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チルチルハミチルーー私たちと青い鳥ーー  作者: 銀ねも
第五話「ミチルと過去の亡霊」
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ミチルの束の間の幸せ

 青い鳥はウェンディを呼ばず、自らミチルの身を清めた。ミチルは幼い時分から、異性であるジルに体を洗われていた。とはいえ、青い鳥に裸を、特に、醜い左目を見られることには抵抗がある。

けれど、青い鳥は、初々しい恥じらいだと含み笑い、顔を真っ赤にしてわたわたする裸のミチルを抱えて浴室に連れ込んでしまう。青い鳥は、仄かに清潔な香りのするふわふわの泡を手際よくミチルの肌と髪にまぶし、豊富なお湯で洗う。ミチルは青い鳥に背から抱え込まれる体制でゆっくり湯につかった。お湯は適温だったけれど、青い鳥と裸で密着したミチルは、すっかり逆上せてしまった。


青い鳥はミチルにシュミーズとドロワーズだけを身につけさせると、綺麗に掃除された部屋に連れ帰り、長椅子に寝かせた。扇でぱたぱたと仰いでくれる。ウェンディに持って来させた、冷製スープを手ずから食べさせることさえした。


ひどい怪我から回復したばかりの青い鳥に、甲斐甲斐しく世話をされることを申し訳なく思う。けれど、スープをすくい取ったスプーンを差し出す青い鳥の楽しそうな気配につられて、ミチルは照れ笑いを浮かべた唇にスプーンを含んだ。

 

大きなベッドは、青い鳥が添い寝をしてもまだ余裕がある。ミチルが幼かった頃、ジルがそうしてくれたように、青い鳥はミチルが眠りにつくまでミチルを抱きしめてくれていた。ミチルは幸福のうちにぐっすりと眠り、夢さえ見なかった。


 目覚めても、ミチルは青い鳥の腕の中にいた。目覚めると、隣はもぬけのからであることが普通のことだから、ミチルは、驚いて訊ねた。


「ずっと一緒にいてくださったのですか」

「そのようダ。お前ノ愛らしい寝顔二見惚れているト、時の流れヲ忘れる」

「まぁ、ディル様ったら、お上手ね」


 くすくす笑うミチルの頬を、青い鳥は愛しげに撫でた。


「眠るお前モ愛らしいガ、目覚めたお前ハ最も美しイ。その青い目ト見つめあう為ならバ、私ハお前の目覚めヲ、いついつまでも待てる」


 ミチルはシーツを頭まで引っぱり上げて、真っ赤な顔を隠した。シーツに潜り込み、ミチルの顔をのぞきこむ青い鳥としばしじゃれあい、二人は声をたてて笑った。


 青い鳥はドレスの着つけまでしてくれた。スカートが段々に重なり、夜のように黒いフリルが横に何列もついた、どこか懐かしい、深紅のイブニングドレスである。喉元と袖口にもレースがあしらわれており、青い鳥の褒め言葉にミチルがはにかみ、笑うと、鳥の羽根のように揺れるのだった。

 ウェンディが運んできた簡単な食事を済ませると、青い鳥は名残惜しげにミチルの額に嘴の先を軽く当てて、部屋を出ていった。

 

不思議と寂しくなかった。青い鳥のすぐ後をウェンディが追従していくのを見ても、心は不思議と落ち着いている。ミチルには、不思議な確信があった。


(わたくしは、愛されている)


 チルチルとの約束は、円満なかたちで果たされる。ミチルは青い鳥に深く愛され、幸せな妻となることができる。チルチルの殺意など、ミチルが幸せならば、決して現実を犯すことはない。


 一人きりになったミチルは、ぽーんぽーん、とのどかな時告げの鐘の音を聞いて、時間は流れていくものだということを思い出した。夜はふけて、日を跨ぐその時が、秒針の音とともにじりじりと近づいている。

 

「まぁ! もうこんな時間!」


 ミチルは金の鍵束を持つと、急いで部屋を出た。ベティはまだ起きているかしら、と独りごち、背に流した髪をなびかせ、廊下を速足で渡っていく。


 日を改めようなんて、思いつかない。青い鳥が今日行けと言ったから、今日行きたい。ミチルを愛してくれる青い鳥を悦ばせたい。そして、ますます愛されたいのだ。


 西の別棟を訪れたミチルは、壁に手をつき、塔の螺旋階段を降りて行く。アンクルブーツの靴音が反響し、ミチルの足音は何重にも響いていた。

 食糧庫の扉の前にたどり着いたミチルは、鍵をあけて、中に入った。

 

 食糧庫はいくつもの扉と、迷宮のように入り組んだ通路からなっている。前に訪れた時の記憶を手がかりに、ミチルは通路を進んだ。


 食糧庫はしんと静まり返っている。ウェンディが錬金術を用いてつくったというポプリの香りが充満していて気分が悪いので、ミチルはハンカチーフで鼻と口を覆って浅く呼吸をしていた。


 ベティは、この香りのお陰で、美味しそうな肉の香りに気を散らされることなく仕事に集中出来るのだと言っていたが、これではかえって意識が散漫になると、ミチルは思う。

 

