美野結衣と朝比奈啓
夜の学校。校庭から学校の校舎に入る男女が二人。
それぞれがこの学校指定の制服を着用しており、薄ら明かりの中、ゆっくりと校舎へ足を進めていた。
「ゆいゆい、どうしても行くの?」
「は、ビビってんじゃねぇよキモオタ」
今時死語かもしれない罵倒をしつつ、色黒の、髪を赤茶に染めた彼女は足を進める。左頬に張られたガーゼが、どうしても目を引いた。
それに怯えながら付いていく、彼女より身長が高い、長髪で、前髪が顔面にかかって全く見えない、色白の少年。
「せっかくセンコーに見つからねぇように隠れてやり過ごしたのに、行かなきゃいけねぇだろ」
「で、でも……」
「あん? いいだろ別に。てとてさん、だっけ? 面白そうじゃん、もう写真とって皆に流すしかないだろ」
後ろを振り向いて覗きこむように、腹を抱えて笑う彼女。制服は容姿に合わせて着崩しており、胸元のボタンは第二まで明けている。
わずかに見えるその胸襟に、少年は目をそらした。
「は? 何キモオタのクセに調子乗ってんの?」
蹴りがスネに炸裂する。
足を押さえる彼に、彼女はけらけらと笑った。
「アンタ一生奴隷なんだから、覚悟しろよ」
手を差し伸べるが、まだ蹲ったままの彼。
「ちょっと、傷開いたっぽい……」
「あん? ……って、また逆に新しく作ったのか。チッ、世話がやける」
「自分でやったくせに」
「あん?」
「な、何でもないです」
怯える彼に、彼女はため息を付きながら肩を貸して、立ち上がる。
「……ありがと」
「あぁ? アンタが盾にならないと、いざって時にどうしようもないだろ」
うけるー、と笑い笑われながら、二人はC棟の入り口を抜け、手前の階段の方を見た。
「うっそ、マジで地下あんじゃん……」
スマホを取り出し、すぐさまぱしゃり、ぱしゃりと写真をとった。
だが、保存された写真を展開して、頭をかしげる。
「……何これ」
そこは、只の闇しか映っていなかった。
「トリックアートとかじゃないよね……」
男子生徒が一歩踏み出して、地下に続く闇の階段に足を乗せる。
一応、物理的に存在はしているらしい。
「……行くぞ」
「え? か、帰らない?」
「今更だろ。ほら、先行け。もう足大丈夫だろ」
「いや、それは気が早すぎじゃぁ……」
「チッ。明日、購買で弁当買って来いよ、幕の内」
「あれ高いんだけど」
「あぁ?」
「な、何でもないです」
そうこう言いながら、二人はスマホを取り出して、明かり代わりにし進む。
途中途中、男子生徒が体勢を崩しそうになって、それをギャル風の彼女が、口調や物腰に反し案外手厚くフォローして、転ぶのを防止したりしていた。
地下の広い踊り場。
教室と同じ引き戸の左右には、ぼんぼりが二つ。
緑色の光が、怪しくゆらめいていた。
色々と整えられた雰囲気に、二人は息を呑んだ。
「お前入れよ」
「え!?」
「うっせーな、とっとと入れって言ってんだよッ」
彼の背中を押して、無理やり扉を開かせる。
開いたら蹴りを入れて、無理やり押し込めた。
「――お待ちしておりました」
そこには、例の彼女が居た。
おかっぱ頭。顔には、孔雀とも白鳥ともつかない仮面。
部屋の要所要所に設置されたろうそくの明かりが、下から照らす様は大層不気味に見える。
巫女服に身をつつみ、部屋の奥にある、ろうそく灯る「巨大な神棚」のようなものの手前で、あちらは二人を見ていた。
「うひゃッ」
「ちょ、私の後ろに隠れんじゃねえ、それでも男かッ」
少女の言葉を受けても、彼は震えたまま。
仕方ないとばかりに、彼女は聞く。
「……アンタが噂のてとてさんか?」
