第16話「使い魔な一日」④
食事が終われば自由時間だ。
だいたいこの時間を俺は書庫ですごしている。
勉強のためというのもあるけど、あの静謐とした空気は俺の水にあっているらしい。
本を読むにしろ、テリアとの座学をするにしろ、ここ異常に効率のいい場所はない。
「おや?」
ただ最近書庫には先客をよく見るようになっていた。
エルドレムだ。
「今日も来たのかい?」
「そういうエルドレムさんも」
「僕は他国の、しかも一度は争った国の人間だからね。こんなところしか居場所がないだけだよ」
居場所がないねぇ。
ティアやフレイアには警戒されてるけど、他の人からは悪い声を聞かないし、そんなことないと思うんだけど。
彼の横にはすでに何冊も本が積み上げられていた。
ここにきてずいぶんたっているらしい。
傍には羊皮紙と炭ペンが置かれていてびっしりメモが取られている。
この光景も今日が初めてじゃない。
ずいぶんと熱心に調べ物をしているようだ。
……悪いことをしてるわけじゃなさそうだけど、ちょうどフレイアとの会話もある。
今日はちょっと踏み込んでみようか。
「結界について考察、ですか」
「あ、あーー。うん、まぁね」
一番上の本にあった本のタイトルを読むと、エルドレムは照れたように頭を掻いた。
「ごめん、うそ。本当は結界の秘密が知りたくて調べてたんだ」
おや、あっさりゲロった。
それにしても結界とはまた、予想外の単語が出てきたな。
結界というと、魔術的なものじゃないのにマクスウェルに魔物が寄り付かないあれか。
たしか《偉大なる王》の奇跡だとか、そんな眉唾な話だったと思うけど。
「ぼくの国はね、魔物たちには苦労させられてるんだ。毎日のように小競り合いは絶えないし、月に一回くらいの頻度で大規模な襲撃をうけている」
「そんなにですか?」
「魔獣にしろ魔物にしろテリトリーを持つ。国々はその影響下にない未開拓地域や、彼らを倒して土地を奪い街を作る。とくに街がつくられるくらい気候のいい場所は彼らにとってとても魅力的だからね」
「……全然知りませんでした」
「この街に住んでいたら仕方ないよ。僕もはじめは本当に襲撃が皆無で驚いたものさ」
ちょっとしたカルチャーショックだ。
彼の言葉が本当なら、みんなが奇跡といって感謝する理由もよくわかる。
「ぼくはこの現象には必ず理由があると踏んでいるんだ」
そう言ったエルドレムの目は夢を語る少年のような光を帯びていた。
「だからこの秘密を解き明かしたい。解き明かし自国にも採用したい。そうすればぼくの国だけじゃない、辺境の村々も魔物からの脅威から解放される。それはきっと夢のようなことだと思わないかい?」
「そう、ですね」
気のない返事を返すしかなかった。
なにせ俺が知ってるのはこの街のことだけだ。
辺境だとか結界だとか、小難しいこの国の事情にはまだまだ疎い。
だから彼がなにを熱く語っているのかよくわからないというのが本音だ。
それでも、彼が本気で自国を憂い、よりよくしようとしている気持は伝わった。
「知ってるかい? 大国の首都ってどこも周囲に中規模の街を作って、街道は網目状に広がっているんだ。これも魔物たちの襲撃を最小限にする工夫でね、首都に来る前にその周辺の街で返り討ちにするためなのさ。でもアルベルノ王国は違う。このマクスウェルに国力が集中しすぎているんだ。しかもすぐ近くに『深きも森』なんて魔物の巣窟がある。これは他国では見られない国造りでね。たしかに一つの街に国力を集中させるのはいろんな面で便利だけど、被害を受けた時のリスクが高すぎる。これじゃあ魔物に襲われて大被害を受けた時、国そのものが滅びかねない。どうして建国の父である《偉大なる王》はこんな歪な街を作ったのか。まるで魔物に襲われないことを事前に知っていたようじゃないか! つまりね、この結界にはかならず理由があると思うんだ!」
