「てとて」さんに参る
特に帰り道に、感慨などない。
家からちょっと遠いな、とか、朝この坂を上るのが億劫だな、と思いはするが、それ以上に感じ入ることなど何もない。
夕暮れの街。世界が赤に染まる時間。
そのはずであっても、僕に見える世界は「灰色」。正しく灰色。色の濃淡や、何色なのかというのは理解できるあたり、脳みその機能障害じゃないんだろう。
だから坂を下った先。いつもなんとなく見ている神社の境内。
そこで煙を立てる彼女の後ろ姿を見つけた瞬間、僕は目を見開いた。
「……何やってんの?」
見覚えのある顔だった。クラスメイトで、名前は覚えていない。でも確か、頭につけたヘンテコリンな柄のカチューシャだけは、妙に目につく。
もっとも、気になったのは彼女ではないのだけれども。
声をかけた僕に、彼女は振り返る。
服装は、巫女服とでもいえばいいか。この場には、らしい格好だった。
おかっぱ頭や変化しない表情も含めて、どこか和人形っぽい。
実家か、バイト先なのだろうか。僕は呼び出しがあったため、しばらく学校に留まっていた。
「……お焚き上げです」
彼女は特に変な反応もせず、率直に僕に言い返した。おそらく僕がクラスメイトだとも気付いていないだろう。僕の知る限り、彼女もまたクラスに興味のない生徒のようだから。
僕の視線を察してか、言いながら彼女は手に持っていた何かをこちらに見せる。
それは、真っ白な指だった。
もちろん本物じゃない。真っ白で、石膏か発泡スチロールのようだ。
親指と小指じゃない、残りの三本かのどれかの長さをしている。
「奉納品?」
「役目を終えた、えにしです」
意味がわからない。
説明する気がないのか、あるいはここの独自の風習か。
わからないけど、彼女が囲いの内側にそれを放り入れる。
どさり、と山のように積まれたものの中に落ちる指。
燃えて、焦げ始めている山。全体まで燃え広がって居ないから、未だに白い。
山は、彼女が今投げ入れたものと、同じ物で構成されていた。
「面白い物ではありませんよ」
それだけ言うと、彼女は木の棒の先端に白い紙がじゃらじゃらついたものを手に取り、ゆらゆらと左右に振る。何かを口ずさんで、手慣れた風に作業を続ける。
僕もこの日は、それで興味をなくした。
この日は。
※
夜の学校。校庭から学校の校舎に入る男女が二人。
それぞれがこの学校指定の制服を着用しており、薄ら明かりの中、ゆっくりと校舎へ足を進めていた。
「ほ、本当にあるのかな、地下室なんて……」
「さあ? 正直しらねーし。大体ナギ、こーゆーのロマンチックだって言ってたろ?」
怯える女子生徒と、やや面倒そうに言う男子生徒。
黒髪のストレートヘアに、おしとやかそうな外見。スタイルはまずまず。そんな女生徒は、頭を茶髪に染め、肩口まで伸ばした男子生徒の腕にすがっていた。まんざらでもなさそうにしながら、男子生徒は女生徒の前を行く。
「忘れ物取りに行くついでだろ、ついで。警備入るまであと三時間あるし、とっとと終わらせんぞ」
「う、うん……」
「いざとなったら任せとけって。俺は、ガサイみたいなヘナチョコとは違ぇからよ。ユーレーからでも逃げきってみせんぜ」
「そうだよね……。ガサイなんか、一発で伸したものね」
「そういや今日だって、ウケるぜあのヘナチョコ。呼び出したらすんなり来やがるから、持ち物検査してやったら、一万持ってやがんだ。お前、どう思う?」
「……やってよし。私を、裏切ったんだから」
「だよなー」
ガサイという男子生徒を罵倒することで、彼女もわずかに元気を回復したらしい。
ハハハ、と笑いながら、彼は彼女の手を握り、先導する。
階段を二階分昇り、手前の教室へ。
彼女の席へ向かい、机の中を見る。
「……良かったぁ。補修で化粧品、とられてなかった」
「よかったなぁ。じゃあ――おめかししようぜ?」
「へ? え、えっと、学校で?」
「前から一度やってみたかったんだよなぁ。ナギの持ってた漫画にもあったべ?」
「で、でも――」
「俺もやってみたかったからさ、頼むッ」
「む、むぅ――!」
彼女を二つ繋げた机の上に乗せ、男子生徒はにやにや笑いながら、彼女のワイシャツのボタンを一つずつ乱暴に外していった。
しばらくの嬌声の後、教室の扉が開く。
「じゃ、帰るか」
「う、うん……」
「何蕩けてんだよ。もっとやったらお前、掃除どうすんだよ」
「そ、そこまでマナー違反じゃないからッ。っていうか、スマホで撮らないでよねッ」
「そりゃ、ナギの成長記録はつけないと」
「言ってる意味わかんないからッ」
怒っているような彼女だが、その表情は赤らんで恍惚に満ちており、男子生徒の腕にじゃれついていた。
歩きながら、B棟を出た二人。
と、その視線がある一点に集中する。
「……?」
「何、あれ」
二人の視線の先には、巫女服の女性がいた。後ろ姿の背丈は自分達と同じくらいか。
