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チルチルハミチルーー私たちと青い鳥ーー  作者: 銀ねも
第一話「ミチルの幸せな結婚」
9/60

幸せな夫婦2

 青い鳥は、手際良く食卓の準備を整えた。リネンを敷き、配膳する。細かな作業には不向きに思える三本の指が、実に器用に働いた。ジルの鮮やかな手さばきを見ているようだ。ミチルは長椅子に腰かけて、感心しきりだった。


(彼ほどの紳士ともなると、使用人に頼り切りでは無いのね。何が起こっても、ご自身で対応できるのだわ)


 青い鳥は、ミチルの為に椅子さえ引いてくれた。いつもジルがしてくれていることを、そっくりそのまま、してくれる。あまりにも自然な振る舞いに、恐縮することをうっかり忘れてしまいそうになる。


 二人は丸テーブルを挟んで向かい合い、グラスを掲げ、乾杯をした。食事は、黙々とすすんだ。

 いくらか空腹を満たすと、ミチルには、青い鳥の人となりを掴もうとする余裕が生まれていた。肉を切り分けながら、青い鳥の挙動に注意を払う。


(物静かな方なのね。うるさいのは、お好みじゃないのかもしれないわ。やっぱり、向こうからお声がかかるまで、黙っていましょう)


 そう考えていた矢先、青い鳥が言った。


「読書ガ好きダとか」


 ミチルは、節度を保ちつつ、青い鳥を見つめた。おっとりした笑顔は、絶やさない。

 青い鳥は、フォークもナイフも実に上手に扱うが、肉を嘴に運ぶ動作は、骨が折れるようだった。嘴の横からフォークを差し入れ、肉を齧り取ろうとすると、かちかちと音がたってしまう。

 食事の所作に悪戦苦闘している様子は、まるで幼いこどものようだ。ほほえましい気持ちになって、ミチルの緊張がほどけていく。


「はい。特に物語を読むことが好きです」


 意識せずとも、親しみの籠った柔らかい声が出る。フォークに肉をさしたまま、青い鳥が食事の手をとめた。白い能面に、なぜか、ジルの憮然とした顔が重なった。


(こんなことを聞くということは……旦那様は、わたくしの読書を快く思っていらっしゃらないのかしら?)


 ミチルは、おずおずと伺いを立てた。


「わたくしがご本を読むのは、お嫌ですか?」

「私ハ、物語ハ好かん」


 その割には、物語を綴った本をたくさん所蔵している。ミチルの疑問を見逃さず、青い鳥は答えた。


「お前ノ為二揃えた」

「そうでしたの?」


 思いもよらぬことだ。青い鳥は、フォークの先から肉を齧り取り、ちょっと上向いて嚥下して、続けた。


「好き二するガ良い。物語ハ好かン。だが、生き生きト語るお前ハ、目に好ましい」


 物語の素晴らしさを嬉々として語るミチルを、まるでその目で見たかのように、青い鳥は言った。


(ジルが伝えてくれていたのね)


 ミチルの話し相手は、ジルしかいない。ジルは、ミチルがきらきらした笑顔で語る物語の感動を、優しく聞いてくれていた。


 食事を終えると、ふたりは自然に席を立ち、シェルフの前に移動していた。ミチルはシェルフから次々と本を取り出すと、長椅子に腰かける青い鳥の膝の上で開いた。これはこんな物語で、わたくしは、こんなところが好きなのです。と語る。

 青い鳥は寡黙だったが、冷たくはなかった。おしゃべり嫌いでもないようだ。ミチルを見つめる目が優しい。


 楽しくって、つい夢中になったミチルが最後に手を伸ばしたのは、シェルフの奥で、他の本の影に隠れ、ひっそりと息を潜めていた、古めかしい装丁の本だった。手に取るのも、ずいぶんと久しぶりである。

 くるくると動き回っていたミチルが、ぴたりと動きを止めたので、青い鳥は訝った。


「どうした?」

「ああ……申し訳ございません」


 ミチルは、本をシェルフに戻してしまおうかと思った。しかし、それはいけないと、チルチルは言う。


(彼は君の旦那様なのだろう? 君の心を、すっかり打ち明けてしまうべきだよ)


 はい、お兄さま。と小さく呟くと、ミチルは本を携えて、青い鳥に歩み寄った。枷を引き摺るような重い足取りに、青い鳥が気付かないはずがない。


「これは、人魚姫」


 かじかんだような指で、頁を捲る。愁いを含んだ眼差しを、砂浜に横たわる青年に向ける、半人半魚の乙女の挿絵を、指先で撫でた。


「可哀想な人魚の姫のお話です。王子様に恋をして、そのお命を救ったけれど、住む世界が異なるせいで、決して結ばれることはありません。

 諦めきれなかった人魚姫は、魔女と禁断の契約を交わします。声と引き換えに足を得て、王子の許へ行きました。

 けれど……王子は、人間の女に心惹かれ、婚約を交わしてしまうのです。

 人魚姫は、王子と結ばれなければ、泡となって消えてしまうと定められています。たったひとつだけ、助かる方法はありました。それは、魔女の短剣で王子の心臓を貫くことです。