「私は、神官です」
「はぁ?」
「それはともかく、お二人とも、礼を尽くしてください。
――ここは神前にございます」
「「ッ!」」
彼女の言葉に、反射的に二人とも神棚の方を見て、同時に腰を折った。
まるで、本能的にそれが強制されていることを察したかのように。
――おん、おん、おん。
何かが涌き立つような、そんな音が響く。
音と共に、白い煙が、冷気が、部屋の地面の方に充満し、視界をわずかに白く染める。
「いらっしゃいませ、てとて様」
「……?」
好奇心に負けて、少女はわずかに視線を上げる。
そこには、犬のような何かがいた。
全身が真っ白で、毛並みがあるのかないのか分からない。
それと対象的に顔が真っ黒で、目が赤く光っていた。
垂れ下がるベロや牙が、わずかに赤黒い。
「――では、これより『儀式』を執り行います。前へ」
ろうそくが照らす、薄暗がりの中。
密室の地下の空気は、どこか冷たい。
巫女の少女は、神棚に納められていた瓶を取り出し、中のものを三つの杯にくべる。
それを二人に手渡し、一つを「てとてさん」に手渡した。
「神酒です。お納めを」
一口飲むように、ジェスチャーで指示。
「……地味に美味ぇな」
「ゆいゆい、お酒は20になってからじゃないと」
「は? 何粋がってんだよ。てめぇが今更私に何か言える事あんのか? あぁ?」
げし、とスネを蹴る彼女。
流石に状況が状況だからか、そこまで力強くは一発入れない。
でも痛みに蹲るのは間違いなく、それが滑稽にも、哀れにも見えた。
「――!」
てとてさんが、何事か鳴く。
動物の発する声ではない。何らかの意味を伴った言語であるかのような。
しかし、人間にはいまいち理解できていないような。
「これより、審議を執り行います」
巫女の声が響くと、二人は思わず居住まいを正した。
凛とした響に、緊張が走る。
「お二人のお名前を、こちらに」
手渡されたA4用紙に、名前を記入する二人。
女子の名前は美野結衣。
男子の名前は朝比奈啓。
書かれたそれを受け取る、巫女はてとてさんの手前にそれを差し向け――。
「――!」
「わっ!」「いっ!」
てとてさんの舐めた紙は燃え、締め切られた部屋全体が、白い霧のようなもので覆われる。
「今一度、名前をお名乗り下さい。儀式に入っております」
「……! け、啓です。朝比奈啓」
「あ、何てめぇ先名乗って……、み、美野結衣」
流石に空気を読んだのか、女子生徒の方も仕方なしとばかりに頭を下げる。
「では、問いましょう」
「「ッ」」
二人は、自分たちの周囲で無数の視線が、己を見つめているような感覚を味わう。
朝比奈の方が彼女の手を反射的に握ると、彼女はそれを無理やり解く。
二人の手は離れ、距離がわずかに開く。
無論、視界は確保されてない。
「お二人は、祝福を望みますか」
「……どういう、祝福って何だ?」
「祝福は祝福です。人智を超えた方法で、お二人の未来を幸せとすることです」
例え何がしかの理由で、「えにし」が別たれてしまった場合でも。
巫女の言葉の意味は理解できていないようだが、美野の方は鼻で笑って言う。
「どーでもいいけど、こいつを一生私に逆らえないようにしてくれるなら、いいよ」
「……」
「双方、共に相違ないですか?」
「当たり前――」「えぇ?」「あん?」「いえ、何でもないです」
「なれば、これより「てとて様」に示してください。己が、相手に対する誠実さというものを」
「「……は?」」
要求されたことは、学校で噂されている通りのこと。
だが、続く言葉が二人にとっては想定外のものだった。
