第10話「新たな戦場」 後篇
「ビネガー、白と赤葡萄酒に塩、砂糖、ソイソース……ってうぉお! 醤油かよ! ってことはこっちの固形物は味噌か!」
想像以上に豊富な調味料の数々に思わずテンションが上がる。
しかも調味料の多くは元の世界そのままなことが多くてわかりやすい。
異世界転生ものの多くはとにかく醤油の入手に困難してたけど、ここはそうでもないらしい。
まぁ創意工夫できない点でちょっと残念ではあるけど。
その一方で――
「ヴ、ヴィート?」
謎の白い粉に首をかしげる。
ちょっと実食……ペロ、これは! 青酸カリ!!
ってそんなわけもなく小麦粉だった。
調味料のほとんどは名前がそのままでわかりやすいけど、ときどき名前が一致しないものがあった。法則性がわからないのが辛いな。
じつにややこしい……けど、俺が慣れるしかないんだよな。
「あの……スイチョウの湯通し終わりました」
「うん、ありがとう」
俺はテーブルに並んだ野菜や肉、調味料の数々を吟味していた作業を中断し、皿の上で湯気をあげるスイチョウに視線を移す。
「言われたとおり内臓は取り出し丸ごと塩茹でしましたけど……これに何の意味が?」
「うーん、とりあえず食材の顔が見たくてね」
「顔、ですか?」
「スイチョウは何度か触ったけど、設備が整った場所での調理ははじめてだからさ。肉食材の湯通しは素材の特徴がダイレクトに出るんだ」
「は、はぁ……」
いまいちピンときていない様子で手の使えない俺に変わり肉をほぐしてくれルナ。
もも肉、胸肉、手羽、皮。
野鳥ということで寄生虫の心配もあるしレバーは見送る予定だから除外し皿へ盛る。
最後に底の浅い皿に湯通ししたとき取れた出汁を並べた。
丁寧な仕事だ。
彼女の性格がよく出てる。
というかこれ、ペットにエサをあげてる姿にしか見えないような……まぁいいか。
「ふむふむ、肉がしっかりしてるな」
むしろ身がしっかりしすぎて湯通しだけでは固い。
鼻を抜ける独特の香りは臭みと取るか旨みと取るか人によって分かれそうだ。
だけど出汁はいい、非常にいい。
これだけで十分いける。
米と一緒に炊いたら最高だろうな。
醤油やポン酢、昆布だしとの相性が良さそうだ。
山鳥というより鴨肉に近い。
となれば薬味……一番いいのはネギか。
「んーでもそれだとインパクトに弱いか」
そもそもそれくらいこちらも知っている可能性は高い。
なにせカモがネギ背負って~っていうくらい最強の組み合わせだしな。
そもネギがあるとも限らないし。
ティアが啖呵を切った以上、俺が負けることは許されない。
だとすればネタ被りは避けるべきだ。
その上でインパクトがあって珍しい料理である必要もあるだろう。
かと言って奇をてらしすぎるのもまずい。
いくらうまくてもコオロギの丸焼きを出されては食う気をなくす。
あれって見た目グロテスクだけど、酒のつまみには結構あうんだよなぁ。
ともあれつまり、珍しくもどこか親しみやすい料理を目指すべきだろう。
もちろん美味しいのは大前提として、だ。
「ルナ、ここでは火入れはどこでしてるの?」
「えとえと、あちらです」
指差された先にあったのは鉄製の大きな調理台だ。
なんで調理台? と疑問に思ったのは一瞬。
側面にいくつも窓があり、その横には薪が山積みになっていることに気づき得心がいった。
どうやら機械式のものでなく、薪で温める原始的な物らしい。
熱せられた調理台は鉄板焼きのように調理できるようだ。
……それにしても、ふむ。
これじゃ炒め物には最適だけど、フライパン越しじゃ火力不足で油は温めにくいか。
そも見た限り液体の植物油は常備が少ない。
ほとんどは動物性の固形脂だ。
もしかして高級食材なのだろうか? あるいはそれほど一般的ではないのか。
ふむ、ここは次点を選択することにしよう。
「直火で炙れるようなものはない?」
「炙る……ですか? それならダイニングに暖炉があるので、それを使えば」
「暖炉か、それサイコー」
暖炉は最高のオーブンだ。
欧州じゃまだ七面鳥を焼くとき暖炉の火を使っている場所があるレベルだしな。
問題はこの世界の建築技術でどこまで気密性があるかはわからないことか。
さてどうなのだろう。
温度調節は難しいからつきっきりになるだろうし……。
あと、できれば肉の下処理に一晩乾燥させたいのだけど、そこまでする時間もない。
どうしたものかと悩んでいるとテレサが水魔術を使っているのが見えた。
「あれはなにをしてるの?」
「えとえと、軟水を作っているのだと思います。このあたりは石灰層なので、地下水は硬水なので」
「ほほう」
納得。料理において水の硬度は超重要だからだ。
その地域の食文化は水によって築かれると言っても過言じゃない。
軟水は水に含まれたミネラル分が少ないため、とても繊細でピュアな出汁をとることに優れている。日本食はこの軟水がなければ完全再現は難しい。欧州で日本料理店を出す店では、わざわざ京都から水を空輸してるところもあるレベルだ。
一方で硬水はその豊富なミネラル分で肉を煮込むとアクが出やすく、すくい取れば臭みの少ない肉料理が簡単に作れる利点がある。また麺類のタンパク質のでんぷん質とも結合し強いコシを出せるのだ。パスタを茹でる時に塩を入れる人が多いけど、これも日本の軟水を硬水の条件に近づける工夫だったりする。
閑話休題。
さて、ということはテレサは出汁で何か作るわけか。
軟水で繊細な乾物の出汁を、硬水でスイチョウの力強い出汁をそれぞれ取って合わせるってところか?
