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俺、テイムされます - オオカミシェフの異世界漂流記 -  作者: たかじん
第1章 はじまりの地《深き森》
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第3話「兄と妹」 後篇

 森は食料の宝庫である。

 虫や果実や木の実、山菜やキノコだってオオカミの体でも食べることはできる。

 ただしやはり体に適していないようで、食べ過ぎるとすぐに腹痛に襲われるのだが。

 よってやはりオオカミなら肉、最悪魚が望ましいというのがこの二年で学んだ人生経験ならぬオオカミ経験だ。


「まずは大きく息を吸う」

「すぅうう――」

「そして吐き出す」

「ふぅうう――」

「どう? 鼻の中にいろんな匂いが残ってない?」

「んー言われてみれば……かな」


 オオカミは嗅覚に優れている

 よく聞くが、人間でいうところの『匂いに敏感』とは少し感覚が違う。

 普通に生活するうえでは人間のころもオオカミになった後も、匂いに対する感覚はさほど違いはない。

 むしろ味覚や聴覚、あとは身体能力の馴れの方が困難だったくらいだ。


 だが、意識して使うと話は変わってくる。

 俺がはじめてこのことに気づいた時は……怖くなった。

 突然目が一つ増えたとでもいうのだろうか。

 今まで見えていなかったものが次々と手に取るようにわかるのだ。


 木の香りはもちろん、朽木に隠れる虫の匂い。

 それを狙う小動物の興奮した刺激臭。

 さらにそれを狙う鳥類がいること。

 その羽ばたきで乱れた空気に乗って上空の湿った空気がもうすぐ雨であることを教えてくれる。


 たった一呼吸。


 たった一呼吸でこれほど詳細な情報が大量に送られてくるのだ。

 正直、魔術よりずっと魔法のような体験だった。

 以来、俺はほとんど嗅覚に頼ったことはない。

 風魔術を応用すれば周囲を探知できたというのもあったが、あの奇妙な感覚はできるなら避けたかったからという理由が大きい。


 とはいえ便利な能力であることに変わりはない。

 スーヤが使いこなしてくれるなら御の字。その程度に考えていたのだが、


「あ……」

「気づいた?」

「う、うん。なんだか美味しそうな……鳥、かな?」

「どれどれ……驚いたな、正解だよ」


 素直に驚きの声をあげる。

 こっそり使用した風魔法には何らかの生き物がいることを示していたからだ。

 だけど俺にはそれが鳥であることまではわからなかった。

 つけ加えるなら範囲限界いっぱいも離れているのだからなおさら驚きである。


(やっぱり生粋のオオカミだとできて当たり前なのかな?)


 元人間である俺にはどうしても人間だった頃の記憶や習慣に引っ張られることが多い。

 だから『匂いで見る』という感覚がよくわからないのだ。

 ちょっと知った経験者よりド素人の方が呑み込みは早いのと同じ理屈だろうか?

 内心少しだけ妹を羨ましく思いながら、目的の場所へと足を向ける。


「あれって、スイチョウ?」

「だね、ときどき出てきて母さんが嬉しそうにしてたし、間違いないよ」


 スイチョウとは全身が水色をした空飛ぶ鶏のような姿をした鳥のことだ。

 なんでも非常に警戒心の強い鳥らしく、巣を高い木の上に作るとか。

 たしかにやっと見つけた巣は高さ三〇メートルほどもありそうな巨木の頂上付近にあって、オオカミでは登って捕まえるのは困難だろう。

 飛ぶのがうまい鳥でもあるらしく、登れたとしても今度は巣をさっさと放棄して逃げてしまうという。

 むしろよくファウルはそんな獲物を捕まえられたな、と驚く。


 そんな獲物を易々と捕まえられるとは思えない。

 ここは運がなかったと諦め、別の獲物を探すのが普通なのだろうが、


「あの鳥、美味しかったですよね」

「だよなぁ」


 俺は生肉が苦手だが、スーヤもオオカミにしては珍しく肉より魚が好きな子だ。

 それでもあの日食べたスイチョウの美味しさは忘れていない。

 野鳥とは思えない芳醇な脂身は塩コショウの味付けもない……どころか完全な生にもかかわらず強烈なうまみが凝縮されていた。

 これはぜひとも焼いて食べてみたい!

