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チルチルハミチルーー私たちと青い鳥ーー  作者: 銀ねも
裏側の四話「彼女の懺悔」
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マリの告白2

体の心配を忘れたい私は、慈善活動に没頭した。ダウンタウンに入り浸っていた。


上流階級に馴染めずに、居心地のいい私の居場所に逃げていたのだ。私のような、不器用な娘は、上流階級では爪弾きにされる。

努力をして阿諛迎合すれば、底辺だとしても、仲間に入れて貰えたかもしれない。けれど、そんなのこっちから願い下げだ。


私の自尊心は、我ながら、不相応に高い。私はダウンタウンのこどもたちの、ジョシュアの、聖母なのだ。彼らに恥じるようなことはしたくない。


しかし、ひとりぼっちの学生生活はなかなかに厳しい。無視されたって構わないけれど、悪口影口を叩かれ、後ろ指を刺されることには、いつまでたっても慣れない。


「あのハルメーンの至宝が、こんなつまらない娘のせいで」


そう嘲られた記憶がよみがえり、涙が出そうになる。


ジョシュアも、似たような状況だった。可哀そうなジョシュアは、貴族学校の寄宿生活でも意地悪なジョージから逃れられず、陰湿ないじめを受けている。


けれど、ジョシュアは愚痴を零さない。自分のことよりも、辛い目にあっている同窓生が気がかりなのだと、彼は手紙に綴っていた。

気の弱いジョシュアが、表だって彼を庇うことは難しい。ジョシュアは思い患っていた。細い線で綴られた文字の震えが、彼の声を私に伝えた。


『僕は自分が情けない。僕はひきょう者だ。チルチル君が辛い思いをしている時、僕は心のどこかでほっとしている。チルチル君が、僕じゃなくて良かったと、心のそこからほっとしている。ああ、マリ。君のように強くなりたいよ。卑劣な行為に立ち向かう勇気が、僕にもあればいいのに』


ジョシュアは私を崇めている。私には、後ろ暗いことは何もないと思いこんでいる。私なら恐れず正義を行えると、信じていた。


ジョシュアの期待を裏切りたくない。私はすぐに手紙を出した。彼を励ます為の、綺麗な言葉をたくさん並べた手紙を。


ジョシュアからの返事は、いつまで待っても届かなかった。ジョシュアは心を壊してしまったのだと、後になって父にきいた。


私はジョシュアに会いに行った。叔父はいい顔をしなかった。壊れてしまった息子は、彼の汚点でしかないようだ。

私なら、ジョシュアを元に戻せる。なんの根拠もなく、私は確信していた。

けれど、徹底的に壊れたジョシュアを見た瞬間に、くだらない思いあがりは打ち砕かれた。


私なんかにはもう、どうにも出来ない。壊れたジョシュアと、彼を精神的な死に追いやった全てを呪う彼の母親から、私は逃げ出した。


結局、私は紛い物。聖母の真似をしていただけ。どん底に落ちた、かわいそうなひとを本当の意味で救うことなんて、出来ない。

私は親友と、はりぼての自信を喪失した。ダウンタウンにも顔を出し辛くなっていった。私は紛い物だ。本当はもう、気付かれているんじゃないだろうか。


息を潜める日々をやり過ごし、私はカイと出会った。

 七つ年下のその男の子は、いつも怯えていた。私は引き寄せられるように、カイに声をかけていた。その時は、カイがジョシュアを陥れた、チルチル・メーテルリンクの弟だとは知らなかった。


 私は心を奮い立たせ、誓った。カイは守って見せる。私にだって救える人がいる。今度こそ、証明してみせる。


カイは純粋無垢だ。カイの目にうつる私は、いつの間にか天使になっていた。私はカイの天使になりきった。一心に向けられる、ひたむきな気持ちに酔っていたかった。カイの為なら、なんだって出来る気がした。万能感に酔いしれる私は、カイの一途な危うさに、気が付けなかった。


カイの異母兄、チルチル・メーテルリンクとの対峙は、思いもよらない形で果たされる。父が決めた婚約者は、チルチル・メーテルリンクその人だった。運命の女神のいたずらにしても、度が過ぎている。


チルチルはジョージの友人らしい。類は友を呼ぶとは、まさにこのこと。チルチルは、天使の皮を被った、狡猾な悪党だった。


彼を軽蔑する一方で、私は彼という人間の在り方に、衝撃を受けた。彼は他人に対しては薄っぺらな嘘つきだけれど、自分自身には正直だった。

チルチルは、自分が酷く醜い人間だと理解して、受け入れている。その素直さが、私には少しだけ、羨ましかった。

ありのままの自分を認めたく無くて、なんとか繕おうと必死になっている私に、絶対的に欠けているものだから。


だからと言って、彼が嫌な奴だということは変わらない。チルチルは、ジョシュアにひどいことをした。どんな理由があったとしても、あんなにも優しい人を、あんな目に会わせるなんて、許されない。


私はチルチルを軽蔑する。私が偽善者だと言うことは百も承知の上だけれど、偽善すら出来ない奴よりはましだ。


それに、好きでもない女の子にキスをして「ほら、これでいちころだろ?」ってしたり顔をするような男は、最低のくずに決まっている。


けれど、父はそんな最低のくずと私を、是が非でも結婚させたいらしい。

父は、あの手この手で、チルチルを持ち上げて、私の気持ちを変えようと奮闘した。その一環として、父から伝え聞いた、彼の生い立ちは壮絶だった。チルチルは、ダウンタウンの色街の中でも、一番過酷と言われる飾り窓で育ったと言う。私みたいな、お嬢様育ちには、想像に絶する苦労があった筈だ。


