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チルチルハミチルーー私たちと青い鳥ーー  作者: 銀ねも
裏側の終章「幸せな青い鳥」
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幸せな青い鳥2

背を向けているウェンディの顔が、ぐしゃりと潰されたみたいに、顰められることがわかる。ウェンディほどあからさまではないにしても、ディーブベルもまた、サベゲテル・ラニマーテルの訪問は歓迎してはいなかった。


サベゲテル・ラニマーテルは、妻が銀の悪魔に襲われた時、たまたま、その場に居合わせた。……ということにしてある。その特殊な状況を演出したのは、実は、ディーブベルなのだ。

何も知らずに、言いつけられた所用を済ませて自室に戻ったサベゲテル・ラニマーテルは、その場で銀の悪魔に襲われた。幸運にも、物理的な衝撃で足を折っただけで済んだ。マリ・ダオンは正気を失っていても、無意識のうちに、サベゲテル・ラニマーテルに手心を加えたのかもしれない。本当のところはわからないし、敢えて解明しようとも思わない。


サベゲテル・ラニマーテルが銀の悪魔に取り込まれていたら、命はなかった。人間との混血児である彼には、宿り換えが出来ないからだ。

しかし、サベゲテル・ラニマーテルの意識に、銀の悪魔に食い殺されるリスクは織り込み済みだっただろう。サベゲテル・ラニマーテルは、ドクター・オズの薬で仮死状態にしたマリ・ダオンを、銀の悪魔を宿していると知っていて、ずっと手元に置いていたのだから。


サベゲテル・ラニマーテルが、何をしに来たのか。察しはつく。マリ・ダオンを奪われたと、腹を立てているのだろう。情けない弱虫が、こうして畏怖するディーブベルの許へわざわざ出向くには、恐怖を凌駕する怒りが必要不可欠だ。

サベゲテル・ラニマーテルの訪問を受けて、相手をするのが面倒だと、ディーブベルは率直な感想を抱いた。余裕のある時ならまだしも、今は不得意な書き物のせいで疲れている。辛気臭い面を拝みながら、女々しい恨みごとを聞かされるのは勘弁してほしい。


ディーブベルが何か言う前に、ウェンディが動いた。サベゲテル・ラニマーテルの前に立ちはだかる。ウェンディはそのつもりがなくても厳しいものが滲み出て、相対するだけで相手を威圧してしまうが、意図して威圧した場合は、その比ではない。


「なぜ持ち場を離れている、サベゲテル・ラニマーテル」


サベゲテル・ラニマーテルは、負傷後間もなく回復し、即日職場に復帰した筈だった。復帰したと言っても、茫然自失とした状態では、ほとんど使い物になっていないだろうが。

例えそうであっても、この時間に屋敷の中をうろうろしているべきではない。


サベゲテル・ラニマーテルは、睨みを利かせるウェンディを交わして、部屋に踏み込もうとする。ウェンディが眦を決した。


「待て」

「旦那様にお話があります」

「今すぐ持ち場に戻れ」


 いつもなら、ウェンディの一睨みで尻に帆をかける筈のサベゲテル・ラニマーテルが、今日はやけに粘る。ウェンディは業を煮やして、部屋に押し入ろうとするサベゲテル・ラニマーテルの腕を掴んだ。

 ぱしん、と乾いた音が鳴り響く。なんとサベゲテル・ラニマーテルが、ウェンディの手を叩きはらったのだ。

 サベゲテル・ラニマーテルは、予期せぬ反撃に瞠目するウェンディを真正面から毅然として見据えた。


「出て行くのは君だ。僕は父に話がある」


 彼がディーブベルを父と呼んだのは、ハルメーンを出て以来、初めてのことだろう。


 ウェンディは俄かに殺気立つ。ウェンディは不満を貯めこまないからか、沸点は基本的にそれほど低くないのだが、サベゲテル・ラニマーテルが相手だと話しは別だ。傍観していたら、この場でサベゲテル・ラニマーテルを、その恐るべき斧の腕で叩き潰しかねない。ディーブベルは目の動き一つでウェンディを諌めた。そして、サベゲテル・ラニマーテルには、穏やかに言った。