「――ところで美野さん。そのお肌、塗ってますよね」
「……え、そうなのゆいゆい?」
「は、はぁ!?」
場違いな話ではあったが、案外と衝撃の事実に彼は彼女の方を見る。
彼女はといえば、この状況において何故か真っ赤に顔が染まっていた。
「そ、そんな……。言う事なんてねぇよ。普通に考えて当たり前だろ。女の顔、傷物にする切欠作って。しかもクラスじゃ地位最底辺だし、へりくだって何ぼだろ」
「……」
「何か文句あるか?」
「いや、別に。言い返せないのも事実だとは思ったけど。でもいっつも言ってるけど、そういう風な態度とってると、好きな異性が出来ても絶対にふられるよ」
「は、黙れキモオタ。てめぇなんか、スマホに保存してある萌キャラのエロ画にでも沈んでろッ」
濃い霧の中のはずなのに、彼女の蹴りは見事に少年に激突した。
「……案外と、わからないものですね」
平坦な声を上げると、彼女はす、す、と霧の中を動く。
神棚の前に彼女が跪いたのを、音とシルエットで二人は理解した。
「――かく、これ今日、今時、この森羅において、かくのたまうは、イザナギの方、朝比奈啓、イザナミの方、美野結衣、アメツチの方、代理に我が身我が知を預け、恵み卸したまわんことを―ー」
まあと、おしぃす、あめん――。
和語とも西洋語ともつかない言葉を繰り返し、彼女は頭を下げる。
――い・お!
今まで聞いた事のないような、掠れた声が室内に響く。
巫女は、神棚の手前で膝を付いて、呪文を唱えるのを止めない。
――い・お!
――い・お!
同じ言葉が繰り返し響く。
次第に、手を繋ぐ二人の表情が曇り始めた。
だが、二人の耳が最後に聞いたその声は。
――い・お・お!
全く違う発音だというのに、二人の耳には等しく、その言葉の意味が理解でき――。
部屋全体が、真っ白な光につつまれた。
「ちっ!」「うわ、まぶしッ」
霧が晴れた部屋は、倉庫とかじゃなく、まさしく二人が普段使っている教室そのもの。
ただし、窓の向こうは完全な闇である。
「――神託が下りました」
目を被う両者に対して、厳かに、巫女の声が響く。
「お二人は、「てとて様」が充分納得する誠実さを示しました。
よって、祝福を賜られました」
声音に感情は宿っていない。だが、どこかその巫女の口元は、わずかに微笑んでいるように見えなくもない。
「い、一体……」
「は? 意味わかんねぇし、つまんねぇ」
美野の声が、その瞬間二つに分かれた。
「「……へ?」」
顔を見合わせる二人。
「何だよ、今の」
「……えっと、ゆいゆい、どしたの?」
「……は、知らねぇし。こっちにそんな、キモい表情向けんじゃねぇ」
「「……」」
流石に、今度は聞き間違いでもあるまい。
くすくす、と。
先ほどまで完全に無表情だった、巫女の含み笑いが響く。
「……申し訳ありません。ですが、どうやらこれが祝福のようです。素直になれないその心を、そのまま代弁してくれていらっしゃるかと」
「代弁って……ッ!」
意味がわからない、という風に頭を左右に振っていた美野は、唐突にびくり、と飛び跳ねて、彼の顔を見た。朝比奈は、もしかして、という若干希望に満ちたような表情をしている。
「そ、その顔止めろニキビ面! 死ね!
ああ、もう、何だこれ気持ち悪いッ!
別に、何だこれ、全く、キモいキモいキモい――」
「あー、貴女は確か、そこの彼がいじめられていたことの、被害にあったはずですね」
「そうだよ! コイツが走ってきて、いきなりぶつかって。
転んで釘でほっぺ引き割かれて、一生消えないって言われて……、しかも原因が、コイツがパシられてたからだってのが、また腹立つ!
