第10話「新たな戦場」 前篇
10話目です。そう言いながら話数は20超えてます(どうしてこうなった
朝の食事を終えると、ティアは書庫に籠るのが日課だ。
なんでも朝は一番頭がすっきりしているから、自己鍛錬にもってこいなのだとか。
一〇歳で朝から勉強を日課にしてることに驚きだ。
俺がそのくらいのころは、ゲームでウェーイするか外でウェーイしてた記憶しかない。
ともあれそんな彼女につられたわけじゃないけど、俺も一緒に勉強するようにしていた。
なにせ学ぶことは山ほどある。
歴史にモラル、作法なんてものも後々覚える必要があるだろうしね。
はじめてカルノ王と会ったとき、どうオオカミの体で敬意をしめせばいいかわからず、犬の服従のポーズと同じように腹を見せて寝転がってみたら、慌てたティアに頭をサッカーボールキックされた。
あれは痛かったので作法は最優先だね、うん。
だけど今日はそうもいかない。
なにせ別の勉強……というか準備が必要だからだ。
「今日は別行動していいかな?」
「うん? 別にいいけど、また街から出るつもりじゃないでしょうね?」
「違うよ、リリィ様からの言いつけがあっただろ? あの用意をね」
背にカバンを背負いなおし「わふ」とため息をつく。
ちなみのこのカバンはティアからのプレゼントだ。
中には【付与】を施した刀や、香辛料の小瓶なんかが入っている。
「でも夕飯に出すんでしょ? 気が早くない?」
「調味料とか、つけ合せにどんなものがあるかとか、知らないことが多いからさ。できれば今のうちに調理場に入りたいんだけど」
「……ああ、料理長が面倒ってことね」
さすが話が早い。
俺は眉を寄せしょぼんと肩を落とし、しっぽも力なく垂れさせる。
心底困ってますと保護欲をそそらせる空気を意識した。
「うん、だから、さ。ティアからもひと言ほしいなぁって」
「リリィに命令されたってだけでも十分だと思うけど」
まぁあれでも第三王女だしな。普通はそれで十分なんだろうけど。
「テレサさんは頑固だから」
「……ようするにあたしからも直接説明がほしいってこと?」
「うん、お願いできるかな?」
「あたし、あの人たち苦手なんだけど」
ティアはあの人でなくあの人たちと言って、「うへぇ」と舌を出す。
うん、わかる。
王族の食事をまかなっている自負からか、ここの料理人のプロ意識はかなり高い。
俗に言う意識高い系というやつだ。
ただし意識高い系は自分より上の立場の人間の声には素直に従ってくれるチョロさがある。
あいつら「頑張ってる俺カッケー」と、手でエアろくろを回しながら横文字使ってご高説したいだけだもんなぁ。
その道の人や直接の上司に「それ違うでしょ?」と言われるのにめちゃめちゃ弱い。
厄介なのは正真正銘『意識が高い』人間だ。
奴らは自分が素晴らしいと思ったことは他人にも素晴らしいと心から信仰している。
ゆえに、その素晴らしさを他人に押し付ける。
そのことを善とも悪とも考えず普通のことと考えている。
だから上の言葉にも影響されない。
何故なら正しいのは自分だから。
よく言えば個が確立した人、悪く言えば頑固。
料理長のテレサはその典型みたいな人間だ。
ラーメン屋の店主をイメージすればわかりやすい。
そしてそういう人間に付き従う人間は、総じて意識高い系となる。
あくまで『系』だ。
強すぎる個に当てられて、自分も強くなった気になるのはよくあることだ。
そうならなかった人間は「ふぇえ、高いところ怖いよぉ」と高所恐怖症になって辞めていく。
つまり、この王宮の調理場は意識の高い人間に付き従う、厳選に厳選を重ねたエリート意識高い系の巣窟ということだ。
………………地獄かな?
いや、現実逃避はやめよう。
ようするに、リリィの命令と言えば大半は納得させられても、テレサだけは納得させられない可能性があるということだ。
「仕方ないか」
少し面倒そうにしながらさっさと厨房に歩き出すティア。
心の中でお礼を言いながら、俺もその後を追うのだった。
※
「この煮込みの担当は誰だ!」
「はい! 自分であります!!」
バギッ!
「馬鹿野郎! 骨を煮込むなら肉を削ぎきれと何度言ったらわかる!」
「はい! 申し訳ございません!」
「手間を惜しむな! 食材を愛せ! お前は誰の食事を作っている!」
「はい! 国王カルノ=フィルデア=アルベルノ様並び、王族の方々であります!」
ドガッ!