「今夜、仕事を終えたら私の部屋に来なさい。話はその時に聞こう」


 不服だったのだろう。サベゲテル・ラニマーテルは噛みつきそうな険相でディーブベルを睥睨する。ディーブベルは、彼の目を見つめて、静かな声で言った。


「いいね、カイ。今夜だ。今じゃない」


カイの名で呼ぶと、彼は言葉につまり、大股で部屋を出て行った。忌々しげにサベゲテル・ラニマーテルを睨んでいたウェンディも、一礼して出て行く。ウェンディは遠慮はないが、主人の気持ちに配慮はできるのだ。そうでなければ、重用していない。

 

 ぱたんと扉が閉められて、ディーブベルは堪えていた笑いを漏らした。


(カイ、か。懐かしいな)


 かつてハルメーンで、ジル・メーテルリンク公爵として生きていた頃に、政略結婚した混血の女との間に一男をもうけた。真名をもたない息子は、母親にカイと名付けられた。


 正妻と嫡男。しかし、それは形ばかりの立場。ディーブベルにとって、カイとその母親は、取るに足らない存在だった。所詮は血の薄まった色濁り。翼と美しい青い輝殻をもつ青い鳥の血族として、ふさわしくない。


ハルメーン崩壊の際、ディーブベルは今の妻と、育ての母である保母のジュジュだけを連れて亡命した。カイとその母親がどうなったのか、知ろうともしなかった。もう二度と、会うこともないだろうと思っていた。


カイと再会したのは、ハルメーン崩壊の二年後。使徒座の天使となったディーブベルの許へ、カイを連れてきたのはドクター・オズだった。ドクター・オズは、カイと水晶の棺に眠るマリ・ダオンを置いて、さっさといなくなってしまった。ドクター・オズとはそれきりだ。


カイはディーブベルを父と呼ばず、カイの名を名乗らず、ただ、彼女と一緒にここに置いて下さいとだけ言った。

 

もしも、カイがディーブベルを父として頼ったなら、ディーブベルはカイを迎え入れなかっただろう。ディーブベルは使徒座の天使として、優雅な生を謳歌していた。ハルメーンで人間になりすまし、息を殺して生きていた過去は、それ自体が耐えがたい屈辱。当時のディーブベルはまだ、過去は過去だと割り切ることが出来ていなかった。


ディーブベルはカイにサベゲテル・ラニマーテルの名を与え、使用人として家に入れた。青をこよなく愛するディーブベルが、青ではない、それも色濁りの少年を使用人として雇い入れたことで、他の使用人たちは驚いたけれど、ハルメーンの遺児だと説明すれば、それ以上の追求はしなかった。


 カイは仕事が出来る方ではなかったが、仕事に不慣れな若者によく慕われ、それなりの生活をしていたようだ。ハルメーンの遺児という肩書のお陰で、色濁りであっても冷遇されることはなかっただろう。ウェンディだけは例外だ。彼女は子供の頃、混血の男に酷い目に合わされて、それ以来、男と混血を激しく憎んでいる。


 ディーブベルはカイの望みを、全て聞きいれた。カイは棺に眠るマリ・ダオンと共に、西の別棟の最下層で、望む暮らしさせてやった。


カイは、邪魔者のチルチルを始末してくれた。その働きに対する報酬だ。


ディーブベルは、カイがマリ・ダオンに執心していると知っていた。だから、カイの耳元でちょっと囁いたのだ。チルチルがマリ・ダオンを唆し、妻を連れてディーブベルの許から逃げようと画策していたことを。


