マリの告白3
私が犯した第二の罪は、私のその後の人生に、暗い影を落とすことになる。
チルチルを嫌っていた私は、彼を避けていた。ところが、彼は意固辞になってしまって、私を諦めてくれない。チルチルは意外に迂闊で、意外に優しく、とても一途で必死だった。彼には大切なものがたったひとつだけある。彼のたった一人の家族。妹のミチルだ。そのために、なりふりかまっていられない。
チルチルはジョシュアを追い詰めた。カイを追い詰めている。でもそれと同じくらい、彼は自分自身を追い詰めていた。
私は彼のことを見直し始めていたのだ。そんなときに、私はミチルの悲劇を知った。チルチルはまんざらの悪人ではないと知りながら、私は彼の大切な家族の危機を彼に知らせなかった。
そしてとうとう、その日が来てしまった。
ミチルが死んだと聞いて、チルチルは生きる意味を見失ってしまった。私は何も出来なかった。錯乱したチルチルが、どうして妹は死んで君は生きているんだと、私を責めた時。私には返す言葉もなく、私は彼から逃げようとした。けれどそんな私のことを、彼は助けてくれた。
本当のチルチルは、彼が見せようとしている姿より、ずっと優しい。ジョシュアにしたしうちを悔いているし、私のことを、どうでも良いと言いながら、守ろうとする。
チルチルは、私と正反対だった。
私は良心の呵責に苦しんだ。いっそ、洗いざらい全てをぶちまけてしまおうと、何度も思った。チルチルに断罪されれば、私は救われる筈だ。
けれど、そうしなかった。私は母の真似をするだけの、くだらない生にしがみついていたのだ。
ミチルを失い、自暴自棄になって、死に物狂いでかき集めていたものを全て投げ捨ててしまった、可哀そうなチルチルをほうっておけなかった。罪滅ぼしの意味合いが多かったけれど、それだけじゃない。
私はあさましくも、彼の天使になりたかった。
チルチルは、私を相手にしてくれなかった。素っ気ないあしらいを受けても、私はめげなかった。何を引き換えにしても、私はチルチルの傍に寄り添おうと決めたから。
チルチルの心は、少しずつ解れていったようだった。私の目を見てくれるようになったし、話しかけてくれるようになった。私が手を引けば部屋の外にも出てくれたし、微笑んでくれた。
私は嬉しかった。私の献身は、チルチルを立ち直らせることが出来ると思った。チルチルが私に「ありがとう、愛している」と告げた時、私は純粋な感動に胸を揺さぶられた。
その時わかった。いつの間にか、私がチルチルを愛していた。
ところが、浅はかな幸せは、長くは続かなかった。
カイが私の許にやって来た。久しぶりだ。私がチルチルと婚約してから、カイは私をさけるようになっていたから。
久しぶりに会うカイは、相変わらず、私を眩しそうに見つめてくれる。その熱い視線は心地良い筈だった。けれど、彼の崇拝は変質しはじめていた。
カイは、チルチルから離れるよう、私に忠告した。カイが心配してくれていることは、わかっている。けれど、私は反発した。聞く耳を持たない私に、カイは彼らしくない、畳みかけるような、すごい剣幕で言った。
「お兄さまの妹のミチルは、本当は生きている。だけど、ミチルはおかしくなってしまった。お父様がそうしてしまったんだ。ミチルは放っておくと、人を襲って食べてしまう。だから、地下に幽閉されてる。
お兄さまは、ミチルがそんな状態だと知っているのに、ミチルを外へ連れ出そうとしてるんだ。
マリ、お兄さまはあなたを愛してない。僕にはっきりとそう言った。お兄さまは、ミチルしか愛せないんだ。きっと近いうちに、お兄さまはあなたに助けを求める。ミチルを逃がす為だ。お兄様には、ミチルを連れて国外に逃げる力はない。あなたは、利用されているだけなんだよ!」
私は大きなショックを受けた。心は深く傷つき、痛みに身もだえ、心ない罵声をカイに浴びせた。なんて言ったのか、よくおぼえていないけれど、カイはこの世の終わりを迎えたかのような顔をしていた。
信じたくなかった。けれど、内戦が起こり、人喰いたちの殺処分が決まったとき。チルチルは私に、ミチルのことを打ち明けた。このままでは殺されてしまう。妹を助けたいのだと。そして、彼は次にこう言った。
「マリ、君を愛してる」
裏切られたと、傷つく自分が嫌だった。私には、そんな資格はないのに。
私は放心した後に、騙されたふりをすることを決めた。
父のお金で亡命の手配をする。父には打ち明けられない。ハルメーンを去り、ドクター・オズの許を離れたら、私は銀のものに食い殺される。私を愛してくれる父に、それでも良いなんて、とても言えない。
約束の日は、きしくも、中央都に戦火が及んだあの日だった。私は父の目を盗み、外へ出た。亡命の手はずは調っていた。御者を急かし、待ち合わせ場所へ急ぐ。
約束通りやって来た私を見て、チルチルは驚いたような顔をした。不思議そうにチルチルと私を見比べる幼い少女は、チルチルによく似ている。ぴったりと寄り添う兄妹を見て、私は心の中で泣きながら、微笑んだ。
ハルメーンを出たあとは、どうなるだろう。すぐに捨てられるだろうか。それとも、私が死ぬまでの間、チルチルは優しい嘘をつき続けてくれるだろうか。
チルチルに抱擁されながら、私は涙を堪えていた。
(私を利用していいのよ。あなたたち兄妹は幸せになるべきだもの。ただ、ひとつだけ、我儘を許して。私を最後まで、あなたに騙された、可哀想な天使でいさせてね)
私は最期まで、嘘をつき通そうとした。私はやっぱり、偽善者だった。逆立ちしたって、母にはなれない。
私の命がけの願いは果たされなかった。私の目の前で、チルチルは死んだ。ミチルが殺した。
愚かなミチル。誰よりもチルチルに愛されていたのに、チルチルの嘘を真に受けた。黙って口を開けて待っているだけで、望むものはすべてあなたのものになったのに。
私は憎しみに支配された。銀のものは私の求めに応え、ミチルを殺そうとした。けれど、殺せなかった。負い目とか、憐れみではない。ミチルはチルチルにそっくりだった。
私は火に覆われた街をひたすら歩いた。帰り着いた屋敷は、焼け落ちていた。私は自嘲した。どうやら、すべてをなくしたようだ。
立ち尽くしていると、懐かしい声が私に語りかけてきた。
「お兄さまは、死んだんだ」
振り返ると、そこにはカイがいた。カイはぎこちなく微笑んでいる。おずおずと近づいて来ると、ためらいがちに、私を抱きしめた。
「ごめん、マリ。でも……これで、あなたは僕のものだね?」
私は頭を振った。その意味を、カイは正しく汲み取ることが出来なかっただろう。けれど、私は言葉で彼に伝えることが、ついに出来なかった。
(謝るのは、私の方よ。ごめんなさい、カイ。私は偽物の天使だった。だから、あなたのことも、壊してしまったのね)
「お願いだ……お願いだから、あなたは僕のものだと言って。嘘でもいいんだ。それでいい。ねぇ、あなたは僕のものでしょう? お兄さまはもう……いないんだよ!」
カイが叫んでいる。どんどん、遠のいて行く。私は、暗い穴に、真っ逆さまに落ちていた。