なかなか気配りのとれた調理だ。
水にまで気が回る料理人は、元の世界でもそう多くはいない。
……しかし、料理に魔術ね。
「なぁ、ここでは料理で魔術を使うのは当たり前なのか?」
「はい。水を作ったり、火を調整したり、風で乾燥させたり、土でない食器や調理器具を作ったり。魔術は料理に欠かせないものの一つですから」
「へぇ、そこまでか」
「はい……だから魔術の使えない獣人は、厨房では立場が弱くて」
えへへと笑うルナに彼女のおかれた状況がやっと見えてきた。
言われてみれば厨房で彼女以外ケモミミを持った人はいない。
……なるほど、そういう背景ね。
とはいえ魔術がなくても下処理の方法はいくらでもある。
別に劣等感を覚える必要はないと思うけど。
ためしに風魔術で肉の乾燥をこころみる。
するとなんということでしょう!
本来は一晩かかる下処理がものの数秒で終わりました!
……すげぇな魔術。
元の世界で地味な下処理をしてきた俺からすると、完全にチートである。
思えば森で干物を作ったときも、この方法を知っていればもっと簡単だった気がする。
やっぱり魔術の利便性の高さはすごい。
だいたいのことが解決できてしまうぞ。
考えてみればオオカミの体で不便をあまり感じないのもこいつのおかげだしな。
そこまで考えてふと納得する。
ここまで便利な道具があるのだから、下処理などのの調理技術が発達するとは思えない。
だとすると、この世界には下処理という概念すらあるか疑問になる。
魔術の使えないルナが料理の道を志すのはかなり高いハードルなのかもしれない。
とはいえ今は嬉しい誤算だ。
おかげでほとんどの問題は取り除かれたに等しい。
「小麦粉……ヴィートもあるし、調味料も一式揃ってる。あと調理器具で足りないものは土魔術で作るとして……」
これは、行けるな。
見た感じ、この世界も今まで読んできた異世界転生ものの例に漏れず、中世ヨーロッパに近い世界観であるらしいことはわかっている。
だとすればこの料理は彼らが見たことのない料理になるはずだ。
「よし、整いましたっと。ルナ、俺はもう一匹スイチョウを捌いてるから、その間に油を温めておいてくれる? 少量でいいから。あとこれと、これ。あとはお米を一緒に炒めて香りづけしておいて」
「え? ええ? あのあの、一体何を作るんですか?」
「それは見てからのお楽しみってことで」
――さて、それじゃあ。
四〇〇〇年の歴史とやらの威を借りるとしますか。
※
結果から言おう。
料理対決は俺の圧勝で幕を下ろした。
「これがうちのシェフたちに一泡吹かせた、ミーティアの使い魔の料理かい?」
その日の夕飯。
リリィとの約束通りスイチョウの料理がテーブルに並んだ。
その数々をカルノ王だけでなく、サテル王妃やアメリア、リリィも目を丸くして驚いた様子で見つめていた。
「スイチョウの皮を野菜と一緒にヴィートの薄皮で包んで食べるか。鳥皮はもっとぶよぶよしたものと思っていたが、これは美味いな」
「そうね、こっちの身の部分も外はサクッと、中はプリッとしてて美味しいわ」
「スープも悪くないな」
「うん! ワンコにお願いして正解だったわね!」
「どうしてリリィが自慢げなのよ」
反応は上々。みな初めて食べる料理に驚きながら舌つづみを打つ。
食事前はともかく、食事中は基本静かなこの食卓では少し珍しい光景だった。
「ところで、これはなんという料理だい?」
ティアにそう聞いたのはカルノ王だった。
彼が俺に直接訪ねなかったのは俺がティアの所有物と考えているからだろう。
「ウィル」
「はい、ご説明します」
俺が一礼し解説すると、隣に立つルナも慌ててぎこちなく真似をした。
その目は潤んで見るからにおびえた様子だ。
うーん、協力者だしついてきてもらったけど、逆に迷惑だったかな。
「『北京ダックの新芽野菜包み』になります」
「ぺきんだっく? 不思議な名前だね。君が考えたのかい?」
「あ、えっと……北京ダックというのは僕の住んでいた森でのスイチョウの呼び名です」
「なるほど、そういう意味か」
あ、あっぶねー。
誤魔化せたけど、北京とか元の世界の地名だし、追求されたらボロが出るところだった。
「ちなみに肉はほぐして下味をつけ、卵を繋ぎに朝食のパン……ティーを砕いたものをまぶして油で揚げています。付け合わせのスープは骨から取った出汁を野菜と合わせて煮込み、塩で味を整えたものになります」
パンティーとはヴィート……小麦をこねって発酵させ焼いた食べ物だ。
いや、待って。
言いたいことはわかるけど下着じゃないよ! ほんとだよ!? ほんとにそんな名前なんだよ!!
