その手をとってしまったから
「あんた、もしかして、『たいよう』?」
伸ばされた手をつかんでよじ登ると、思ったより息が上がった。うずくまって息を整えるカインを、手を伸ばした影がのぞき込んでクスっと笑う。
「違うよ。ボクはカラス」
その答えに、カインはちょっとだけ安心する。
良かった、化け物じゃない。
そんなカインに構わず、カラスは続けた。
「太陽が出てくるのはもうちょっとあとだよ」
「――――え」
とっさにカインの視線が先ほど這い上がってきた穴に移る。
たいように出会ったが最後、目をつぶされるというのは、モグラ一族に昔から伝わる言い伝えだった。
あんなものただの迷信だと思っていたのに。
と、カインを観察するように眺めていたカラスは、堪えきれずにふきだした。
「―――ハハハっ、そうか、モグラは地底から出てこないからね。太陽どころか光すら目にしたことがないってわけか」
一人で分かったように納得しては、また笑い出す。
「ひかり?」
カインは少しずつあとずさり始めた。
たいようの他にも、外の世界には自分の知らない恐ろしい化け物がいるのかもしれない。そもそもこのカラスってやつも化け物じゃないとは言い切れない。
今更ながら、「外に出るな」というのはモグラにとってただの忠告ではなく一族の掟であったことを思い出す。外の世界は、出てきていい場所ではないのだ。
早く、元の世界に帰らなくては――――
「―――うわあっっ!!」
カインが後ろに引いた右足の下には、もう踏みしめる地面はなかった。あっという間にカインの体は後ろに傾き、重力のままに穴の中に再び落ちて背中を打ち付け―――
「お、っと」
―――ずに済んだのは、カラスが気づいてとっさにカインの腕をつかんだからだった。
「危ないなあ、キミ」
「・・・痛い」
急に引っ張られてジンジンと痛む腕をさすっていると、カラスは相変わらずにこにこと笑っている。
「落ちるよりましだろー?暗いんだから足下気を付けないとさあ。って、モグラに暗いのは関係ないのか?」
なにやらぶつぶつと言っているカラスの言葉には耳を貸さずにあたりを見渡し始めたカインは、ふと頭上に目をやり、固まった。
「なんだ、あれ?」
カラスもつられて顔を上げた。
そこには、雲ひとつない満天の星空が広がっていた。
「あれは『星』だよ」
「ほし? あのちかちかしてるやつか?」
「そう、星。今日は新月だからすごくきれいに見えるね。そういえばキミ、まさか月までまぶしいとかいうクチ?」
「なんだそれ?」
「ハハっ。いつか見れるよ。それより先に、太陽とのご対面は免れないだろうけどね。・・・ってキミどこ行くの?」
知らず知らずのうちにまた後ずさっていたカインは、カラスに見咎められてびくっと立ち止まる。
「そいつは、その、たいようは、本当に目をつぶすのか?」
「んー。モグラがいきなり直視したら、潰れるかもねえ」
見るだけでもつぶれるとはどういうことだ?一体どんな化け物なんだ?
また一歩後ずさるカインに、カラスはクスクスと笑った。
それはまるで、新しいおもちゃを見つけた子供のような、そんな顔で。
「そんなに怖い?」
「あ、あんたは怖くないのかよ?その、たいようが」
「別に、怖くはないかなー。毎日見てるしね」
「毎日っ?」
「そうそう。キミもせっかく地上に出てきたんだから、挨拶でもすればいいんじゃない?」
「すっするわけないだろっ、目つぶされて、食われちゃうかもしれないだろっ?」
カラスはついに堪えきれなくなったのか、お腹を抱えて笑い出した。
ひとしきり笑って、ちょっぴり涙目になった瞳で、ぐんとカインの顔を覗き込む。
「キミ、やっぱりおもしろいね。ボク、モグラに会うのは初めてだけど、すごく気に入ったよ」
一方的にそう告げて、カインの腕を掴んで寝ころんだ。引っ張られるままに、カインもその隣に転がった。視界いっぱいに、星が広がった。
ちかちか。ちかちか。
遥か遠くで輝くそれらは、美しいと思えた。
自分の知らない世界が、ここにあるのだと、改めてそう思った。
「ねえ」
カラスが、手を空にかざしながら声をかけた。
それは、どんなに伸ばしても届かないことを、確かめているようにも見えた。
「ボクは、キミがこの世界を見て、どう思うのかを知りたい」
独り言のように。宣言のように。でも、それは確かに、カインに向けられた言葉。
「だから、ボクと一緒に来ないかい?」
カインはうなづいた。
首を横に振る方法を忘れたのかもしれなかった。
でも、後悔はしないような気がしたんだ。
外に出てきたことも。
アンタに出会ったことも。
その手を、取ったことも。