第1話「いろいろお勉強」
俺は最近頭の毛が薄くなったことを気にする三十七才。
肩書としては一ツ星レストラン、『ヴェレ・クール』店長というのが一番わかりやすい。
趣味は生き物の飼育。
昆虫、熱帯魚、爬虫類なんかも飼っていた。
当然猫もいたし犬もいた。変わり種としてはミニウサギなんかもいたな。
いや、食用じゃないよ? 独身貴族だった俺にとって彼らは家族だ。
休日疲れた体を癒してくれる唯一の友達だったまである。
……今寂しいやつと思った奴。
とりあえず口を閉じてもらおう。
俺だって人間の友達が欲しいよ。
言ってて泣けてきたよ。
でも三ツ星シェフだった父を持った以上、幼少期からの英才教育は強制イベントみたいなもののわけで。
そのよくある例に漏れず遊ぶ暇もなく料理ばかりしてきた俺に、友達を作る余裕も作るノウハウを学ぶ機会もなかったわけで。
今にして思えば、俺が料理人の道に進んだのは、産まれた時から決まっていたガッチガチに強固な線路だったのだろう。
そんなわけで順風満帆な、苦労はあっても危うさのない平凡な毎日を送っていた俺が、どうしてこんなことにファンタジーなことに巻き込まれたのか……。
いやね、そりゃ俺だって学生時代は考えたさ。
学生時代は、窓際の席で教師より催眠術士の方が才能あるんじゃね? と思える担任の授業を聞き流し、ふとさんさんと日の照りつけるグランドを見ながらこう思うわけよ。
「あ~世界滅びてくんないかな」って。
……あ、いや。これちょっと違うね。世代とか年代とか。
俺の時代では「世界滅びろ!」が厨二病少年のデフォルメだったけど、最近は「異世界に転生したい」が一般的らしいし。
当時の厨二病は破壊衝動の止まらないデストロイヤーだが、今の厨二病は妄想力の図抜けたクリエイティブなのだ。
まぁそれはとにかく、
――異世界、そう異世界だ。
こんな学生時代をすごした俺だ。
今でも高層ビルを見上げると壁を足場に空中戦する美少女とインテリメガネを想像してしまうし、なんとなく路地裏に入ってみて事件に巻き込まれないかとドキドキしてみたりするし、年に二度あるオタクの祭典には冬だけお邪魔するくらいはしている。
夏は歳的に辛いからね、仕方ないね。
とはいえそれだけだ。
具体的に異世界転生したいと考えたことはない。
そんな俺だが、どうやらオオカミに転生してしまったらしいことを理解するまで、そう時間はかからなかった。
まぁ理解できたからってすぐ受け入れられたかといえばそんなわけもなくて。
なにせオオカミだ。
なぜかオオカミ大好きな厨二病を発症していた若かりし頃なら「やっべwwオオカミきたこれwww」くらいの軽いノリで受け入れられたかもしれないが、いい歳のオッサンならば「アイエエエエ! オオカミなんで!?」くらいにはとり乱す。
人間ならばいざ知れず、亜人でも許そう。
モンスターまで行くと逆に腹も座っただろう。
だが、なまじ知識のある生物だけに戸惑いも一塩である。
――とりあえず現状確認から、だよな?
そう落ち着いて考えられたのも朝日が三度ほど寝起きしてからのことだった。
なにせどうして自分がオオカミになったのかすら現状ではわからない。
朝起き、着替えて、朝の仕込みをしていたとこまでは記憶がある。そこから俺、なにしたんだっけ……あーそうそう。食材が足りなくなったんだ。
ヴェレ・クールでは室内にエレベーターがあり、地下に野菜や調味料などの倉庫がある。
少し年季の入ったエレベーターに乗り込みB1のボタンを押した瞬間。
ギギギ、と寒気のする異音と謎の浮遊感の後、記憶は途切れている。
――状況から考えてエレベーターが落ちたとかなんだろうけど。
だとしても何故にオオカミなのかという疑問を解決する答えではなさそうだった。
――というかこの朽ち木、樹齢何千年だよ。
大木の峰は小さな祠のようになったっており、空間に敷き詰められた草のベッドが揺り籠がわりになっていた。俺はそこに寝かされている状況だ。
――まずは両親から情報を聞き出すのがテンプレだけど……あれが両親でいいのか?