 青い鳥の血統と、神の仔たる妻は、ディーブベルの宝だ。それらを奪おうとするものに、ディーブベルは容赦なく報いを受けさせる。その結果として、チルチルは死に、マリは銀の悪魔と化し、妻は記憶と権能を忘れてしまった。


大切なことを忘れても、ディーブベルの妻は特別な存在だ。何人もの人間の女を犯し、孕ませ、殺し、その工程を気が遠くなるほど繰り返し、やっと手に入れた。神の仔になり得る希有な存在。醜い筈の人型の容姿さえ、彼女を産ませた人間の女の生き写しで、可憐だった。


妻を産んだのは、生意気な女だった。卑しい人間の中でも、最も卑しいとされるものに身を落とした女。それなのに、背をしゃんとのばし、臆せずにディーブベルを見つめ返してきた。

一夜の交わりは、その女の強い体と精神なら、ディーブベルの仔を産めるかもしれないと期待をもたせた。しかし、女はディーブベルから逃げた。

見つけ出した時には、路傍の石頃のような人間の雄と交わり産んだ、チルチルを連れていた。目があの女にそっくりだった。弱い人間の分際で、ディーブベルに歯向かう、刺すような眼差し。

二人はディーブベルの妻を愛し、あたかも、自分たちのものであるかのように扱い、ディーブベルから奪おうとした。


青い鳥の妻になるべくして、産まれてきた娘だ。邪魔をするものは徹底的に排除する。ディーブベルは二人を亡きものにした。


二人を殺し、ふと気が付くと、ディーブベルの心には、小さな穴があいていた。ちっぽけな人間の存在が、しっかりと心に食い込んでいたという事実は、ディーブベルを驚愕させた。


ディーブベルは独占した妻に、綺麗なものだけを与えて、蝶よ花よと慈しんだ。何も知らない、純真無垢な愛くるしい妻。ディーブベルだけを盲目的に愛するようになれば、完璧な「青い鳥の妻」になる筈だった。


 ところが、ディーブベルに体も心も寄りかかってきた、愛おしい妻を腕に抱いたとき、ディーブベルは満たされない心に気付いてしまった。なんでも鵜呑みにする素直な眼差しに、物足りなさを感じる。足りないものはきっと、神の仔としての権能と自覚であるのだと、ディーブベルは自分に言い聞かせていた。


(神の仔として目覚めた、この世で最も美しい妻を手に入れる。それが私の悲願。それで……満足するだろうか)


 ディーブベルは指を組んだ上に顎を載せて、目を閉じた。脳裏に浮かぶのは、あの女の生意気な顔。


 ウェンディが睨んだ通り、ディーブベルは矛盾を抱えていた。大切に育てた穢れのない白い花に、汚いものをぶちまけるような真似をした。

 

本当に、そうしなければ、ならなかっただろうか。他にも、妻を神の仔に戻す手段はあったのではないか。ディーブベルは敢えて、それをしようとしなかったのではないか。

 

 薄々、感づいていた。決定的に思い知ったのは、妻の中のチルチルが、ディーブベルの翼を切り落とした時だった。

 

あの時の妻にディーブベルは魅了された。翼を切り落とされても、その苛烈な目を見つめていたいと思ったのだ。


(あの反抗的な目に、私は未練があるのだ。恐れを知らない強い瞳を揺らし、希望の光を奪い、無様に屈服させる。そうして得られるだろう最高の悦楽を、私はまだ、味わっていない)


 ディーブベルは同じ屋根の下にいる、妻に想いを馳せる。今頃、どうしているだろうか。チルチルの人格と融合し、三人分の記憶を手に入れた妻は、ディーブベルの所業を知り、ディーブベルに憎悪を燃やしているだろうか。


 脳裏に妻を思い描く。憎しみに焼かれた妻の、壮絶な美しさを思い描き、ディーブベルは歓喜にふるえる。


そうだ。全てはこの為に。私はこの女の誕生を、待ち望んでいたのだ。




(了)



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