  そう思いこっそり欠片を持ち出し火魔術であぶったところ、これがもう香り豊かでクセのないプリッとした肉感に卒倒しかけたのをよく覚えている。

 舌に刻まれた記憶がフラッシュバックし、俺は気づけば決断していた。


「よし! 今晩はあれを捕まえよう!」

「で、でもどうするの? この木、登るの?」

 

 不安げなスーヤに笑いかけ、


「まさか。土よ、我に答えよ」


 直後、足元に魔方陣がうまれる。

 突然の出来事に驚くスーヤをよそに、俺の体は勢いよく隆起した地面によって天高くに放り出される。


「おっとと」


 空中でバランスを整え獲物をロックオン。

 すでに捕食者の姿に気づき逃げようとする獲物へ、射程と威力を瞬時に調節し、


「風よ、我に答えよ!」


 風の魔術を地面に向けて発動。

 突風の中逃げようとするスイチョウだが、複雑に荒れ狂う気流に翻弄され、飛びたてないまま地面へと落ちてゆく。


「よし!」


 すぐに風を下から上に向きをかえパラシュートの要領で地面い降りる。

 落下で翼が折れ逃げるすべを失った獲物の首に噛みつき仕留めた。


「晩飯とったどー!」


 こうして悠々とスイチョウを手に入れたのだった。

 その晩。

 末息子と末娘が仕留めた獲物に、アメリアだけでなくさすがのファウルも驚いたのは言うまでもない。


     ※


「兄さん! 今日も狩りに出かけましょう!」

「おう、獲物を探すのは任せるな」


 スイチョウを捕まえて数週間。

 朝になるとスーヤと狩りに行くのは日課になっていた。

 というのも嗅覚という点においては、すでに俺よりスーヤの方が数段優秀になっていたからだ。

 スーヤが見つけ、俺が仕留める。

 まるでスナイパーの観測係と狙撃手の関係みたいな立ち位置がいつの間にか出来上がっていた。


 とはいえ俺だってまかっせっきりじゃない。

 あれから頑張って匂いをかぎ分ける練習をしているのだが、結局五〇〇メートル程度しか嗅ぎ分けられず、それ以上になると途端にあやふやになってしまう。

 対してスーヤは三キロ近い範囲ならどんな獲物がいるかまでわかるレベルだ。

 自分が苦労してこれなのに……そう考えると嫉妬のような感情を覚えないかといえば嘘になる。

 しかしそれも、


「任せてください兄さん!」


 横を並んで歩く妹のはつらつとした声で溶けて霧散した。

 そう、横に並んでいるのだ。

 はじめは三歩後ろを、そのうち斜め後ろを、そしてここ数日は隣を。

 警戒心の強い猫が懐いてくれたような感慨深さを覚える。


「おい」


 と、巣から出るとドスのきいた声をかけられた。

 

