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チルチルハミチルーー私たちと青い鳥ーー  作者: 銀ねも
第四話「ミチルの間違った恋」
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人魚姫の後悔

ミチルはテルに付いて行くことにした。テルは自分で誘っておいて「ほいほいついてきた! 見事なまでに脇が甘い!」と腹を抱えて笑ったので、ミチルはむくれたが、温室につくとそんな不満なんて吹き飛んでしまった。

 

ガラスのドームのような温室には、ひしめき合うように花が咲いている。小さな花も大きな花も、自分が主役だと信じて疑わないのだろうか、堂々と咲き誇っていた。棚にもびっしりと鉢植えが並べられ、滝のように花が垂れさがっている。テルが言った通り、白い花が多かった。むせかえるような花の香りも、圧倒的な百花繚乱の前ではさしたる弊害ではない。

ミチルはテルの案内で温室をめぐり、花花をめでた。「白い花が好きなんです」と言ったテルは、花の名前をろくに知らず、説明は適当だったが、面白おかしく語ってくれる。ミチルは時間を忘れて楽しんだ。


 一通り見て回ったミチルは、大輪のユリの花をすぐ近くで眺めていた。ユリの花にとまったミツバチを観察していると、隣に屈みこんだテルが、とりとめのない口調で唐突に切り出す。


「奥様。人魚姫の恋は、どうして叶わなかったんだと思います?」


 ミチルは眉をひそめた。テルの言葉が、ひどく無粋なものに感じられ、楽しい気分に水を差されたのだ。それは、ミチルが人魚姫に対して異常な嫌悪感を抱いているからで、テルがそれを知らないのだから、テルは悪くない。しかし、ミチルの答えは素っ気ないものになってしまう。


「あの女がしゃしゃり出てきたからでしょう。あの女は、王子の命を救った人魚姫の手柄を横取りして、王子との幸せな結婚すら、かわいそうな人魚姫から横取りしたんだわ」


 言っているうちに、胸の奥がちりちりと焦げるようだ。ミチルは胸を押えて、俯いた。


(いつからかしら。人魚姫の物語を、こんなにも不快に感じるようになったのは)


 チルチルに読み聞かせて貰っていた頃は、人魚姫の悲恋に涙しても、こんなにも激しく拒絶反応を呈することはなかったはずだ。

 テルはミチルの言葉に、そうですね、と頷いた。娘が浜辺に来なかったら、王子は娘を命の恩人だと勘違いすることも、娘と結婚することもなかっただろうと言った。

 わかりきっていることだ、とミチルは思う。そして、そんな当たり前の話をする必要性はない。ミチルはテルから愉快な話を引き出そうと唇を開きかけたが、テルは人魚姫の話をまだ終わらせなかった。どこか、遠い目をして。


「俺はね、こう考えるんですよ。人魚姫は娘の足音に怯んで、意識のない王子を置いて海へ逃げちゃいけなかったんだって。その場に残って、娘が悲鳴をあげて逃げて行っても、息を吹き返した王子の目にうつらなきゃいけなかった」

「そんなことをしたら、人魚姫が人魚だと、王子にばれてしまう。きっと、人魚姫の想いは王子様に受け入れられないわ。そもそも、人間と人魚では、棲む世界違いすぎるのよ。万が一、思いが通じたところで、一緒にいられないじゃないの」


 ミチルがややむきになって反論すると、テルは困ったような顔で微笑んだ。そうなんですけどね。と一度ミチルの意見を受け止めてから、テルはまた語り出す。


「ナイフで刺すような足の痛みも、心臓が張裂けて泡になって消えてしまう運命も、王子と一緒に居られるのなら、人魚姫は受け入れられた。そこまで出来たなら、正体を明かすことだって、出来たんじゃないかな、ってね。足を得る代償に声を差し出した人魚姫は、陸に上がってももう、王子に本当のことを打ち明けられない。もしもあの娘がいなくたって、正体を明かせない人魚姫は、決して王子とは結ばれなかったと思います。そうでなければ、魔女が人魚姫の願いを叶えてやる筈がなかった。魔女は海の生き物に恐れられる、悪い魔女だったんだからさ」