流石は父、どうしたら私の琴線に触れるか心得ている。


だからと言って「なんてかわいそうなの。結婚しましょう」なんて、安易に考えを変えたりしないし、第一、いくら嫌な奴とは言え、同情して心変わりするなんて、失礼過ぎる。


私はきっぱりと拒否したのに、父があまりにしつこいので、私は痺れを切らし


「どうして、そんなにチルチル様をお婿さんに欲しがるの? 私がこんなに嫌だと言ってるのに」


と詰問した。父は、ああだこうだと贅言を尽くした末に、ぼそりと白状した。


「メーテルリンク公爵家は、お前の体の秘密を理解し、受け入れてくれる。チルチル様の妹君もまた、ドクター・オズの治療を受けているのだよ」


 父は私のことを、いつだって第一に考えてくれる。恐ろしい噂をもつあの青髪公爵と、何度も何度も面会を重ねていたのも、一重に私のためだ。


私は、表だって態度を改めることはしなかった。焦った父はチルチルをけしかけて、私に猛アタックをさせたけれど、私はすげなく追い返した。熱心に求愛する色男を、惜しげなく袖にする私のやり方を、メイドたちは痛快だと言ってはしゃいだけれど、私は頭が痛くなるばかりだった。

 

 定期診察の為にドクター・オズを訪ねた私は、なるべくなんでもない風を装ってこう訊ねた。


「メーテルリンク公爵令嬢も、私と同じ治療を受けていらっしゃるそうですね?」


 ドクター・オズは大きなこどもだ。興味のないことは徹底的に無視するが、興味のあることは、求められた以上に、求められなくても、ぺらぺらとよく喋る。そして、彼は倫理にも信義にも縛られない。彼が話したいと思った瞬間、秘密という剄は意味をなさなくなる。

ドクター・オズは、「非常に興味深い素体」だとして、ミチル・メーテルリンクのことを話した。


ミチルはある日、野鳥に寄生していた銀のものに襲われた。

女性としての機能が未熟な幼女は宿主になりえないので、本来ならば、襲われることはない。銀のものがミチルを襲ったのは、寄生する為ではなく、捕食する為だった。ミチルは、人間と人喰いの間に生まれた子なのだ。


俄かには信じられないことだった。ドクター・オズは、つまらなそうに鼻を鳴らした。


「マリちゃんさー、ちゃんと歴史の勉強してるぅ? 人間と人喰いのダブルは、そこまで珍しくないよ。この国は、昔から使徒座と国交があったでしょ。使徒座は人喰いの国だ。特使としてハルメーンに滞在してた人喰いたちは、政変による国交断絶の為に、やむなくここに定住したのさ。

最初のうちは仲間内で交配してたけど、近親交配を繰り返すうちに、死産が多くなった。そこで、人間と交配して、煮詰まった血を薄めるっていう、苦肉の策をとったってわけ。そんでもって、「非常に興味深い素体」が「非常に興味深い」たる所以は、異種間交配で生まれた雑種第一代だってとこね」


 ハルメーンで、人に擬態して暮らす人喰いのほとんどに、人間の血が入っている。ミチルの父親、メーテルリンク公爵は希少な純潔の人喰いで、ミチルは彼と人間の間に生まれた「雑種第一代」だと言う。

純潔の人喰いと人間が子をもうけることは、とても難しいことらしい。たいていの場合は、母体の命ともども流れてしまう。

そのかわり、産まれた子供は、雑種強勢の理論に則り、親よりも優れた形質をもつ。ミチルは銀のものへの抵抗力が、突出して高かった。


「普通の人喰いは、銀のものに襲われたら、あっという間にどろどろに溶かされちゃうんだ。でも、あの素体はそうじゃなかった。銀のものに丸のみにされたんだけど、すぐにぺっと吐きだされたんだってさ。素体は、ぴんぴんしてたよぉ。切り傷や刺し傷はあったけど、心臓には一切の損傷なし。素体を襲った銀のものは体の一部を自切して逃げてった。自切した断片に劣化がみられた」


 娘の特別な能力を知ったメーテルリンク公爵は、ミチルをドクター・オズに預けた。「この娘は神の仔に成り得る」と言ったそうだ。


「神の仔ってのは、人喰いに伝わる、青い心臓をもつ特別な個体の伝承ね。その青い血は、銀のものにとっては猛毒だって言う。公爵は、あの素体をその神の仔にしたいんだって」


 ドクター・オズは、メーテルリンク公爵から、ミチルを本物の神の仔にするよう指示されたと言う。ミチルは実験と投薬を繰り返し、ミチルのもつ銀のものへの抵抗力を極限まで高めようとしている。


「いい感じだよん? もうちょいって感じ。やっぱ、定期的に銀のものに襲われるって、かなりのストレスだね。ストレスは進化を加速させるんだ」


 ドクター・オズはさも楽しそうに、私に彼が行っている非道な実験について赤裸々にあかした。私は途中で気分が悪くなってしまい、堪らず中座した。

 

人喰いが人に紛れて生きていたことより、人喰いと人間の間に子が生まれることより。年端もいかない女の子に、拷問じみた生体実験を平然と施す業に、怖気がはしった。


けれど結局、私は何もしなかった。ドクター・オズの非道を弾劾することも、ミチルを助けることも、しようとしなかった。

出来る筈がない。ドクター・オズがいなくなったら、私は銀のものに食い殺されてしまう。


(だって、しょうがないじゃない。父を一人に出来ないもの)

(いえ、そんなのは都合のいい言い訳。私は、死ぬのが怖かっただけ)

 

 私は自分を守る為に、何の罪もない、小さな女の子の悲劇に目を瞑った。

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