緒方渚とジーシキ
「何読んでるの、ジーシキ君……。あ、中原中也かぁ。中ニだねぇ」
「やめて。いいじゃないか、中原中也」
僕自身はどう思われてもいいけど、中原中也を矮小みたいに言うの止めろよ、ということで、僕は不破に反論した。珍しい反応だったのか、彼女は一瞬驚いた顔をして、僕の手元を覗きこんだ。
「えっと、何何? ヤンデレさん? 愛する人が死んだら自殺しなきゃならないって。
ジーシキ君の場合……、まあ共感できるだろうけどね」
「うるさい」
「お、珍しく自分のことで口答えした」
不破は、僕の反応に楽しそうに笑う。
言われて見ると、確かに久々というか、珍しいかもしれない。僕が彼女に言われて、そのまま感情を露にすることは。
でも、それだけだ。
それだけ言うと、僕は手元に再び視線を落した。
「……って、もっとコミュニケーションとろうよ! 社会的動物なんだからさ!」
「考える葦とも言う」
「三本の矢とも言う!」
「二人じゃん。ていうか、何に対する強度なのさ」
「それは……、人間的な?」
うわぁ。ここまで何も考えないでよくしゃべれるな。
反射的に口走りかけたけど、ため息一つでそれを誤魔化した。
「今、なんか馬鹿にしたよね」
「どーでもいい」
「どーでもよくない!」
どうしてか、今日の不破はいつになく僕に積極的に絡んでくる。
絡まれたって、僕とてやる気はないので、適当にあしらうだけなのだが。
いつものように僕の後ろの席に腰け、彼女はひじをついて顎を乗せた。
「あー退屈ぅ。何か面白いことない?」
「……」
「そっと中原中也勧めなくていいから。第一、私詩の良さとかわかんないし」
「僕もわかんないよ」
「なら何で読んでるわけ!?」
「親の本棚から借りたらこれが出ていた」
「自分で買おうよ!」
なんとなくだけど、突っ込み所が間違っている気がした。
それきり、僕らの会話は途切れる。
沈黙が僕等の間を支配していても、特に彼女は何も言わない。
ぱらぱらと本を捲る僕の指先を見つめるばかり。
ふと、思い出したかのように不破は言った。
「……今日は来ないね、彼」
「……?」
「ほら、えっと、瀬賀だっけ? ジーシキ君から離れた方が良いとか、色々言ってきたりする」
言われてようやく、僕も気付く。
基本的に、彼女は昼休み終了十五分前にやってきて、僕と話して帰って行く。
その理由としては、瀬賀が鬱陶しいかららしい。
人と話している間に乱入して来て、引き剥がすとか。
会話の邪魔をして、自慢に入るとか。
もっとも、その言葉が本当かどうかは僕の知るところじゃないけど。
「あと、身に覚えのない噂をされるとかね。
でも、ジーシキ君否定しないけど、それもやっぱりアレよね」
「興味がないからね」
「そこまで割り切る考え方はどうなのかな……。結局不利益出して、クラスで生き辛くなるのはジーシキ君じゃない?」
「……人間っていうのは、信じたいものだけを信じるからさ。
あと、逆に何で不破、今日は早いんだ」
「なんかクラスが今日妙にギスギスしてて。念のため避難してきた」
自分は避暑地扱いなんだろうか。別にどうでもいいけど。
僕は本から目を上げ、ある女子生徒の方を見る。
おかっぱ頭を揺らしながら、耳に刺したイヤホンで音楽を聞いているらしい。
「あれあれ? ジーシキ君、廻田さんに興味あり?」
「……何で不破が名前知ってるんだよ。クラス違うだろ」
「一年の時同じだったし」
案外、普通な理由だった。
「廻田めぐみ。あの子もジーシキ君と同じで、あんまりしゃべんないもんねー。興味もなさそうだし。
ただそれでも、色々怖くて苛められたりしないで、独立国家に成功してるけど」
「独立国家……」
「派閥に入ってないって話。……ん? その顔は、怖いってどういう意味かって?」
特に何も言ってないのだけれど、彼女は思案するようなポーズをとってから、言った。
「あの子の実家、神社らしくてさ。で、一度カースト上位のが、見物しに行ったらしくて。
その時――なんか、キャンプファイアーじゃなくって、何だっけ? 火でやるやつ」
「お焚き上げ」