躊躇しながら仔細に二匹のオオカミを観察する。
察するに彼らがこの体の親なのだろう。
だが、人間だった頃の知識が邪魔をして近づくのを躊躇してしまう。
なにせ相手はオオカミ……凶暴な肉食獣だ。
日本では熊や猪の方が大型害獣として有名だが、欧州やロシアでナンバーワン害獣といえばオオカミだったりする。海外まで食料調達で出向くと、森に入るさいは必ず猟犬を連れて歩くレベル。通常であればまず近づくことさえ躊躇する存在である。
一匹は銀色の毛並みの綺麗な細身のオオカミ。
もう一匹は闇が溶けたみたいな黒一色。
だがそれがいわゆる『普通の』オオカミでないことは、専門家でない俺にでもわかる。
体躯や見た目こそオオカミだ。
でもその四肢には毛だけでなく鉄のような鱗……いや、外殻で覆われ、鋭い爪も相まってガンドレッドでもしているような見た目をしている。
他にも首や肩など、急所になりそうな部分には同じ外殻で覆われ、軽装鎧でも来ているような風体だ。
なんとなく前者が母親で後者が父親だとわかる。
体がオオカミになったからか、オスメスの区別の付け方を知らないのに、なぜかそれがわかった。 まぁ黒色オオカミの体には至る所に古傷が刻まれ、歴戦の戦士のような風格がなかなか凶悪だ。
これでメスと言われても信じられなかっただろう。
「ワゥ!」
突然吠えられ体がビクンと震える。
銀色のオオカミに見つめられ恐る恐る歩み寄る、と頬を舐め上げられた。
どうやら悪意はないらしい。そう理解しやっと緊張の糸が切れる。思えばここ数日、警戒しすぎて飲まず食わずで睡眠すらとっていないことに気づく。
――まずは身体を休ませてからだな。
明日から頑張ろう。そう心に誓って母親(?)のモフモフ毛並みに顔を埋め、夢さえ見ない深い眠りの中に落ちていくのだった。
※
気づけば数か月の時間がたっていた。
数か月といってもここは森の中。時計もなければカレンダーもない。
日が沈み昇るごとに朽ちた木の幹に傷をつけて、何とかそれだけ理解できていた。
成果としては両親の話す内容がわかってきたことが大きいだろう。
というのも、どうやらこの世界のオオカミは威嚇や返事は「ワン!」や「オン!」と犬っぽい鳴き声をするのだが、コミュニケーションではある程度声帯を震わせ、言葉のようなものを使っているからだ。
このへん、さすがなんでもありな異世界というべきか。
――とはいえ俺はうまく話せないんだけどなぁ。
理屈はわからないがどう頑張っても「アン!」やら「クーン」と可愛らしい声しか出てこない。赤ん坊がしゃべれないのと同じだろうか? 見た目どおりまだ赤ん坊っぽいし。
――まぁ野生動物の成長は早いし、喋れるようになるのも時間の問題、かな?
わからないことはとりあえず脇に置いておくのが俺の性格だ。
知らないことをあーだこーだ考えても出てくるのは推測だけだしね。
それよりも両親のことである。
一番はじめに気づいたのは自分に向けて頻繁に向けられる単語である。
ウィルディー。
日本語にするとそんな感じ。
はじめ何かの指示語かと考えたが、どうやらこれが俺の名前らしい。
――ウィルディーか。違和感しかないな。
中身が日本人だけにどうも横文字っぽい単語は耳慣れしない。
だがこうなった以上慣れるしかないのだろう。名前ひとつでこの苦労、今後のことを考え俺は「くーん」と深いため息をついた。
※
さらに数か月の時間がたち四本足にも馴れてきた。
やはり種族が違うと体の動かし方や使い方も違い過ぎて苦労する。
が、コツを掴めばこれはこれで面白い。
まず身体能力が素晴らしい。
走るだけで自転車くらいの速度は軽く出るし、その気になれば爪を使って高い木だって登れる。
欠点と言えばしばらくすると急に体の動きが鈍くなることだろう。
はじめのころはこの現象に頭を悩ませたが、なんのことはない。
単純に体温のあがりすぎで体が動かなくなっていたのだ。
そういえばどこかの書物に人間は体温調節がうまい生き物だと書いてあったな。
なんでも全身で汗をかける人間に対して、普通の生き物はこ足の裏に少しかく程度とか。
体温調節というより滑り止めという感じだ。
オオカミも同じようで、これでは体温は下がりゃしない。