わずかに見える横顔は、鳥のような仮面をしている。
頭の上には、孔雀の羽根のようなものが二本。
暗がりの中、手にはお盆に、ロウソクが一つ。
ぼう、と灯った明かりが、ゆらゆら揺れ動く様が怪しい。
す、す、とゆったりと歩きながら、彼女はC棟の入り口へ向かう。
ぎぎぃ、という音が響く。
向こう側は、薄ら明かりこそあるもののほぼ闇の中。
引き戸が、誰の手を借りるまでもなく勝手に開いた。
まるで、歩みを進める彼女を迎え入れるかのように。
「「……」」
流石に、怪奇現象には口を閉ざす二人。
その中に彼女が入っていったのを見届けた後、二人そろって顔を見合わせた。
「どうしよう、まさか、え? 本当に”てとて”さん? あれが!?」
「さ、さぁ……」
「絶対そうだよ! だって、私達だって制服来て、学生証見せて、サインしてようやく入れたのにさ。普通入れないでしょ、あんな格好してさ!」
混乱している彼女の頭をぽん、ぽんと叩き、彼は胸を張った。
「元々、俺等”てとてさん”の所に行くつもりだったろ? じゃあ、大丈夫だろ」
「そ、そう? でもホラー映画とかだと、私達たぶん――」
「大丈夫だって。ほら――」
ぐい、と彼は彼女の顔を近づけて、唇を奪う。
一瞬目を見開いた彼女だが、すっと目を閉じ、彼の男らしさを受け入れた。
「こんなに、俺、お前のこと大事にしてるのにさ」
「ま、政久……」
再びとろける彼女の手を引き、二人は、彼女の後に続いた。
――ぎぎぃ。
「きゃッ!」
「落ち着け、ドアの閉まる音だろ」
「で、でも、私達触れてないよね?」
入り口が丁度、二人が入ったのを確認したかのように閉まる。
それに震える彼女に、「どうせ風だろ」と彼は気休めを言った。
下駄箱で靴を脱ぐと、それを手に持ち、階段の方を見る。
そこは、普段と明らかの様相が異なった。
「……ここ、階段なかったよね」
「……ああ。掃除用具入れだったよな」
学校の階段の一階は、下に続く先がない。奥に非常口がり、手前に手洗いと掃除用具入れがあるだけだ。
間違っても――こんな、奈落の底に続くような闇が待ち受けている、階段などあるはずはない。
「……行くぞ」
「うん」
腕を差し出し、抱きしめて、二人は一歩ずつ足を進める。
気休め程度にスマホを出して、進路の光を確保しようとした。
お陰で、案外と階段が深くはないことに気づいた。
地下室。
本来はないはずの地下室。
学校の不思議として言われている「てとてさん」が居るらしい、地下室。
入り口は、通常彼等が利用する教室と大差ないようだった。
地下室の踊り場は案外広く、奥まった位置に入り口がある。
引き戸の左右には二つ、ぼんぼりが置かれていた。
どちらも、緑色の光がゆらめく。
「……と、塗料かなぁ」
「さあ。火じゃないよな、少なくとも」
「だ、だよねぇ……」
足元を確認して、コンセントなど何処にもない事を理解してはいたが、二人は現実逃避のごとく言葉を重ねた。
そして深呼吸してから、扉を横に引いた。
「――お待ちしておりました」
そこには、例の彼女が居た。
おかっぱ頭。顔には、孔雀とも白鳥ともつかない仮面。
部屋の要所要所に設置されたろうそくの明かりが、下から照らす様は大層不気味に見える。
巫女服に身をつつみ、部屋の奥にある、ろうそく灯る「巨大な神棚」のようなものの手前で、あちらは二人を見ていた。
きゃ、と思わず女性とは背中に隠れる。
彼女を庇いながら、男子生徒は聞いた。
「貴女が、てとてさん?」
「私は、神官です」
意味がわからない、といった風に彼は困ったような顔をした。
彼女は神棚の方を向いて、一度頭を下げる。
「お二人とも、礼を尽くしてください。――いらっしゃいます」
「「ッ!」」
彼女の言葉に、反射的に二人とも神棚の方を見て、同時に腰を折った。
――おん、おん、おん。
何かが涌き立つような、そんな音が響く。
音と共に、白い煙が、冷気が、部屋の地面の方に充満し、視界をわずかに白く染める。
「いらっしゃいませ、てとて様」
「――ぐし!」
理解不能な言語を口走る何か。好奇心に負けて、男は視線を僅かに上げる。
大きさは、小さな子供ほどか。
頭に真っ白な頭巾をかぶっている。
全身も、白い和服に藍い袴を着用している。
だが、その風体はとてもじゃないが人間らしくはない。
強いて言えば、「大人の胴体」だ。
大人の胴体の、肩と足の付根から、手首から下と足首から下が生えているような。
彼同様、彼女も顔を上げてしまったようだ。
それでも悲鳴を上げなかったのは、それが本能的に危険なことだと理解していたからか。
いびつなシルエットの持ち主の、その頭巾の口元は、わずかに「赤黒かった」。
「――では、これより『儀式』を執り行います。前へ」
巫女の少女の言葉に、二人は怯えながらも、それに従った。
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