「違う! 我々が作っているのはアルベルノ王国の食そのものだ! 王家で生まれた料理ははじめに貴族たちに、そして高級商人を経て庶民に浸透していく。そうしてアルベルノ料理は築かれてきたのだ。ここが食の最前線なのだ! 貴様はその歴史に、伝統に、汚点を残すつもりかぁああああ!!」
「申し訳ございませんんんん――――ッッッ!!!!」
…………………………うわぁ。
厨房の入り口を開けた瞬間の俺の感想はひと言、うわぁである。
ちなみに隣にいたティアはうへぇって感じの顔。
なにこのガチ〇コみたいな空気。
怒られてる方も殴られてむしろ「俺、こんなに本気で怒ってくれる人はじめてだ……なんか嬉しいぜ」みたいな顔して恍惚としてるし。
俺はいつから青春SMジムに来てしまったのだろう。
「はっ! ミーティア様!!」
入り口に最も近い場所で皿洗いをしていた青年が俺たちに気づく。
すると彼の声に数十人の視線が一斉にこちらを向いた。
一糸乱れぬ動きだった……なにこれ怖い。
「こ、これはミーティア様!」
俺たちを迎えたのは意外にも女の声だった。
料理人らしい白を基調とするシェフ服に、よく日に焼けた肌がよく似合う女性だ。
歳は一〇代後半くらい。
元の世界換算で大学生と言ったところか?
強気な顔つきと肩口で切揃えられた髪が男勝りといった雰囲気。
厨房に立つには若い気がするけど、その耳がとんがっていることに気づけば疑問は氷解する。
彼女はエルフなのだ。
正確にはハーフらしいけどそれ以上詳しく聞いたことはない。
少なくとも見た目と年齢は=(イコール)でないのだろう。
ただエルフ特有の静謐さなど欠片もなくて、男ばかりの厨房で戦っているある種の貫録が伝わってきた。
「こんな早朝から……まさか、朝食に何か問題がありましたか!?」
「え、あ、そうじゃなくて――」
「朝食の担当は誰だ!」
「今日は三班の担当です!」
「よし! とりあえず指詰めて誠意をしめせ」
「「「「はい!! 申し訳ございません」」」」
なんだかとんでもなく物騒なことを言いだしたと思ったら、まな板に手を置き空いた手で包丁を握ると躊躇なくそれを振りおろし――って待て待て待て!
「ワン!!」
咄嗟に吠えた。
厨房でありえない獣の声に驚き彼らの手が止まる。
その間にティアも我に返り、慌てて修正する。
「い、いえいえ! 朝食はとてもおいしかったです。みなさん、ありがとうございます」
ドン引きで引き攣った笑顔でお礼を言う。
一拍の静寂。
次の瞬間、握った包丁がからんと音をたてて落ち、料理人たちはひざから崩れて泣き崩れる。
「も、勿体なきお言葉ァアアアア!!」
「私は、私は、この日のために包丁を握り続けてきたのかぁああああ!!」
「せっかく僕の指をプレゼントできるチャンスが」
「もうこれで……終わってもいい」
発狂した。
「ひっ!」
あんまりの光景に、ティアが俺の後ろに隠れる。
珍しくガチビビりしたらしい。
「もうゃだぁ、この人たちこわぃ」
うん、ごめん。マジごめん。
これ、いくら大人びているからって子どもに見せちゃいけない人たちだ。
意識が高くなりすぎて意識が次元まで飛んでいってる。狂信者になってる。
王家も雇用の際はSANチェックくらいしろよ。
なんだこの危ない集団は。
」
「ところでミーティア様、そちらの犬はなんでしょう? 今晩の食材でしょうか?」
「ち、違うわ!」
使い魔を食材扱いされて慌てて否定するティア。
あっはっは、面白いジョークだ! ……ジョークだよね?