そこで動かなくなったときは意識して口を開き、野良犬がやっていたように「ハッハッハッ」と大きく呼吸をしてみる。
するとわかりやすいくらいに体が冷えていくるのを自覚した。
なるほど、人間が水冷だとすると、オオカミは空冷みたいな感じのようだ。
体の冷やし方がわかってからの行動範囲は一気に広がった。
以来、時間が許す限り周囲を探索するようになる。
時間が余りまくっているというのもあるが、俺にとってここはファンタジーの世界。
見るものすべてが目新しいのだ、好奇心が刺激されないほうがおかしい。
とはいえ周りは森、森、森。
料理人として見れば手付かずの山菜が山ほどとれる環境は天国以外の何物でもない。
が、オタクとして見ると、せっかくの異世界なのにこれでは味気ない。
人間の街を見たいところだ。
だけど、
「ウィルディー、ダメよ」
いつもそばにいる銀色オオカミは、俺が一定の距離まで離れると、首根っこを噛みヒョイと持ち上げ元の位置に戻してしまう。
どうやらこの開けたスペースが彼らの巣らしい。
まだ子どもの俺はそこから出ることはできないようだ。
うーむ、中身は三〇越えのオッサンなのだがね。
こうなったら強行突破しようか……いや、ダメか。体格が違いすぎるし。
どんなに頑張ってもすぐに捕まってしまう未来しか見えない。
これはしばらくこの狭い範囲で世界に慣れるしかなさそうだ。
残念だけど考えようによってはその間は命の保証はされているということだ。
だったら大人しくしておいた方がいいか、親に余計な心配をさせるのも申し訳ないしな。
――くぎゅぅううう
今後の方針が固まったところでお腹がなった。
うん、体を動かしたら食事だよな。
前足で銀色オオカミのお腹をひっかく。
するとやれやれといった表情をつくり、ゴロンとお腹を向けてくれた。
俺はそれを見届けるとすぐさま胸に飛びつき母乳を吸いはじめる。
はじめは殺菌していない乳には抵抗があったけど、なんでも慣れるものだなぁ。
チューチューと母乳を舌の上で転がしつつ考える。
意外と甘みが強い。ミルクとヨーグルトの中間みたいでとろみもあって、乳脂肪分が高いのだろう。これならバターが作れたりしてな。
……母親の母乳でバターを作ろうと考える息子ってひどいな、おい。
もっとも、
食に関して本当の洗礼を受けるのは、もう少し後になってからのことである。
※
オオカミになってから一年の時間が経過した。
このころになると両親の言葉の大半は理解できるようになっていた。
そのおかげでわかったのが二つの衝撃の事実。
一つは俺には他に兄妹がいるらしいということだ。
何故会ったことがないのかというと、どうやらこのオオカミたちには、たとえ肉親でも子どもの間は両親以外と会わせてはいけないという風習があるらしい。
妙な話だが、風習であるのなら何かしらの意味があるのだろう。
ちなみに、兄はかなり年が離れているようで、すでに半分自立しているらしい。
妹は俺と同じ年。つまり双子だ。
だが生まれた頃から病弱で、別の場所で安静にしているらしい。
ふむ……兄貴はどうでもいいが妹は気になるな。
何を隠そう俺は妹というものが好きだ。
正確には妹属性が好きだ。
何故? と聞かれても説明できず「そこに妹がいるから」としか答えられないし、キャル○ー空間の評価で『あの妹√はクソ』と散々に叩かれていようとも、妹キャラなら真っ先に攻略するくらい無条件に大好きだ。
たぶん遺伝子レベルで刻みまれたものなのだと思う。なんのこっちゃ。
ならばこそ病弱という部分が非常に心配になる。
ふむ、会った時のために薬膳料理でも考えておこうか。これだけ手付かずなら薬膳に使える山菜は取り放題だし、オオカミの体でも作れる物の一つや二つ見つかるだろう。
もう一つわかったのは両親の名前である。
いつも巣にいる銀色オオカミが母親のアメリア。
頻繁に巣から出て行って日が暮れた頃に帰ってくる黒色オオカミが父親のファウル。
これらの情報は母アメリアから得た物だ。
というのもファウルはあまり子どもに興味がないのか、話しても短い返事しか返ってこず、話しかけてくることは皆無に等しいかったからだ。
一年も一緒にいるのにこれだもんな。
よっぽど寡黙なのだろう。亭主関白ってやつだ。
「ウィルディーは外の世界に憧れがあるのね」