「ブレイヴお兄さん?」

「っ!」


 相手は兄、ブレイヴだった。

 その姿を見た瞬間、スーヤは顔をひきつらせ俺の後ろに隠れてしまう。

 いきなり話しかけられたとはいえ過剰な反応だな。

 そんなことを考えながら何気ない風を装いつつ、スーヤが死角に入る位置に移動しブレイヴへ向き合った。


「えっと、どうかされましたか?」

「…………あんまり調子に乗るなよ」

「へ?」

「お前はもう見捨てられてんだ。俺がボスになるのは決定事項なんだよ。わかったら姑息な手を使ってまでアピールしてんじゃねぇ。目障りなんだよ」


 一気にまくしたてるだけまくしたてると、背を向け去って行ってしまう。

 いったいなんだったのだろう。首をかしげていると胴を軽く押された。

 見ればスーヤがうつむき加減に体をこすり付けていた。その瞳は不安げに揺れている。


「よくわからないけど、僕たちは僕たちのことをしようか」

「……はい」

 安心させるように穏やかに言葉を返す。

 すると何か言いたそうではあるが、少しだけ元気を取り戻したスーヤが返事を返ってきた。

 そのことに安堵しながら森へと向かって歩き出す。

 さて、今日もオオカミライフをはじめますか。


    ※


「えっと西に……鹿? あ、猪がいます。東に鳥の群れが木で羽根を休ませていますね。あとは……少し遠いですけど、すごく甘い香りがします」


 巣を出てしばらく後、スーヤはさっそく匂いで獲物を探しはじめた。


「甘い香り?」

「はい、なぜか虫の匂いも強いですけど」

「虫……あーなるほど。蜂蜜かな」

「はちみつ? なんですかそれ?」

「虫が花の蜜を集めた食べ物だよ。すごく甘くておいしいんだ」


 この世界にも蜂らしい虫がいることは知っていたが、蜂の巣までは見つけられていなかった。


「甘い食べ物ぉ……」

「スーヤ、よだれよだれ」

「あ! うぅ。見ないでください!」


 一緒にいることが増え気づいたが、この妹オオカミの食い意地は意外と汚いらしい。

 それはそれで可愛くはあるけどね、まだまだ花より団子のようだ。


「しかし、蜂蜜か……」


 スーヤではないが、その響きにはとっても甘美な響きがあった。

 魔術にオオカミの体と、やること知ることの多い二年間は充実していた自覚はあるが、食については栄養の摂取と割り切っているところがあったからだ。

 元シェフとしてフラストレーションがたまっているといってもいい。


 魚だって白身の川魚だけでなく赤身の海魚を食べたい。

 せめて塩をふりたい。

 とくに甘味については森で手に入ることは稀で久しく口に入れていない。


 何よりも生肉問題だ。

 料理をたしなむ者なら『食材は腐りかけが一番うまい』という言葉はよく聞く。

 文字通り、これって完全にアウトじゃね? という見た目の食べ物がもっとも美味しいということだ。

 原理はアミノ酸量だったり、うまみ成分の凝縮だったり、いろいろな要因が重なっているので省略するが、ようするに『熟成』である。


 ここで食べる肉の鮮度ははっきり言って最高だ。

 なにせ今さっきまで生きていたなのだから当然だ。

 だが鮮度がよすぎることも逆に問題なのだ。

 筋は固いし血の雑味は強いしと、はっきり言って食べ物としては下の下。

 だからと言って高温多湿な森の中で熟成などしようものなら、一日でカビだらけになることだろう。


 そこで蜂蜜の出番である。

 炭酸・玉ねぎに並んで肉を柔らかくする代名詞であり、高い殺菌能力もある蜂蜜はこの環境でも肉を美味しくできる可能性のある食材である。

 あとは温度と湿度が一定な洞窟でも見つかれば最高だ。

 そうとわかれば試してみたいと思うのが料理のできる者の性である。


「よし、今日は蜂蜜を取りに行こう」

「で、でも危なくないですか? 巣から離れすぎると危ないってママも言ってましたし」


 言われて思い出す。

 巣から離れれば離れるほど魔物と出会う危険が増すというのは、アメリアが口を酸っぱくして言い聞かせていたことだった。


 魔物。


 結局この二年で一度もそれらしい生物と遭遇したことはない。

 それほどファウルのテリトリーが広いということなのか、それともただの偶然なのか。

ゆえに、当初は注意していた俺もすっかり警戒が緩くなっていた。


「まぁちょっと行って帰ってくるくらいなら問題ないだろ」

「兄さんがそう言うなら……」


 こうして最後まで不安げなスーヤを連れて、俺たちははじめてテリトリーから離れた場所へと足を向けたのだった。


         ※


 テリトリーから離れるごとに森の様相は変わっていった。

 無秩序に伸びる草木。岩という岩にはコケが生い茂り辺り一面緑で覆われている。

 原生林の根は地中で絡み合っているのだろう。地面を押し上げどこもかしこもデコボコになっていた。なにより、


「静かだな」

「うん……」


 虫の羽音すら聞こえる静寂。鳥や森の生き物の気配がまるで感じられない。

 なんだかんだで騒がしい森の喧噪が嘘のような有様である。


「や、やっぱり帰りませんか?」


 本能的な危険信号に、再びスーヤが提案する。

 うーん、俺も若干そうしたほうがいい気はするけれど、


「でもここまで来て帰るのもなぁ」


 すでに自分の鼻でもわかるくらい甘い香りは強くなっていた。

 ここで諦めるのは非常に惜しい。

 それはスーヤも同じようで、口では帰ろうと言いながら、その足は匂いの方へと止まることなく進み続ける。


 とはいえ、あとちょっと、もうちょっとだからと危険地帯を進むことが死亡フラグであることも重々承知している。似た台詞を吐いて死んでいった人を漫画の中で何人も見てきた。