だから止めろこれ!」
口走る言葉と、放たれる別な言葉に大いに混乱している彼女。
巫女は、決定的な一言を言う。
「――貴女、本当は彼のこと、好きなんじゃありませんか?」
「は、はぁ? んなこと、ありえるわけ……、ち、違うからな、絶対!」
そして、その言葉に導かれて、決定的に膝から崩れ落ちた。
「~~~~~~~~~~ツ!」
頭の中全てが音として漏れるこの現象に、感情のメーターが色々振りきれている。
顔面を覆っていやいやと左右に頭をふる彼女は、先ほどまでの美野結衣とは決定的に違った。
「えっと……」
いざ色々言われて見て、どうしたものかと朝比奈啓は表情が混乱する。
どういった顔をとっていいのか、計りかねている感じだ。
「……色々聞きたいけど、なんで? ゆいゆい、俺、いじめて楽しんでるじゃん」
「うるせぇ」
「そんな謝罪されても……」
「謝ってねぇ! アンタなんか、消えろよ……」
「まさかゆいゆい、心の内でそう呼んでくれてるとは……」
何とも微妙な空気になってしまった。
ここに来て、観念したのか彼女は、ようやく「本心から」口を開いた。
「……最初は確かに、いじめてたよ。実際キモいし。
でもアンタが悪いって言ったって、本当に文句一つ付けないで、死ねって言えば死にそうになるくらいに思っちゃったら、何も言えないじゃん。私、これでも普通だし。そこまで死ねとか、思わねぇよ」
「……それで、えっと」
「う、うるせぇ。いじめられてりゃいいんだよ」
「壁?」
いまいち理解できない彼に、彼女は、どうしようもない。
蹲りながら、その場で言葉を二重に続けた。
「私がアンタをいじめて、他の誰にも渡さなければ、いつか私以外の奴等がアンタから離れるじゃん」
「……」
「そのことで、アンタにいくら恨まれたっていい・それだけは決めて、アンタと一緒に居ようと思った。せめて、アンタが苛められなくなるまで」
「でも、僕は……」
「……だって、不器用だし。アンタ、足、あいつらのせいで長時間走れないだろ」
「……」
「――で、気が付いたら好きになっちゃってたと」
「ば、んなわけ……、う、ううう……」
巫女の一言が、適切に彼女の急所を抉る。
少年は、しばらく黙って彼女を見ていた。
両手で顔面を覆って、動けなくなっている彼女。
「一つだけ聞かせてくれる? どうして僕のこと……」
しばらく沈黙し、彼女は、絞るような声で答えた。
「……声が以外とイケメンだった。……あと、色々注意してくれるところとか。最後まで、なんだかんだでかまってくれるところとか」
彼女は彼女なりに、理由はあるらしい。
さて。男子生徒は、しゃがみこみ、彼女の肩を叩く。
顔を上げる彼女。その顔面は、適度に塗っていたガン黒塗料がはげて微妙。
ポケットからハンカチをとりだし、眉毛以外の部分をふきとる朝比奈。
「……正直言うと、僕、ゆいゆいのことはそんなに好きじゃない。いざそういきなり言われても困るし、結局僕、ダメージ蒙ってたし」
「……わかってる」
「でもさ。ゆいゆいのこと、そんなに嫌いってわけでもないよ。あいつらのせいで、ふくらはぎがちょっと駄目になったら、そっちとは逆の方の足蹴るようになったりとか、少しは気遣ってたりしたしね」
「!」
目を見開いて、彼を見上げる彼女。
「うん、やっぱ僕の趣味としては、ゆいゆいは肌白いほうが美人さんかな」
「……こ、声好きだってわかったからって、そんな、責めやがって」
困ったように笑い、そして朝比奈は、美野の手を握った。
「――だったらさ。友達からはじめない?」
「……友達?」
「うん。まあ昔の少年漫画好きだから、ちょっとクサいこと言うけどさ。
僕等は、色々と順番を間違えてるんじゃないかと思うんだ。だから、どう?」
しばらく、二人の時間が止まり。
そして、彼女が抱き付く。
「……ありがとう、ごめんなさい。それから――大好き」
「うん」
少年は一同頷いて、彼女の背と頭に手を回し、泣きじゃくる彼女をぽんぽんと慰めた。