今日も今日で巣の外をめざし捕まった俺は、苦笑まじりにそう言うアメリアへ、覚えたてのたどたどしい言葉で質問する。
「どうして巣の外へ行ってはいけないのですか?」
年端のいかない息子の突然の質問に僅かに驚くものの、すぐさま顎をあげて考え込む。
幼い子どもでも飲み込みやすいよく噛み砕いた言葉で話し始めた。
「外は魔物のテリトリーだからね」
どうやらこの世界には数種類の生物がいるらしい。
特にアメリアたちが『深き森』と呼んでいるこの森には、大きく分けて二種類の生物がテリトリーを持って生活しているという。
それが、魔獣と魔物。
「人間族が勝手に決めた区分だけど、わかりやすいから私たちもそう呼んでるの」
「人間族……ですか」
「ええ、まだ見たことがないでしょけど、巣から出れば嫌でも見ることになるわよ。あなたの好奇心はその時までとっておきなさい」
なんでも人間にとってこの森はそれほど魅力的に映るらしい。
頻繁に森へと足を踏み込んでは命を落とし、少し探せば遺品の数々を見つけることができるとか。
彼らの目的とは手付かずの資源、そして魔獣・魔物である。
魔獣とは要するに俺たちのことで、高い知性と社会性を持った生物のことをさす。
魔物はその逆。
知能は高いが会話はできず、本能のままに生きる生物の総称のようだ。
人間にとって彼らの持つ特殊な器官や肉・皮といった素材は高い価値があるらしく、討伐収集目的の命知らずが後をたたないという。
つまり冒険者ってことか……そっか、なるほど。ザ・異世界じゃないか。
いつかぜひ会ってみたいものだ。
※
その日は突然やってきた。
「ウィルディーもそろそろ乳離れしないとね」
いつものように母乳を要求した俺に、アメリアはやんわりとそう告げた。
それ以来アメリアが母乳を飲ませてくれる回数は目に見えて減っていった。
そのかわりに渡されるようになったのが……血の滴る生肉である。
…………ない。これはない。
生々しいとかそんな問題じゃない。
さっきまで生きていたからかときどき肉がピクピク動いている。
イメージはピンク色のスライム。
下手するとSAN値が削れるぞ、これ。
「あの、ミルクゥ……」
こうなれば子どもの武器を使って彼女の母性に訴えかけるしかない。
できる限りあざとく、くぅんと鳴きつつ首をかしげ甘えるように。
しかしアメリアは「うっ!」と揺すぶられつつも頑なに無視を決め込んだ。
仕方なく咥えるのも躊躇するそれをつま先で転がし、少し離れたところで途方にくれる。
さて、どうしたものか。
おそらくアメリアの態度からも俺の体は生肉を受け入れられる程度には成長しているのだろう。
だがいくら生食文化の発達した日本でも、血生臭い肉の踊り食いなんてデンジャーなことはしない。
「そもそも生っていうのが問題なんだよな」
だったらと周囲を見わたし乾燥した葉や木の枝を集め始める。
ある程度集まったところで問題はここから。
悩んだ末に手ごろな石を拾うと勢いよく爪で引っかいてみた。
火花が散った。
これは成功する。そう確信し二度……三度……。
四度目で枯葉に火がつき一気に燃え上がった。
よしよし、これで肉を焼けるな。
自身の成果に満足し、調味料はないがいざ焼肉パーティーだと思った矢先だった。
「ウィルディー! 何をしているの!!」
血相をかいたアメリアが駆け寄ってきた。
そして火を前に呑気に座る俺を発見し顔から血の気が引いていく。
オオカミでも顔から血の気が引くんだなぁなどと、呑気に考えていると、
「水よ、我に答えよ!」
突然何事かと思った。だがすぐにさらに驚きの光景が広がった。
アメリアの鼻先に青色の幾何学模様が浮かんだのだ。
「え?」
薄暗い森を照らす淡い光に見惚れたのも束の間。
空中に空いた穴のように浮かぶ魔方陣から大量の水があふれ出す。
容赦のない水流に焚き木の火はあっさりと消え、ついでとばかりに俺も流され――すぐさま宙を蹴ったアメリアに確保された。
魔法。
そんな単語が自然と頭に浮かんだ。
「何をしているの! こんな場所で火を使うなんて!!」
「どうかしたのか?」
見たことがないほど取り乱し叫ぶアメリアに、いつもなら日暮れまで帰ってこないファウルが姿をあらわす。やけに帰ってくるのが早い。もしかするといつもわりと近くにいるのだろうか?