 ゆえにいつでも魔術を使えるように周囲を警戒しながら歩き続けることしばらく。、


「見つけた」


 目的のものはすぐに見つかった。

 崖にへばりつくように巣をつくったそれは見間違いようのない蜂の巣だ。


「よし、んじゃちゃちゃっと取って帰るか」


 正直これ以上こんな薄気味悪い場所にスーヤを連れて歩くのは気が引ける。

 俺はさっそく採取に取り掛かった。

 近づいて蜂に刺されるのは嫌だったため、風魔術で蜂の巣を揺らす。

 すると半分ほどがベロンと剥がれ崖を転がり落ちてきた。


「うし、成功! じゃあこの小さい分をスーヤに……スーヤ?」


 振りかえったとき、スーヤはこちらを見ていなかった。

 背後の森の先の何かを睨むようにじっと佇んでいる。

 その鼻がひくひく動かし毛は泡立つように逆立っていた。

 珍しく低いうなり声まで上げているのだからただ事じゃない。

 取ったばかりの巣を地面に置き、俺も警戒を強める。


「なにかいるのか?」

「……いいえ、少し距離はあるのですが」


 なにやら困惑した様子で続けた。


「嗅いだことのない匂い同士が争っているみたいなんです」

「争っている?」


 奇妙な表現に聞き返してしまう。

 いまだに魔物や魔獣の生態については詳しくわかっていないのだが、それでもいくつかの特徴は聞いている。簡潔にまとめるとこうなる。



①魔物と意思の疎通はできない。

②魔獣は他の生物のテリトリーには入れない。

③逆に自分のテリトリーに入った生物(特に魔物)は絶対に許さない。



 このうち②の特性があるため魔獣同士の戦闘は滅多におらないのが通説だ。

 となれば、自分たちのように迷い込んだ魔獣や野生の獣が魔物に襲われたのだろうか?


「その襲われている方なんですけど……妙なんです」

「妙とは?」

「生き物なのに花の匂いが強くて、ちょっと鼻が痛いです」


 一瞬意味がわからず、すぐにある可能性に行きつく。

 もし『そう』なのだとすれば辻褄が合う。

 古来より好奇心と冒険心の強さにおいて、彼らほど強い生き物を俺は知らない。


「スーヤ、予定変更してもいいかな?」

「え?」

「その襲われている生き物を助けたい」

「っ! に、兄さん!?」

「わかってる、危ないって言いたいんだろ。でもその生き物に興味があるんだ」


 平和な日本で生きてきた俺にとって、喧嘩の経験などないに等しい。

 戦闘経験だって確実に勝てる狩りしかしたことがないし、少しでも無理だと思ったら逃げてきた。

 巣から離れたことだけでも大冒険なのだ。

 自ら危険とわかっている場所に行くことが、どれほど危ないかわからないわけがない。


 ましてや今はスーヤがいる。

 守るべき妹がいる。

 一人で帰すわけにはいかないため、彼女にはついてきてもらうことになるだろう。

 はたしてそれほどのリスクを負う価値がこの行動にあるのだろうか?

 考え始めると自信がなくなりだし、「やっぱり無視して帰ろうかな」なんて思考も頭をよぎる。

 それでも結論を出すより少し早く、スーヤが口を開いた。


「わ、わかりました。無茶はしないって約束できるなら、付き合います」

「スーヤ」

「でも! スーヤ、鼻しか取り柄がないし、体も小さいので……守ってくださいね?」

「お、おう! 任せとけ! 体を盾にしてでも守ってやるぜ!」

「だから無茶はしないでくださいってば!」


 こうして二人は魔物がいるであろう場所に急ぐこととなった。

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