 人魚姫は、そうしませんでした。想いを遂げることが出来ないまま、涙とともに泡になって海へ消えたのです」


 頁を捲る。最後の挿絵は、涙の海に沈み、泡になって消えゆく人魚姫の悲しい最期だ。斜め上には、船上で幸福そうに寄り添う、ひと組の男女の姿が描かれている。人魚姫が求めた幸福を、すんなりと享受する女の無邪気な笑顔に、ミチルは爪をたてた。


「ひどいお話」


 ミチルは、吐き捨てた。青い鳥は、ミチルの顔を食い入るように見つめて、訊ねた。


「その話ハ嫌いカ」


 ミチルは、はっとして、我に返った。紙を伸ばし、女の笑顔を抉る爪痕を消そうとする。


「いえ、嫌いなんて、そんな。兄はこの物語が好きで、よく読み聞かせてくれました。わたくしも、喜んで聞いていたのです。けれど、今になって思うと……許せなくて」


(許せない)


 つきん、と左目の奥が痛んだ。眼帯の上から左目をおさえる。腰を浮かしかける青い鳥を目で制した。


(爪痕は消えない。消す必要もない。もっと深く、刻んでしまいたい)


「わたくしが許せないのは、王子が人間の女と結ばれたことです。わたくしには……このお話が、人ならざる身で人に恋をした人魚姫を、嘲っているように思えてならないのです。王子と出会ったことは罪で、恋に落ちたことが罰なのでしょうか。……人魚姫はせめて、王子の心臓を刺し貫くべきでした。そうして、王子と共に海へ帰ればよかったのです」


 青い鳥はただ黙して、ミチルの表情の移ろいを眺めている。ミチルは、醜態を恥じて、青い鳥にくるりと背を向けた。

 無礼な振る舞いだとわかっているが、ただでも醜い顔をさらに醜く歪ませて、旦那様と向き合うなんて、耐えられない。


(幻滅されたでしょうね)


 ミチルがしているように、青い鳥は、物憂げに俯いた。


「あとから出てきた女ガ、人間だというだけデ、王子ト結ばれる。人魚姫ハ、哀れだ。好き好んデ、人ならザル身二生れついたわけでハ、無かろう二」


 青い鳥はいつの間にか、ミチルのすぐ前に立っていた。左腕をゆったりと持ち上げ、翼を広げると、羽根を一枚毟り取る。ミチルの左手を眼帯から剥がし、抜き取ったばかりの羽根を握らせた。

 図鑑で見る鳥の羽根とは、似て非なるものだ。青い鳥の羽根は、羽毛の一本一本が、微細な青い結晶で出来ている。照射角度を変えるたびに、星が瞬くように輝いた。


「まぁ、綺麗」


 うっとりと呟いたミチルの手の中で、羽根は、ぼろぼろと崩れ落ちた。白い粒になって、掬い上げようとしたミチルの指の隙間をすり抜けてしまう。


「消えちゃった……」

「私ノ体ヲ離れるト、塩ノ粒二なる」


 青い鳥は、羽根をもう一枚、毟り取った。シャンデリアの灯りに翳す。


「表面二角度ノ違う多数の面ヲ持たせることデ、光ヲ屈折させ、輝く。美しさもまた然り。美しいだけでハ、このように輝かヌ」


 その羽根も、先端から塩の粒になり朽ち果てた。青い鳥は、手を一振りして塩を払い落すと、ミチルの右目を覗き込んだ。心へ通じる除き窓であるかのように。


「矛盾していると思うだろうガ、脆さ、醜さ、愚かしさは、美に輝きヲ与える。お前ハ、美しい」


 青い鳥は、ミチルの心の扉をノックしていた。ミチルは、扉を開けた。

 ミチルの、女にしては長い体が、青い鳥の腕にすっぽりとおさまっている。硬い胸に体を預け、ミチルは瞑目している。


(ジル。あなたの目に狂いはないのね。あなたの言った通り。旦那様は、わたくしのありのままを愛して下さる、希有なお方なのだわ)


 ミチルの手から、人魚姫の本が滑り落ちた。拾い上げることはせず、青い鳥の背に手を回して、ミチルは心の中でチルチルに語りかけた。


(お兄さま。わたくしは、幸せになります)

(そうだと良いね。けれど、果たして、そんなにうまくいくのかな?)


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