彼の話す内容は、予備知識の少ない俺にはいまいちわからなかったけど。
その熱さは伝わった。
本気さは伝わった。
結局それからちゃちゃを入れる気は最後まで沸いてこず、その日の自由時間は彼が語り終えるまで聞き役になることで終了したのだった。
※
王宮での使い魔業が終わると城を出てアクア邸へ向かう。
この半年、俺はティアの部屋で寝泊まりすることは減った。
たまーに厨房に入り浸りすぎて、疲れ果てた時は使わせてもらうだけだ。
それもこれも、
「ただいまー」
「あ、おかえりなさい、兄さん!」
鼻先で壁の雑巾がけをしていたスーヤが、パッと笑顔でテトテト駆け寄ってくる。
喉をごろごろ鳴らし、しっぽなんてせっかく掃除してたみたいなのに、ほこりがたってしまいそうなくらいフルスイングだ。
うーん、俺の妹がこんなに可愛い。
「ウィルくん、鼻の下のびてる」
妹オオカミのいじらしさにほっこりしてると、テリアの不機嫌そうな声が聞こえた。
おっと失礼。スーヤの前では威厳ある兄を演じねば。
「うん、ただいま。今日はかわったことはなかった?」
「はい! 訪ねてきた人がいたみたいですけど」
「訪ねてきた?」
珍しい。
周囲から幽霊屋敷と怖がられるアクア邸に訪問者はめったに来ないはずだけど。
「もしかして……」
「いえ、奴隷商ではなかったようです」
俺の懸念は先回りして潰された。
俺はなんとなしにスーヤの右耳に視線を向ける。
そこには火傷のような水ぶくれが奴隷の印を浮かべていた。
彼女はまだ奴隷身分なのだ。
暫定で主人を俺にするよう【強制】の上書きをしている。
妹は俺の奴隷……薄い本が厚くなりそうだけど、これにはちゃんと理由がある。
逃亡奴隷であるという烙印を消すためだ。
逃亡奴隷の主はどこに奴隷が逃げているのかがわかってしまう。
匿うためには必要な処置だった。だんじて個人的趣味ではないからね!
「なるべく早く解放してあげるからね」
「……スーヤ的にはこのままでもいいのですが」
そんなきわどい冗談で場を和ませようとする妹が意地らしくて、奴隷印を優しく舐めてあげた。こうして印を子細に見れば、普通の奴隷印とは微妙に違うことがわかる。
スーヤの逃亡奴隷の烙印は消せた。
でも、まだ犯罪奴隷の烙印は残っている。
こればかりは彼女が奴隷である以上消えることはない。
犯罪奴隷は奴隷商に見つかれば、主人がいても問答無用で捕まる場合がある。
暗いところのある奴隷をわざわざかばう主人はいないし売ってもいいでしょ? とそういう感覚だそうだ。
そんなわけでこの半年、スーヤは屋敷から出たことがない。
この街でアクアの名前は名声という意味でも悪名という意味でも知れ渡っている。
つまり、少なくとも屋敷にいる間は安全が保障されているわけだ。
保障されている、わけだけど。
「もう、そんなに心配しないでください」
「でも……」
「もう」
しょうがない兄さんですね、とため息をつき、妹オオカミは俺の顔をひと舐めする。
そしていたずら気に、
「応対はアンリヴァル様がしてくれました。スーヤは大人しく部屋の掃除をして一日をすごしました。一歩も外には出ていません。これで安心しましたか? ご主人様」
ちょっと照れのある口調に、俺の身体を甘い雷が駆け抜ける。
おいなんだよこの可愛い生物。
俺は一瞬で元気を取り戻した。妹は兄を元気にする魔術師なのだ。
「ごめん、最後のもう一回言って!」
「あは、やーです♪」
ああん、いけず! でも可愛いからよし!