と言うか「砕いたパンティーを衣に揚げる」とか、真面目な顔で人に説明するとか、完全に羞恥プレイだよね! なにこの罰ゲーム!?
わかってくれてると思うけど一応説明しておくと、小麦粉を発酵させて焼いた食べ物。
つまり、パンティーとはパンのことだ。
朝の食べ残しに余っていたパンティーが丁度いい感じに乾燥し固いパンティーになっていたので、パンティーを風魔術で粉砕してパンティー粉を作ってみたわけだってもうわけわかんねぇなこれ!
まぁ、ようするに『から揚げ』と『鶏がらスープ』だね。
『北京ダック』が少しトウガラシを入れて辛味をつけた大人味なので、子どもも大好きな揚げと万人受けするスープをつけたわけだ。
から揚げなら少ない油でも作れるし、一般的でないのなら揚げ物というのはインパクトがあるいと踏んでの選択だ。
「皮、肉、骨。まさにスイチョウづくしというわけか。なるほど、たいした腕だ」
ガツガツ食べるカルノ王の言葉に内心頷く。
そう、それがこの料理の本質だ。
俗にいうフランス料理とは総合芸術だ。
スープからはじまり、前菜、魚料理、肉料理、ドリンクと、一品では完成しない。
辛味の後に酸っぱいものを出し口の中をリセットし、苦みの後に甘みのある物をだし引き立てる。
そうして一皿でなくすべての皿で一つの料理を舌の上で完成させる。
この世界の上流階級の食事もこの手法を取り入れている。
もちろん王宮も例外ではない。
対して中華料理も満漢全席のようにコースで料理を出すことはある。
源流が同じ宮廷料理から派生した食文化のため似たものと考えられがちだが、その本質は日本料理に近い。
それが『一つの食材を使い切る』文化だ。
日本ではなぜか北京ダックだけが有名で、皮だけでなく肉も包むことが多いが、あの料理の本質は一つのコース料理で鳥を使い切ることにある。
たとえば今回は北京ダックで皮を食し、から揚げで肉を食し、骨は鶏がらスープのだし汁として使い、内臓は今回見送ったけど漢方として食後の胃薬となる。
こうして食材を余さず使い切る食文化なのだ。
この考えは『一つの素材の良さを極限まで引き出す』ことに特化した日本と非常に近い。
誤解を恐れず言うなら、海、山、野。自然をコースの中にすべて取り入れるフランス料理とは、似ているようでむしろ対極に位置すると言っていいのだ。
ならばこそ彼らには親しみ深いようで物珍しいものに映る。
まさに今回の一品としてこれ以上のものはない。
「でも少しお腹にたまるわね」
ふぅと息をついてサテルが口をふく。
「母様は最近食が細すぎますよ。仕方ないから私が食べましょう」
「そんなこと言って~。フレイア姉さまが食べたいだけじゃないの?」
「ふふ、否定はしないわ」
和気藹々と進む食卓。
賑やかだ。いいことだ。
やっぱりどんな世界でもうまいうまいと食べてくれる姿を見るのは料理人の本懐だな。
ここの料理人たちみたいに競い合い高め合うのも悪くないけど、あくまで向き合うのは食べる人。
そこを忘れちゃダメだと思う。
ふと隣のルナを見る。
なんのことはない、彼女はどうだろうと思ったからだ。
相変わらず表情は緊張から硬い。
顔を隠した前髪の下でチワワみたいに涙目の目が見えるようだ。
でも、隠れていない口元はほんの少しだけ柔らかな弧を描いていた。
……うん、やっぱりこの子いいな。
俺は一つの決意をしてティアを見る。
相変わらず家族の前では大人しい。でもいつもより表情は柔らかく、どこか誇らしげな姿を見て、頑張ってよかったと思うのだった。
今回登場の異世界食材パンティーですが、元は「パティー」だったのを、僕のパソコンがしつこく「パンティーじゃないですか?」と聞いてくるのでそっちを採用しました。今は反省している。