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チルチルハミチルーー私たちと青い鳥ーー  作者: 銀ねも
終章「チルチルハミチル」
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チルチルはミチル2

 瞬間的に、私の世界は白く凍りついた。


 再会できた、お兄さま? なぜ、ベティの口からそんな言葉が出る?


「どなたから、聞いたの?」


 詰問口調ではなかった筈だけれど、ベティはうろたえた。よろめくように、あとずさる。


「えっ? あの……旦那様から聞いたんです。奥様の、生き別れのお兄様が、とうとう見つかったって。あれ……ひょっとして、秘密、でした? 言っちゃいけませんでした?」


 ベティの瞳は不安そうにきょどきょどと泳いだ。ウェンディのことを気にしている。ウェンディの方は、まったく動じていない。

ウェンディも知っているのだろう。ベティと違って、「ミチルとチルチルの再会」の意味を、正確に把握しているに違いない。


 ……なるほど、知っていたの。私はとんだピエロね。


 私は言い訳がましく動くベティの唇に、人差指をあてた。額を合わせて、ウインクする。


「ええ。わたくしたちだけの秘密よ」

「へ? ……ちょっと、ちょっと待ってください、奥様!?」


踵を返した私に、ウェンディは影のように付き従った。

廊下に出るとウェンディは、彼女独特の落ち着いた、抑えた声調で言った。


「お次は、サベテル・ラニマーテルの部屋へ?」

「今日はやめておくわ。考えてみたら、病み上がりなのよね。大人しく休んだ方がいいでしょう」

「では、お部屋へ。お休みになられる前に、何かお召し上がりになりますか」

「あら、わたくしは平気よ。もう十分休ませて貰ったから」


 私が振り返ると、ウェンディは慎み深く目を伏せる。私は視線の絡まない目を、挑むように見据えた。


「テルを休ませてあげるの。今、わたくしが会いに行ったら、彼の小鳥の心臓はきっと、鼓動をとめてしまうもの」


 気を配ってあげないといけない。テルの心は繊細にできている。チルチルの気配を完全に殺さなければ、きっと気付かれる。そうしたら、テルはとてつもないショックを受けるだろう。私のことを怖がるに違いない。


 テルに嫌われたくない。テルだけではなく、誰にも嫌われたくない。好かれていたい。

 極力、敵は増やさず、仲間を増やしたいのだ。


 もしも、テルが既に全てを知ってしまったなら、こんな心配も、徒労に終わるのだろうけれど。

 

 ウェンディは人形のように静かだ。これ以上かまをかけても、拉致があかないだろう。

 私はウェンディの氷の仮面に柔らかく告げた。


「お部屋へ戻ります。お食事の用意をして頂戴。お腹がぺこぺこよ」


***


 ウェンディは私を部屋に送り届けると、当然のように言った。


「旦那様をお呼びして参ります」

「なぜ?」

「旦那様のご意向です。お食事はお二人でと」

「そうだったかしら。けれど、今日は、わたくし一人で頂きたいわ。ディル様に、そうお伝えてしておいてくれる?」


 私がとぼけてみせると、ウェンディは私を探るように見つめる。ウェンディの強い眼差しの中に、小さい牽制の針が尖っている。


「如何なさいました? ご気分が優れないのでしたら……」

「あのひとは呼ばないでね」

「しかし」

「いいから」


 私がぴしゃりと言うと、ウェンディはそれ以上踏み込まない。ウェンディは私に逆らうのを許される立場ではない。少なくとも、表面的には。


私は入れ子のある視線をウェンディに投げかける。唇だけで弧を描き、小さな牙が覗かせて。


「貴女のことだから、そのままお伝えしたりしないと思うけれど。うまく申し上げておいてね。お願い」

「善処します」



ウェンディの善処とは、どの程度のものだろう。結局は、旦那様とやらに私の言葉をそっくりそのまま伝えることになるだろうに。


私はシェルフの前に移動した。本の背表紙を指でなぞりながら、扉を閉めようとするウェンディに、背を向けたまま問いかける。


「理由が知りたい?」


 ウェンディは何も言わない。沈黙は、私が埋めた。肩越しに振り返り、挑発的な微笑を唇に刷いて。


「本気で嫌だから。ふふふ、あの人には内緒よ?」


 ウェンディが音も無く退室して、部屋には私だけが残された。私は無造作に一冊の本をシェルフから取り出すと、長椅子に腰かける。癖のついた頁を捲ると、海面から顔をだした人魚の姫が、船上の王子を見つめていた。

 頁をさらに捲る。人魚姫が王子を救い、足を手に入れ地上にあがり、恋破れて泡になり、空気の精になって天に召される。


 胸が張裂ける悲恋の物語を一通りなぞっても、私の心に悲しみは湧いてこなかった。 


 私の心には、三人分の悲しみの記憶がある。もう、悲しみは十分足りているのだ。


 私は本を閉じて、長椅子に放り出した。背もたれに深く凭れ、目を閉じた。


 私はミチル。そしてチルチル。マリが二人を引き合わせ、二人を私にしてくれた。

 私はもう、悲しむことはない。きっと、喜ぶこともないのだろう。そうして、安らぎもない。私の心に残っているのは、あの男への憎しみだけ。


 身勝手な野望の為に、私の母をとらえ、喰い殺した。 

ミチルを地獄に突き落とし、化物につくりかえようとした。優しい父親の愛を装い、大きな夫の愛を偽り、愚かなミチルを手玉にとって、騙し、弄んでいた。

チルチルを、カイを、マリを踏み台にして、一番高い望みの果実を掴み取ろうとしている。

 

 ミチルたちはあの男の目論み通りに運命の坂を転がり落ちて、人生を滅茶苦茶に蹂躙された。けれど、私はあの男の思い通りにはならない。


 私は目を開けた。


 ミチルが記憶と一緒に封じこめた、神の仔の怪物性を呼び覚ますことこそ、あの男の真の目的だ。その副産物として私が生まれることを、あの男は予期していただろうか。私のことも、簡単に丸めこめると思っているのだろうか。


 その過剰な思いあがりが、命取りになる。


 ミチルは愛を乞うだけの、心の弱い小娘だった。特別な力を手に入れても、どうしていいかわからなかった。あの男の掌で転がされるだけだった。

 

 私は違う。私はひとりじゃない。私はミチルであり、チルチルであり、マリでもある。私は神の仔の権能と、あの男の執着を利用して、きっと、あの男に然るべき報いを受けさせる。

 

 今は牙を隠しておこう。あの男の懐に潜り込んで、ゆっくり牙を研ぎ澄まそう。あの男が私に心を明け渡した時、私は憎悪の牙を、青い鳥の心臓に突き立てるのだ。


ミチルの話はおしまいです。残すは、裏側の最終回です。

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