「どうしたじゃないわ! ウィルディーったら火を、火を!」
「火だと? だがどうやってだ。魔術でも使ったのか?」
「え? い、いいえ。私は火魔術なんて使えないし」
「……ほぅ」
この時はじめて、俺はファウルとまっすぐに視線を合わせたのだと思う。
瞳に浮かぶのはどこか懐疑的な疑いの光。
眼光の強さに思わず後ずさりしそうになる気持ちを堪える。
「ごめんなさい」
彼らがここまでとり乱す理由はわからないが焚き木が原因だったことはわかる。
そのためまずは謝っておくことにした。
素直に謝ったことで毒気を抜かれたのか、両親は巣に戻っていく。
とはいえぼそぼそと俺について家族会議をしている声は聞こえてきた。
これは行かないほうがいいな。
そう考え生焼けに水をぶっかけられた肉の残骸を見おろしため息をつく。
どうやら今日のご飯は抜きになりそうだ。
とはいえ今は空腹を忘れられるくらい興味の沸く話題がある。
――それにしても魔法……魔術ねぇ。
異世界転生においてこれほど魅力的な単語はないだろう。
※
さて、状況を整理しよう。
この世界に来てから、俺は俺なりに元の世界に帰る方法を探してみた。
だがここは森の中。調べると言ってもできることは限られる。
一番可能性があるのはこの世界で死ぬことなのだろうが、一枚しかない命のチップを推測で賭けられるほど度胸はない。
結局、数多いる異世界転生主人公たちと同じように、俺も元の世界には帰れないという結論に落ち着くらしいという結論に至った。
そう受け入れるまで一年もかかってしまった。
だが、一度受け入れてしまえば楽しみ方もある。
なにせ異世界だ。
目の前には原生林、手付かずの山菜や未知の動植物はいくらでもいるだろう。それらはすべて未知なる体験と未知なる食材へと直結する。
ゲームや漫画をたしなむ人間としても、料理に生きた人間としても、これほど夢のような場所は他にない。
――……あ~。
あと付け加えるのなら。
オオカミではあるけれど、もう一度やり直す機会に恵まれたこと。
俺の人生は料理人として順風満帆だった。
順風満帆過ぎたと言っても過言じゃない。
ただし強固すぎるレールの上をただ走っただけの、脱線することを考えもしないしする気もわかない人生だった。
世界的にも有名な料理人の子どもとして生まれ、幼いころから英才教育を叩きこまれ、当然のように同じ世界へ入ることを周囲に期待され。
望まれるまま、何の疑問も抱くことなく進み続けてしまっていた。
別に料理人として生きた人生を後悔しているわけではなし、レールをただ走ったことも、むしろその分野で結果を残した自分を誇りに思っている。
だけど。
仕事終わり、キッチンで適当なつまみを作って、その日の気分で選んだワイン片手に、ペットたちに囲まれケーブルテレビの海外ドラマをボーっと見ていると思うことがある。
――もっと別な道はなかったのかなぁ、と。
バンドをするのもいい、旅に出るのもいい。
自分には他にやるべきことがあったんじゃないか。
そんな意味もなければ根拠もない焦りを覚えることがある。
俺は自分のことを他人にゆだねすぎていたのではないか、と。
そしてすぐに我に返るのだ――もう夢に走る歳は過ぎたのだと。
『知識だけの情熱のない料理』
たびたび俺はそう評価されてきた。
知識はある、センスもある。
それらを形にする技術もあるし、組みあげ料理を芸術にまで昇華させる才能もある。
三ツ星シェフである父から徹底的に叩き込まれた基礎を挫折することなく積み重ねた一皿は、あたかも巨大な基礎建築のごとく、メインであるフランス料理だけでなく、和洋中あらゆる料理ですぐに巨大な城を建てることができる。それだけの能力があった。
だがそれだけ。
一流の知識を叩きこまれ、一流の才能を持ちながら、俺個人の深みの無さ。
一ツ星を取ったときでさえ、俺はその地位に固執するわけでも、さらに上を目指すわけでもなく停滞した。熱くなる理由を見つけられずにいた。そんな俺に父が言ったのがさっきの言葉だ。
知識はあっても熱の乗っていない料理。
ただ言われるがままに人生の選択をしてきた俺への酷評だった。
――ここなら見つけられるかもしれない。
自分で選び、行動し、何かを成し遂げる。
そんなありきたりで、当然で、なんでもない。
でも確かな自分が自分の人生の主人公である自覚を。