伸ばされた手があったから
<注意>
この作品にはモグラ一族のほかに、ネコ一族、イヌ一族、オオカミ一族、トラ一族、ニンゲン一族なども登場しますが、一応みんな人間です。
種族の違いは国の違いというか、民族の違いというか、そういうものです。
***
地底に住むモグラ一族には、とある掟がある。
外の世界に出てはいけないという掟。
そこには、タイヨウと呼ばれる化け物が存在して、モグラの目をつぶしてしまうんだとか。
―――――ていうか。
「外って、どこにあるんだよ」
カインは一人で呟いた。
***
天井が落ちるぞっ!!
誰かがそう叫んだ。
足元が揺れていた。
顔をあげたら、確かに土が砂が石が、ボロボロと落ち始めていた。
横穴に急げ! 逃げろ!
また誰かが叫ぶ。
カインは慌てて一番近くの小さな横穴に避難した。
「カイン!!」
穴に飛び込んでから、母の呼ぶ声に振り返る。石やら岩までもが落下し始めた広場の向こう側に、母と弟がいた。
その時になってようやく、自分以外が皆、広場の向こう側の大きな横穴に避難したことに気づく。小さい横穴では、入り口が岩などで塞がれて閉じ込められてしまう可能性があるので当然の判断だ。
カインは急いで自分もそちらに行こうとするが、降り続ける石と岩の雨に足がすくんでしまう。
広場には、逃げ遅れた運の悪い仲間たちがあちこちで頭から血を流して倒れている。彼らがもう助からないだろうということは、誰の目から見ても明白だった。そして、今自分がここを飛び出したらどうなるのかも。
穴の奥から現れた男が母の腕をつかんで急かす。天井が崩れるのは広場だけとは限らない。戸惑う妻の視線の先に息子を見つけた彼は、一瞬考え込むように黙った後、崩れる天井を見て、泣きそうな息子を見て、力いっぱいに叫んだ。
「逃げろ!」
カインは父に向かってうなずいてみせると、横穴の奥に向かって駆け出した。背後でまた何かが崩れ始めたが、カインは前だけを見て走り続けた。
そうしてカインは、一人になった。
***
「お腹空いたなあ・・・・」
呟いてみて、その後に続くのは沈黙だけだった。
悲しくなったが、もう涙は出なかった。腫れた目をこすって、ゆっくりと立ち上がる。食料となる木の根を探すには、もっと上まで掘らなくてはいけない。生きるためには進むしかない。崩れ続けた天井は、今カインがいる場所のみを残して、帰る通路すら塞いでしまった。
あれから一日くらい経っただろうか。
みんなは大丈夫だろうか。
母さんも、父さんも、弟も。
ちゃんと生きているだろうか・・・・・
頭に浮かんでしまった最悪の可能性を追い出すために、土を掘る作業を少しだけ早める。
ガリガリガリガリガリガリ―――――
いつの間にか、爪がはがれて指先から血が出ていた。気が付いたら、思い出したかのように痛みがやってきて手を止める。
もう動きたくなかった。動けそうになかった。
乾いたはずの雫が、溢れだした。
みっともないと思ったが、自分の他に誰もいないことを思い出すと、なんだかもどうでもよくなって、それならいっそ力いっぱい叫んでみたら気が晴れるだろうかと、お腹に力を入れた。
「・・・・わあっっ」
出した声は、思った以上に小さくて、なんだか情けなくなって、余計にむなしくなって、今度は土の壁を力いっぱい叩いた。
そうすることで何かが解決すると思ったわけではなかった。
希望も、これ以上の絶望も、無いはずだった。
そしたら。
砂が、土が、石が。
天井が、崩れ落ちた。
***
「――――キミ、もしかして、モグラ?」
最後に降ってきたのは、石でも岩でもなく、「声」だった。
その時になって、自分が死なずに済んだことに気が付いた。
はっとして顔を上げると、そこにはぽっかり穴が開いていて、誰かがのぞき込んでいるようだった。「・・・・・・誰?」
闇によくなじむ漆黒の髪。血の気のない不健康そうな肌。そして、好奇心に爛々と輝く二つの瞳。そのどれもが、自分が今まで見てきたどのモグラとも異なっていると気づき、カインは首を傾げた。
あれは、モグラじゃない。
モグラじゃないのなら、誰?
「ボク? ボクは、そうだね。キミからしたら、外の世界の住人だよ」
外の世界の住人と名乗ったその影は、切れ長の目を細めて笑いながら、手を伸ばした。
「出ておいでよ、モグラ。――――外の世界に」
その手を躊躇することなくとったカインは、おそらくなにも考えていなかった。
ただ、そこに伸ばされた手があったから。
ただ、それだけだった。