「ほらほら、バカやってないで食事作ってください。アクア様がお待ちですよ」
「おう、了解」
厨房からわけてもらった食材をカバンから取り出しながらリビングへ。
そこにはいつも座っている椅子に座り、いつもと変わらずアンリヴァルを後ろに控えさせ、いつもと変わらず本を読むアクアがいた。
相変わらずアンティーク出そろった部屋もあいまって、名工が丹精に彫った彫刻めいて絵になる子だ。
ちなみに白騎士と黒騎士の姿はない。
というかはじめて会った時から今日まで姿を見ていない。
どうやらあの時は俺を警戒して護衛につけていたらしい。
ただし、今日は他に来客がいたようだ。
「あ! おかえりワンコ!」
「……おかえりなさい」
「ティアにリリィ?」
どうやらスーヤの言った訪問客というのは彼女たちのことだったらしい。
彼女たちはアクアの正面の席に座り、両手に卵を持ってウニョウニョしていた。
別にふざけているわけじゃない。
これはれっきとした魔術の訓練だ。
魔術は保有魔力が変わらない以上、いかに効率よく使うかで決まる。
そのため適当な物に魔力を通しては発散させ、通しては発散させを繰り返しコントロールの訓練をするわけだ。まぁ一般的に石とか木とか、森で俺がしていたものが多いんだけど、二人はただでさえ割れやすい卵を、しかも両手で使っているらしい。
アクアの指示だろうか?
だとしたら綺麗な顔をしてずいぶんなスパルタだ。
あんな固定した二つの縫い針に、両手で同時に糸を出したり抜いたりするような気の遠くなる訓練、俺なら発狂して投げ出す自信がある。
まぁ、本当は実際に魔術を使ったほうがいいんだけど、二人ほどの実力になってくると、下手にぶっ放すと怪我しかねないし仕方ないか。
その点俺はフレイア相手に遠慮なく使えるから恵まれていると思う。
なんとなしに二人の様子を見てみる。
リリィは……相変わらずすごい。
こっちによそ見しながらすごい速度で出し入れを繰り返している。
たいしてティアはこっちを見る余裕もなく微動だりしていない。
なのに時々卵が震えているから、加減の調整に苦戦しているのだろう。
見たところ、やっぱり魔術の扱いではリリィが上手のようだ。
「おかえりなさい」
「はい、ただいま戻りました」
ぼうっと立つ俺にアクアから声をかけてきた。
ガラス玉みたいな瞳が俺をジッと見つめていた。
「今日はなに?」
「野ウサギのロワイヤル風です」
「? 聞いたことない」
「はじめて作る料理ですからね」
「……美味しい?」
「王宮の皆さんはおいしそうでしたよ」
「なら美味しい。楽しみ」
ほんとに楽しみにしてるのか?
あまりに無口すぎて、彼女のことは半年同じ屋根の下にいてもわからないことがある。
普段表情豊富なスーヤや、サバサバしたティアや、天真爛漫なリリィと一緒にいるため、余計にそう感じてしまう。
そんなアクアだけど、日中いつも一緒にいるスーヤ好印象で、「あれで結構天然さんで面白いし可愛い人なんだよ」とのことだが、うーん。
「ウィルディー様、食材はこちらでよろしいですか?」
「あ、すいませんアンリヴァルさん。荷物を持ってもらって」
「いえ、これも執事の仕事ですから」
むしろ俺はスーヤの一件以来アンリヴァルと話すことが増えた。
立場は違うけど、同じ誰かに仕える身として、彼の立ち振る舞いはとても参考になる。
いくらティアが気にしないけど、周りも同じ目で見てくれるとは限らないからね。
「さて、最後の仕事といきますか」
気合を入れ直し取りかかる。
アクアはスーヤを守るうえで唯一のパトロンだ。
疲れちゃいるけど、手は抜けないよね。
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