「そそ、それそれ。それをしてたらしくて。その時燃やしていたものが――山のような藁人形」
確かに怖そうだ。
でも、それ以外は特に何も思わない。
一応、不破に僕は昨日見たものを話した。
「指かぁ……。うーん、目撃されたらまた変な伝説できそうだなー」
「どーでもいい」
「うん。やっぱジーシキ君はそうだよね」
楽しそうにクスクスと笑う彼女。
何が面白いのか、僕には皆目見当もつかない。
と、そんな僕らに、近寄るシルエットが一つ。
瀬賀じゃない。でも、最近は瀬賀と一緒に居ることが多い影。
「……あれあれ、どちらさん?」
不破がトボけたように言う。
それを受けても不愉快な顔一つせず、近づいてきた彼女は僕に頭を下げた。
「――ごめんなさい」
何を謝ってるんだろう。
「今更許してって言えないけど。でも、謝るだけ謝らせて。ごめんなさい」
「どーでもいい」
いつもの様に返すと、彼女は一瞬、身体が硬直した。
それでも、懐から封筒を取り出して、僕に手渡す。
「……?」
「迷惑料と、あと、巻き上げられた分」
「――あぁ」
嗚呼、どうやら彼女は気付いたらしい。
でも、だからといってどうということはない。
一度僕の手元を離れたお金だし、結果的に彼女の知るところになったんだから。
首を回してみれば、普段は男子女子に囲まれている瀬賀が、今日は学校に登校していない。
だったら、後は確認作業だけでいい。
「スマホとか、データは全部差し押さえた?」
「たぶん。…… 一応、流してはいなかったみたいだから」
「?」
不破が頭を傾げるけど、僕は説明する気はない。
彼女がいうところの、ジーシキらしいヘタレな話というだけだから。
僕は、彼女が手渡してくる封筒を、付き返した。
「へ?」
「いらない」
「い、いや、だって、これ桁六桁いってるし――」
「興味ない」
それだけ言って、僕は本を再度開いた。
「どゆこと?」
不破は察しが悪いらしいけど、後で周囲の連中から聞くか、聞かないか。
まあ、だからといって別にどうでもいい。
少なくとも、僕は死んでいないから。
でも、その反応は彼女の想定していたものではなかったらしい。
「……受け取って」
「いやだ」
「お願いします」
「いらない」
「……どうして? ねえ、吾妻」
「……だから、何度も言ってるじゃん。
興味ないから。
どうでもいいから。
そーゆーの、全然嬉しくも何ともないから。
今までやってきたのだって、僕的にしっくりこなかったからってだけだし。
まあ、どうしてもいらないって言うなら、一応もらうけど」
彼女のそれを引ったくり、僕は、机の中にある鋏を取り出した。
真っ先に、彼女の目が恐怖に覆われる。
反対に、不破はようやく状況を察したらしい。
「……たぶん無理だよ、緒方さん」
不破の言葉をBGMに、僕は立ち上がり、ゴミ箱へ。
クラスの連中の視線なんて、全く気にならない。
そのまま鋏を使って、封筒と、中に入っている十数枚の束を、問答無用で切り裂いた。
「……なんで、そんなことするの?」
彼女の言葉に、僕は振り向いて言う。
「いらないなら、ゴミなんでしょ?」
その言葉に、彼女の顔色は一気に白くなった。
不破が、彼女の肩に手を置く。
「……たぶんだけど、ジーシキ君的に、もう、モブなんだよ。緒方さん。
虫の良い話といえば虫の良い話だけどさ。でも、もう、ジーシキ君、積極的にどうこうって、思ったり死ないんじゃないかな? 私もほら、巻き込まれた口だし」
「……ッ!」
「言えば反応返すだろうし、頼めば出来る限り何かやってくれるかもしれないけどさ。それだけじゃない?
自分で捨てた物には、責任を持たなきゃ」
それだけ言うと、不破は教室を抜けた。
静まり返った教室で、僕は席につく。
以前の僕なら、泣いたかもしれない。小躍りしたかもしれない。ようやく分かってくれたと、感激して変な行動もとったかもしれない。
でも、残念ながらもうそこは麻痺してる。
「……どうして、そんなになっちゃったの?」
彼女の涙声に、僕は、珍しく口の左端がつりあがった。
「毎日のようにあんなの、見せ付けられたら気持ち悪いじゃん」
その一言で、彼女の表情は完全に失われた。