不破とジーシキ
――「てとてさん」って知ってる?
何の脈絡もなく、背後から不破が僕に声をかけてきた。
昼休み。クラスメイトたちが散り散りにまとまって食べている中、一人だけ弁当を食べ終えた僕。いつものように、そのまま文庫本を開いて読んでいた。
物語の冒頭からしばらく。金星人が地上に丁度降り立つその瞬間に、耳元で囁くその声。
書店で貰ったしおりを挟み、僕は椅子に横向きに腰掛けた。
「知らない」
「そっか」
素直に答えた僕に、彼女は落胆することもなく、僕の後ろの席に腰掛ける。
何が楽しいのか知らないが、僕の顔を見ると彼女はいつも微笑む。
「簡単に言うと、この学校の噂みたいなものなの」
「噂?」
「うん。何でも、恋人たちを永遠に祝福してくれるっていう」
そんな浮ついた都市伝説みたいなのが、この学校にあるとは初耳だった。
特に何を言ったわけでもないが、彼女は僕に話を続ける。
当たり前のことを、一応は確認した。
「……僕等は別に、そういう関係じゃないよね」
「そりゃ、ジーシキ君は相変わらず自意識がお高いようで」
彼女は、僕のことをジーシキと呼ぶ。
本名とか、疑り深い性格とか、チキンなところをひとくくりにするらしい。
「じゃあ、その話をされる言われがよくわからないんだけど」
「確かめに行かない?」
言いながら、彼女はスマホを取り出して操作する。
一応校則違反だと一言いったけど、意味がないのはわかってる。
画面には、写真が一枚。
大判の、総記のようなもののページが開かれている。
細い指をそこに二つのせ、左右に開き、拡大。拡大。
「……これ。噂によれば、この『てとて』さんっていうのは、地下室にいるって話なの。この学校の旧校舎側だから、C棟の方ね」
言われて僕は、彼女の指差す方角を見た。
この学校は、四つの建物から構成されている。
A棟、B棟、体育館、そして旧A棟を潰して出来たC棟。
AとBとは並行に連なって、体育館はB棟とA棟両方から行ける。
C棟は今、壁面の一部をB棟とつなげようと色々やっている。
僕らが今いるのはB棟。
大体百度くらいに開くような配置で、C棟の白い壁面が見える。
「あのC棟の下に、そのまま地下室が残されてるって話なの」
「地下室?」
「昔の防空壕跡を、そのまま学校の地下室にしていたらしくて。倉庫とかに使っていたらしいわ」
再び彼女の持つスマホに視線を落す。
学校の歴史が刻まれたアルバム。そのページには、確かに彼女の言った通りのことが書かれていた。
「耐震性の問題で立てかえるっていうから、壊したらしいみたいね」
「だったら、その、地下室も埋め立ててるんじゃないのかな?」
「だからこそ、変だと思わない?」
不破は、僕の目を見る。
「ジーシキ君。私に言われるまで、地下室なんて存在知らなかったでしょ?」
「……まあ、そうだね」
「実際旧校舎の方も、地下室が使われなくなってかなり時間がたってたらしいの。だから、そもそも地下室の存在を知ってる人が、ほとんど居ないのが普通だと思わない? 綿仲先生も、聞いたって知らなかったみたいだし」
なるほど、だからそこが変だと興味を抱いたか。
でも、僕はそれに反論できる。
「工事現場の人に聞いたんじゃない?」
「現場の人?」
「僕らが入学した頃はもうC棟の基礎部分は出来上がってたと思ったけどさ。だったら先生たちも、何人か現場に立ち合ったり、会議に参加したりしてるんじゃない?」
「うーん、そうかなぁ」
「何でもかんでもオカルトに結びつけるのは、どうかと思うよ。それこそ防空壕跡って言うんなら、軽はずみに扱っちゃいけないと思う。不謹慎だよ」
「全然不謹慎だなんて、思ってないくせに」
案の定、彼女に僕の本心はバレていた。
大体ね、と彼女は僕の鼻先を指でつつく。くすぐったいから止めてほしい。
「ジーシキ君のそれは、単純に事勿れ主義でしょ? 世間一般でそういうのは悪いとか、駄目だとか。言われているから、かっこつけて駄目だって言うだけで」
「そうかもね」
「スマホも注意したけど、正直なところはどうでもいいって思ってるでしょ」
「取り上げられるのは僕じゃないからね」
「ビビリ」
「否定はしない」
少しくらい動揺しなさいよ、と不破。生憎と、僕の顔面はそんな柔軟にはできていない。
「まったく。……いつも思うけど、ジーシキ君は何か、全く周りに合わせないよね」
「関心がないからね」
「本当に?」
「昔はあったけど、よくあることだよ。裏切られると、無意味に思える」
「だからって今のジーシキ君のクラスでの扱いは、あんまりよくないんじゃないかな……」
一応、彼女が彼女なりに心配してくれてることはわかる。
でも、僕にとってそれも無価値だ。
つまるところ、心底どうでもいい。
そんな僕でも目にかけてくれる彼女には悪いが。
「……あ! 鐘なった。じゃあ、私戻るね」
「うん」
軽く手をふる僕等。それはいつも通りの光景で、他愛のないやりとりの一つにすぎない。
でも、それが一番大事だってことに、僕はまだ気付いていなかった。
数日後、彼女が学校から姿を消すまでは。
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