サイコ・ジャーナリスト
私はジャーナリズムというものを己の職業として、日々日本中を飛び回っていた。
コラムを書いたり、講演をしたり、対談をしたり。
様々なオファーが引っ切り無しに舞い込んできたが、その中でも一番、熱く弁舌を振るったのがテレビの仕事であろう。
「それは話がずれてると思いますが」
「え?ずれてる?なっ、なにがですかっ!」
「いえ、話の論点がですね・・・・・・」
「あ、ああそっちですか。失礼しました」
「激しく動く政局をどうお考えですか?」
「は、え?ハゲがなんですって?」
「いや、激しくです。激しく」
「ああ、そっちですか」
「しかし、山下さん、今回の選挙は少々気が抜けてしまったんじゃないですか?」
「はあっ?毛が抜ける?ハゲてる?私が?なんですか?私が頭に何か乗せてるとでも言うんですか。あはっ、あはははーっ。あば・あば・ばばばばー」
「山下さん?やっ、山下さんっ!・・・・・・えー、途中で中継が途絶えました事をお詫びいたします。さて、次のニュース。向日町動物園の人気者アライグマの風太ちゃんが立ちました。ここで一句、我輩も夜はベッドで風太ちゃん。では、今夜はこの辺で」
私は全国およそ1200万人の視聴者の前で醜態を晒してしまったのである。
心のある人間なら、とてもじゃないが生きてはいけないだろう。
帰り道、車を運転士ながらそんな事を考えていた。
ふと前方を見ると、赤いサイレンが激しく光っているのが見える。
赤く光る棒に誘導され、私は静かに愛車を路肩に止めた。
「はい、免許証だしてね」
「は、何がですか?」
「日本語わかりますか?免許証だせちゅーとんにゃわ」
「ふっ、ふざけるのはやめてください!免許は先月取り消しになってます。
今はきちんとした自己責任で運転してます、はい、それは本当です。はいっ!!」
私はその場に直立不動になり、公僕に一礼した。
自らの礼儀正しさに、清々しい気持ちになった。
「は?貴様、無免許か。
とりあえず車から降りろ。この馬鹿たれがっ」
「何なんですかっ、気分が悪いです」
「ああ、ちょっと言いすぎたかな」
「いえ、飲みすぎて気持ちが悪いので、そろそろ失礼します」
「ん、飲んじゃった?」
「はい、ホッピーです、はい」
失意のどん底にあった私に降りかかる災難は、これでもかととどまる事を知らないらしい。
並大抵の人間なら泡を吹いて白目を剥いているところだろう。
しかし、私のインテリジェンスはそんなにやわなものではなかった。
「ちょっと来てもらおうか」
「ふっ」
「いいから来い」
「ふふふ」
「こいっちゅーてんだわっ」
「ふはは、あーはっはっはっ」
「貴様っ、何がおかしいっ!」
「あ、すいません、パンティの事考えてました。」
私はそのまま警察に連行され、取り調べを受けることになった。
結局、精神鑑定を受けた結果、神経衰弱ということが認められ、2ヵ月後に精神病院に移送されることになる。
それからは無茶苦茶な日々だ。
一日に三回、食後に無理やり薬を飲まされ、歯向かうと怒られた。
連帯責任などという言葉の元に、一人がミスをすると全員が一同に集められ往復ビンタを受けた時もある。
酷い時などは、廊下を走っていただけでバケツを持って立たされたりもした。
この際だからそのえげつない体罰をここに書き記しておきたいと思う。
私の身に何かあった時は、このノートを持って警察に行って頂きたい。
3/1・・・302号室の吉田さんの頭をぶっただけで、グランドを三周走らされる。
3/2・・・田中さんとじゃれあいながら廊下を走っていたら、お尻をつねられる。
3/2・・・私の頭を叩いた田中さんに「ばか」と言ったら定規でお尻を叩かれる。
3/3・・・おしっこに行きたいと言うと、「何故休憩時間に行かなかったんだと」、辱めをうける。しかも、憧れの伸美チャンの前でだ。
ここにざっとあげただけでも、ハチャメチャで、がんじがらめな規則はとてもじゃないが我々を人間扱いしているとは言えないであろう。
そして、私はいつしか自分自身というものを見失っていた。
あの時は自分でも何をしているのか分かっていなかったのであろう。
お弁当にふりかけをかけるのを忘れたり、タイムカードを押し忘れたり、体操着に名札を付けるのをお母さんに頼むのを忘れたりと、それはもう滅茶苦茶であった。
そんな時、事件は起こったのだ。
私が命より大事にしていた3色ボールペンが無くなったのだ。
先っちょに子熊の絵が描いてあるやつである。
「おかしいではないですかっ」
私は興奮気味に感情をぶちまけた。
「なんですか、こちらは泥棒養成専門学校ですか?あまりにもおかしすぎて神経がやられそうです。んふっ、んふっ」
憤慨した私は着のみ着のまま外へ飛び出した。
それから日本全国を周り、病院のあるべき姿、そして我々がうけた虐待の数々を訴た。
そして、一人一人を大事にする姿勢、相手への感謝の気持ち、互いに尊重しあう心などを説いて周る。
やがて一人、二人と支持者が集まり、その数は2万人に達した。
満を持して発表した著作『駆け抜けろ病院を』が大ベストセラーになり、一躍、時の人になったのである。
当然の如くテレビやラジオに引っ張りだこになった。
人に対する無償の愛、命を慈しむ心、ありがとうの精神がみんなに認められた結果であろう。
「先生、次の収録がBスタジオで二時からです」
「うーん、面倒臭いから、君がやっといて」
「いや、しかし・・・・・・」
「あ?やんのか?こっちは芥山賞作家だぞ。」
「え、いえ・・・・・・」
「いつでもやったんど、こっちは銀行に2千万円あるんだわ、ああ」
話の分からないマネージャーに対し、結局こちらが折れる形でテレビの出演を承諾した。
面倒だったがこれもお金の為だ、仕方が無い。
金、金、金、世の中、金が全てですか?
違うと信じたい。
そんな溜め息混じりの気持ちの中、収録は始まった。
「えー、今日のゲストは今乗りに乗っている山下次郎さんです」
「え?乗ってる?」
「山下さん、この激しい大声援をお聞き下さい」
「え?ハゲが何ですって?何を頭に乗せてるって?」
「聞こえますか?山下さん」
「激しくはげてるって?あばっ、あばば、あばばばーっがばちゃKガ2jこ`@#<-Kfho:*JO%(’-’)@‰&」
「山下さんっ、山下さんっ!?」
――ピー…
「えー、見苦しい映像が流れましたことをお詫びいたします。次のニュースです・・・・・・」
私はまたしても全国民に向けて、恥ずかしい姿を発信してしまった。
今はまた丘のうえの病院で田中さん達とのんびり暮らしている。
あんな物を頭に乗せていなければ、私の人生はもう少しましなものだったであろう。
熟考を重ねた結果、現在の私は総てををさらけ出して生きている。
恥ずかしいことも、汚いことも、嫌なことも、何もかもだ。
それが結局、一人の人間としてまっすぐに生きる道だったのだ。
一歩一歩、このまっすぐで白い道を歩んでいこう。
---ピーっ!!
「そこの裸の君っ、おとなしくこっちに来なさい!」
「あは、あははははははーっ」
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