代わり映えのしない光景に、この道で本当に良かったかしら? と不安に駆られ始めたミチルの耳に、小さく啜り泣く声がきこえてきた。


「……やだ……しに……ない……にたくな……」


 ミチルは足をとめた。涙声は、頑強な錠で閉ざされた、扉の向こう側から聞こえてくる。


「誰かいるの?」


 ミチルが声をかけると、声はぴたりとやむ。何かしら、といぶかしんだミチルが、錠穴から中を覗き込もうとした時。


「ふわぁ……今、何時だ? 今日はもう、来ないな。旦那様もいい加減だね。餌やり終わったら、もう寝よっと」


 ベティの声だった。以前に会った時の、頭に直接響く声ではないが、間違いない。ミチルは身を翻し、ベティの声のした方へ駆けつける。


 角をひとつ曲がった先に、ミチルより背の低い少女が立っていた。お仕着せの裾を翻し振り返ると、彼女は思いのほかあどけなく、ミチルより少し年下に見える。黒目がちの双眸を見開く少女を見て、ミチルはすぐにぴんときた。


「あなた、ベティね?」

「奥様!? 驚いた、本当にまた、こんな所にお見えになるなんて!」


 大きなバケツをいくつも積んだワゴンをほっぽりだして、少女はぱたぱたと駆け寄って来る。肩に届かない、ふわふわの髪の色は、ベティの輝殻と同じブルーだった。


 ベティはミチルの訪問をあらかじめ知っていた。だからひとの姿をとって、ミチルを待っていたのだろう。青い鳥の言いつけで。


「こんばんは、ベティ。お久しぶりね。こんな夜更けに、わたくしを待っていてくれたのでしょう? 明日も朝が早いでしょうに、ごめんなさいね。お変わりはないかしら?」

「あっ、いえ、そんな。のんびり仕事しながらお待ちしてましたから……。えっと……あたしの暮らしは、相変わらずですよ? 朝起きて、大急ぎで朝食を食べて、お喋りして、仕事して、お喋りしながら昼食を食べて、仕事して、夕食を食べて、ちょっとだらだらして、ぐっすり寝てます」

「そうなの、良かったわ。……それで、テルは、どうしているかしら?」


  言ってしまってから、やや性急だったかな、とミチルは後悔する。ベティは、ミチルがテルの名前を出すと、目に見えて機嫌を損ねた。


「知りませんよ、あいつのことなんか。あたしなんかより、奥様の方がよく御存じなんじゃないですか?」


 つっけんどんな言い方をされて、ミチルは呆気にとられる。ベティはしまった、と顔を歪めて、大慌てで取り繕おうとした。


「あっ……す、すみません、奥様! あたしなんかが奥様に失礼な口を利いて、本当にすみません! ほら、テルのやつ、近頃は奥様に夢中で、四六時中べったりじゃないですか。それなのに、ろくに口もきいてないあたしなんかに、テルがどうしているなんて、どうして聞くんだろうって思ったら、よくわかんないんですけど、なんかちょっと……いらついちゃって……つい……つい……」


 ベティの言葉は尻すぼみに消えてしまう。小さな手が、エプロンをぎゅっと握っていた。


なんてわかりやすいやきもちだろう。しかし、ベティの、こんなにもストレートな感情表現は、どうしたことかテルには伝わらずにいるらしいのだ。

 

嫉妬は、身に覚えのある、なじみ深い感情だ。一度こじらせてしまうとどれだけ厄介かは、身にしみている。せっかくベティと知りあえたのに、このままでは、ベティはミチルのことを恨むようになりかねない。

ミチルは務めてなんでもないことのように話した。


「テルは、ディル様のお指図で、わたくしの話し相手をしてくれているのよ。わかる? わたくしのお守がテルのお仕事なの。テルが望んだことではないわ」

「違います、奥様。テルは、奥様の話し相手に立候補したんです」


 むぅ、とミチルは内心で唸った。そう言えば、テルがそう言っていた。しかし、そうだったとしても。


「それは、ディル様がわたくしを心配なさって、困っていらっしゃるのを、見るに見かねてのことでしょう。テルは優しいから」

「でしたら、あいつ、心を入れ替えたんですね」

「え?」


 ベティは鼻先で笑った。

  

「見違えるくらい、仕事熱心になりましたよ。あの調子じゃあ、たぶん、寝ても覚めても、奥様のことを考えてるんです。何をやらせてもふざけ半分で、半人前のあいつが、こんなに一生懸命、仕事に打ち込むなんて、今までじゃ、考えられませんでした」


 取り付く島も無いとはこのことだ。ミチルが言葉を弄しても、意味が無いかもしれない。

 けれど、誤解のせいでベティと絶交するのは不本意だし、テルにも迷惑をかけるのも申し訳ない。テルとはもちろん、ベティとも良い関係を築いていきたい。ミチル個人としても、青い鳥の妻としても。

 ミチルは根気強く、ベティの誤解をとこうとした。


「あのね? あなた、勘違いしているようだけれど、わたくしとテルは、なんでもないのよ?」


 ベティはミチルを横目に見る。じっとりとした、暗い眼差しで。


「テルが虜になるのも、無理ないですよね。奥様は、女のあたしから見ても、素敵ですもん。美人で、お上品で、おっとりしててお淑やかで、ふわふわきらきらで、お嬢様で。きっと、本来の姿は眩しいくらいなんだろうな。テルの好みにどんぴしゃですよ。たぶん、理想のタイプです。がさつなあたしとは正反対。おめでとうございます」


 ミチルの笑顔が引き攣る。だめかもしれない。これ以上、下手なことは言わない方がいいかもしれない。

 けれど、このまま引き下がったら引き下がったで、ベティの疑惑を認めたことになってしまわないだろうか。ミチルは少し語調を強め、否定をつづけてみた。

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