え? 人間以外の目に映る物が全部食材に見えるの? なにそれほんと怖い。
「この子はウィルディー、あたしの使い魔よ。あなたには紹介したはずだけど」
「……ああ、そういえば。これは失礼」
眼中になかったとでも言うように形ばかりの一礼すると、すぐに俺への興味はなくなったようにティアへと向き直る。
「もしや、それを言うだけのために我々下々のところへ来てくださったのですか!?」
「えっと、そうじゃなくて」
無駄な高いテンションに押されながら言いにくそうに続けた。
「彼に一品作らせてあげてほしいの。申し訳ないんだけど、厨房を少し貸してくれない?」
「……彼、ですか?」
再び視線が俺を捉える。
だが今度は先ほどまでの表向き友好的なものですらない。
明確な――敵意にも似た強すぎる眼光。
だがそれもすぐに収まる。続いて浮かんだものは――
「申し訳ございませんミーティア様、それは出来かねます」
「どうして?」
「厨房とは料理人にとって神聖な場所。衛生面で獣を入れるというだけでも問題です。ましてや料理をさせようなど。それに……」
テレサがふっと鼻で笑う。
嘲笑という言葉を額縁に飾っておきたくなるくらい完璧に、見下した態度で吐き捨てた。
「犬が作るエサを人間が食べられるとは思えません」
……あ、今のは少しカチンと来た。
「ふーん、そう。エサねぇ」
と、なぜか彼女の言葉を反芻したティアからぶるっと震えるような冷気を感じた。
俺を見ていたテレサも同じ物を感じたのか、同時に振りかえってしまう。
そこには満面の笑みを浮かべているいつものティアがいた。
いつもの笑み……なのに、俺は心底それが恐ろしく思えた。
「じゃあこうしましょう。ここにスイチョウがあります。今朝リリィが仕留めてきてくれた食材よ」
「第三王女が手づから!?」「おぉなんと恐れ多い」「僕の切った指を料理に混ぜたい」「一羽はく製にしよう。下方にするんだ」
まるでただの鳥の亡骸を、神の子が掲げるパンとワインのごとく崇める料理人たち。
っていうか、さっきから執拗に指を切りたがってる奴はなんなんだ。
「今からウィルの実力を知ってもらうために料理勝負をしてもらうわ。お題はスイチョウを使った料理。審査はあたし。ウィルが負ければ二度と彼を厨房には入らせないと約束しましょう。ただし、勝てば彼が厨房を出入りすることについて文句は言わせません。あなた方も料理人なら、実力で白黒をつけた方が後の遺恨もないでしょう? あ、でもウィルこの通り四肢を地面につけるオオカミ。助手にお一人貸していただけるかしら?」
「いえ、しかし、そんな急に言われましても」
「あら? 不服?」
「い、いえ!? そういうわけでは!」
急な申し出に戸惑うテリア。
そんな彼女の動揺に畳み掛けるように続ける。
それはそれはいい笑顔を浮かべたまま。
「なら条件を加えましょう。あなたたちが勝ったら二度とウィルに包丁は持たせません。今後一切、サラダすら作ることを禁止させます。あと都合よく食材はいっぱいありますから、どうぞみなさん束になってかかってきなさい。一人でも勝てばこちらの負けでいいわ」
隠すつもりのない不遜な物言いに厨房の空気が変わる。
「……ミーティア様、それは我々への侮辱でしょうか?」
「侮辱だと言いたいのなら、まず勝負に勝ってから言ってちょうだい。というかね」
殺気立つテリアの正面に立つティア。
一〇歳の少女とテレサでは身長差があり見上げるような形だ。なのに、
「むしろそれはあたしが言いたい台詞なのよね」
強い火がより強い火に飲まれるように、テレサの目から闘志の火が消えた。
見た目可憐な少女を前に、大の大人が完全に飲まれていた。
ここでやっと俺はティアの笑みのいつもと違う点がわかった。
張り付いたように弧を描く口元とは対照的に、目が笑っていなかったのだ。
それがあらわすものは――明確な怒り。
「あまりあたしの使い魔を舐めないでもらえる?」
こうして予期せぬ料理対決が幕を開けた。
※
「何か質問は?」
「審判はミーティア様ということですが、ジャッジは公平でしょうか?」
「ええ、その点は信用してもらって構わないわ。なんならここで王家の家紋に誓いをたててもいいけど?」
「……いえ、その言葉だけで十分です。失礼な質問をして申し訳ございません」
「いいえ、当然の質問よ。気にしていないわ」
なにやら当事者を置いてけぼりにしてルールを決めているらしい声が聞こえる。
……どうしてこうなった。
夕飯に一品を作るだけだったはずなんだけどなぁ。
あんまり大ごとになって立場を悪くするのはよくないと思うんだけど……ティアは何をそんなに怒ってるんだ?
「わっかんないかなぁ」
そんな俺に呆れ混じりな声がかけられる。
テリアだ。
「んだよ、わかったような言い方して」
「むしろわからない君にビックリだよ。あのね、君とミッティーは一蓮托生なんだよ? パートナーなんだよ?」
「? それが??」
「……じゃあ聞くけど、スーヤがバカにされてたら、君はどうするんだい?」
「魔術ぶっ放しで肉片も残さず殲滅して生まれたことを後悔させるけど?」
なに言ってんのさ。そんなんの当然だろ?
