴ね。いいよ、喋りやすい言葉づかいで。あと呼び方もティアでいいわ」
サバサバとした物言いで掌をふる。
だったらこちらも言葉に甘えよう。
「じゃあティア、どうしてこんな森の中で魔物に襲われてたんだ?」
「それより胸、怪我してるんじゃない? さっきから立ち方が不自然よ。治してあげるからこっちに来なさい」
さすがにその申し出にはわずかに躊躇する。
とはいえ命を助けた相手だ。
下手なことはしないだろうと楽観的に考え歩み寄る。
「水よ、我に答えよ。聖水をもって傷を癒したまえ――【回復】」
短い詠唱のあと少女、ミーティアの掌が淡く光り、胸の痛みが消えていく。
「水魔術?」
「ん? そうだけど、どうしたの? 別に【回復】なんて珍しくないでしょ?」
「僕は水魔術が使えないから」
「ふーん、でも他の因子は持ってるんだから文句を言うのは贅沢よ。あたしだって二種類だけなのに」
聞き慣れない単語が出てきたが、とりあえず今は治療に専念することにした。
しばらくして治療が終わるとミーティアはおもむろに口を開く。
「それじゃあ改めて、助けてくれてありがとう。おかげで命拾いしたわ」
立てない足で座りながら、せめてとドレスの裾をつまんで優雅に一礼。
ボロボロの服に泥だらけな姿、作法も何もないが、それでも様になっていた。
ふむ、これが気品という奴だろうか。
見るからにお嬢さまってなりだもんな。
「いやいや、こっちも成り行きみたいなものだったし」
「あなたにとってはそうでも、彼女にはずいぶん心配させたみたいだしね」
そう言って視線を背後でふて腐れるスーヤへ向ける。
「だからありがとう。この恩は必ず返すわ。……でもごめんんさい。今日は勘弁してもらえる? さすがに疲れちゃって。あと迷惑ついでにこのあたりを寝床にさせてもらえると嬉しいかな。もうすぐ夜だし、ウロウロしてたら危ないでしょ」
ふと視線をあげる。
深い森の木々に遮られ気づかなかったが、隙間から覗く空は暗くなり始めていた。
たしかに、夜の森を子ども一人で歩くのはあぶないだろう。
「だったら森の出口まで送ろうか? 僕なら夜目が効くし野宿するよりいいと思うけど」
「道がわかるの?」
「いや、ティアがどこから来たか知らないからなぁ」
「だったら無理よ。あたし、帰り道とかわからないし」
「……マジ?」
「逃げるのに必死で道を覚えている余裕がなかったのよ。一応なんとなーく覚えてはいるんだけど、曖昧な記憶で動くのは危なすぎるでしょ?」
それ、あっけらかんと言う内容か?
完全に遭難してるじゃん。
「それにしたって、女の子を一人、こんなところで野宿させるのはなぁ」
「あはは、あなたってさっきから魔獣とは思えないくらい紳士的ね」
「そうかな? 自覚ないんだけど」
「問題ないんじゃない? さっきの魔物ってたぶんこのあたりのテリトリーの主だろうし、それを倒したってことはすでにこの一帯はあなたのテリトリーのはずだから。また襲われる心配はないと思うわよ」
どうやら知らないうちにファウルと同じテリトリー持ちになっていたらしい。
なるほど、その土地の主を倒すと、丸ごとその所有権が移るのか。
何気ない会話の中からまた一つ新たなこの世界のルールを学ぶ。
「テリトリーねぇ。そんなの手に入れても宝の持ち腐れになりそうだけど」
「あら、そんなことないでしょ。手付かずの自然に、迷い込んだ人間の落とした道具に。探してみると使えそうなものは多いだろうから損はないと思うけど?」
「あーそれはちょっと面白そう」
とはいえ森の中でどれほど役に立つのカは疑問だけど。
本当なら持ち主やその血縁者に帰すべきなのだろうが、交番があるわけでもないこの世界でそれは難しい。
だったら朽ちてしまうくらいなら、もらえるものはもらっておいて損はないだろう。
「それじゃあ、また会いましょう。灰色オオカミさん」
「うん、それじゃ」
若干後ろ髪を引かれながら座ったまま手を振るティアをおいて帰路につく。
魔術についてもう少し聞きたかったが、しばらくここにいるなら次の機会はあるだろう。
はじめの実戦、はじめての人間との邂逅。
はじめて尽くしの一日にさすがに疲れた俺は元同じ人間であるティへの警戒を、すっかり説いてしまっていた。スーヤも同じだったのだろう、横に並び大あくびを浮かべている。
だから気が付かなかった。
「いい物件はっけーん♪」
悪い顔でそう呟くティアの、イタズラを思いついた悪がきのような呟きに。
長くなったので前篇後篇にわけます