「あーうん、ごめん。聞き方間違った。じゃあある日突然「この方と付き合ってるの」とか言って別のオオカミを連れてきたら――ねぇ、なんで泣いてるの!? 床に力なく突っ伏して咽び泣いてるの!?」
「その、時は……俺は、辛さを押し殺して、ころ、して――ッ!!」
「泡!? 口の端から泡吹きながら言葉絞りだしてる!? も、もういい! もういいから! ごめん! スーヤちゃんはどこにもいかないよね!? っていうか口調変わってるよ!? 人格崩壊するほどのことなの!?」
「現在進行形で離ればなれなんだよなぁ」
「意外と面倒くさいな君は!?」
いや~、スーヤの結婚とか兄として嬉しい甘すっぱい経験のはずなのに、想像してだけで心臓が止まりそうになったぞ。すごいな、頭と心の乖離でいきものってほんとに死ねるぞこれ。
「あ、あの……」
と、 そんなふうにテリアとバカをしていると俺に声がかかる。
「うん?」
「ウ、ウィルディー様のお手伝いをお申し付けられました。ルナと申します!」
丁寧な名乗りをして頭を下げる少女が立っていた。
おどっとした雰囲気を象徴するように、栗色ショートの髪は前髪が長く片目がすっぽり隠れてしまっている。低い背も相まって小動物みたいな印象うける。物静かな雰囲気もあいまってぱっと見は地味系美人、よく見ると普通に可愛い美人さんだ。アニメやゲームならキッチンにいるより図書館にいた方が様になりそう。
そんな彼女の一番のポイントは頭に生えるケモミミだろう。
縞模様の入ったそれは猫耳というより虎耳っぽい荒々しさがある。
それがまた彼女の雰囲気とギャップがあって印象に残った。
あと付け加えるのなら……デカい。
サイズが合っていないブカッとしたシェフ服の上からでもわかるくらいデカい。
何がっておっぱいがだ。
どうやらこの世界のケモミミっ子も発育がいいらしい。
うん、そういう形式美、おじさん嫌いじゃない。
「えっと、うん。よろしくね。あとごめんね。うちのご主人が無茶振りして」
あの空気だ。
俺の助手をするなんて、立場を悪くするだけで彼女にとっては百害あって一利もない。
そう思ったのでとりあえずはじめに謝ることにした。
「い、いえ! そんな謝らないでください!」
俺の頭が下がるのを見てルナは慌てて両手を振った。
「気にしてませんから! ……もともと私、ここでは浮いてましたし」
あははと、鼻頭を掻いて困ったように笑う。
ふむ、ということは厄介ごとを押し付けられたというところか。
少し彼女の立ち位置が見えた気がした。
やっぱりこの世界でも女性は厨房で立場が弱いのだろうか?
それにしてはテレサは料理長らしいし性格の問題かもしれないけど。
「ところでルナはここで働いてどれくらいになるの?」
「ひと月くらいです」
ふむふむ。
かなり最近ってことか。
「どうしてこの厨房に?」
「えと、えと。その質問に意味って……」
「ま、いろいろね。言いたくないならいいよ。それで?」
「あぅ、えと……母が故郷で店を出してて……私もそれに憧れて、機会に恵まれたので、働くならレベルの高いところの方がいいって……」
「修行しに来たと?」
「ですです。……結局、田舎者に居場所はないみたいですが」
たどたどしく断片的に経緯を語るルナは、「たはは……」と自嘲気味に笑い頬を掻く。
ふむ、となると憧れの王宮料理人の末席につけたけど、意識高い系狂信者の巣窟に失望し始めてるってところか。
彼女にあのノリはついていけると思えないしな。
なるほどなるほど。
……これ、すっごくちょうどいい人材ジャマイカ?
思わずない手でガッツポーズを決めそうになる。
というのも、俺にはまだこの世界の食材・調味料・調理法についてはほとんど無知だ。
その道に詳しい人材がどうしても必要だった。
だからここに来た時も真っ先に責任者であるテレサに声をかけたのだけど……馬が合いそうになかったし、他の連中もその思想に侵されダメっぽくて諦めていたのだけど。
ふむ……ここで働いているということは、少なくとも一定以上の腕はあると考えて妥当だろう。
ここの色に染まっていないとなればこれ以上の人材そうはいない。
何より可愛い女の子というのはそれだけで正義だ。
これが終わったら彼女を引き抜けないかティアに相談してみようかしら?
いや、そんな上からの絶対命令じゃ彼女の意志を潰すか。
ここは誠意を込めて俺自身が話をつけるべきだろう。
……まぁ皮算用はこのへんにしよう。
まずは目の前の問題を解決するのが先決だ。
「よし、わかった。じゃあルナ。さっそくお願いしていいかな?」
「はい、何でしょうか?」
俺は首をかしげる彼女に、はじめの仕事を言い渡した。
「厨房にあるだけ全種類の食材を見せてもらえる?」
 