 ミチルは言うべき言葉を探した。すぐには見つからなかった。ミチルは人魚姫の物語を、そういう視点で見たことはなかったから。

人魚姫が悲しい結末を迎えることは、決まっている。どうしたら人魚姫の想いが王子に届くのかなんて、考えたこともない。

 ミチルが探していたのは否定の言葉だった。どうせ無理だ。どうあがいても無駄だ。そう切り捨てる理由を探していた。そして言った。


「……人間どうしだって、隠し事はするじゃないの。それに、人魚姫は代償を支払って人間になったのよ。もう、人魚なんかじゃない。人間になれたのよ。出来る限りのことはやったのに、それでも駄目だったのよ」

「そうですね。奥様の言うとおり、人魚姫は代償を支払って人間になった……でもね、奥様。人魚姫は人間じゃないものに生れついたんです。たとえ体を換えたって、それで人間になれるんでしょうか? 種族の垣根がそんなに低いものなら、こんなに悩んだりしないんじゃないかな」


 ミツバチが飛び立つ。ミチルはぱっと居上がった。ドレスの裾が翻ったが、テルはそんな形式にこだわって、ミチルを咎めないだろうことはわかっている。ミチルはテルの旋毛を見下ろした。

 

(テル、あなたは人間ではないのだものね。人間ではないから、そんな風に考えるのね。あなたは人魚姫のような、苦しい想いをしたことがあるのかしら?)


「人魚だってことを打ち明けられたら、人魚姫は王子様と結ばれたとテルは思う?」


 ミチルがそう訊ねると、テルがミチルを振り仰いだ。へらりと笑う。


「結ばれたかもしれない。……もしもの話だから、ご都合主義の妄想ですけどね。でも、そうであって欲しいですよ。やっぱり。取り返しがつかない「今」だけど、あの時こうしていたら、ひょっとしたら、って希望くらい、持っていたいじゃないですか」

「そうね」


 ミチルは頷いた。次の花を探すミツバチの軌跡を目で追いかけながら、もう一度頷く。


「同感だわ」


 テルはミチルを見上げている。その顔がふと、悲しげに翳った気がしたのは、雲が太陽を覆い隠したからだろうか。再び日の光が差し込むと、テルはすっくと立ち上がり、楽しそうに微笑んでいた。


「でも、人魚姫ってすごいですよ。だって、報われない恋を命懸けで貫いたんですからね。散々な目にあってもへこたれない、強い想いを持ち続けたってことは、なんていうかもう、人魚姫の勝ちでしょ。人魚姫の魂は最期まで穢れなかった。ひとは辛い目にあったら普通すさんでいくものなのに。人魚姫はすごいですねぇ」

「そうね。すごいわね。わたくしも、そうありたかった」


 ミチルは何気なく言った。ウェンディに嫉妬して嫌な態度をとるような自分の醜さに対して言ったのだと、その時のミチルは思っていた。

 テルが一瞬、笑みを消したような気がしたが、ミチルがテルを見つめると、テルはやっぱりにこにこしていた。


「俺もです。俺たち、気が合うみたいだ。……あっ、すみません。失礼、でしたかね」


 そう言って、決まり悪そうに己の髪をかき混ぜる。ミチルはふっと微笑んで、ふるふると首を横に振った。


「いいえ、とんでもないわ。わたくし、あなたとは似ているところがあると感じているの」

「そりゃ……」


 テルが目を泳がせる。


「光栄だな」


 しかし、すぐに目を細めたので、瞳の行方はわからなくなった。

 

 テルはミチルを部屋まで送り届けてくれた。別れ際、テルは腰を折って、ミチルの顔を覗き込む。親の顔色を窺う小さなこどものような仕草で、テルは首を傾げた。


「奥様、今日はどうでした? また明日も俺でいいですか?」


 ミチルはくすりと含み笑うと、ゆるりと頷く。


「ええ、お願いするわ」


 するとテルはぱっと顔を輝かせて、誇らしげに胸を張った。


「よぉし。それじゃ、また明日。楽しみ過ぎて、眠れなくならないように気をつけて」

「ふふ、そうね。また明日。おやすみなさい、テル」


 テルと別れた後。ウェンディがやって来て、ミチルをイブニングドレスに着替えさせる。無駄口は一切叩かないウェンディは、この時は珍しく、愚痴をこぼすように呟いた。


「急ぎませんと。今日はお時間が押しています」


 ウェンディはてきぱきと働いて、定刻までにミチルの支度を仕上げた。青い鳥がやって来て、ウェンディが食事をとりわける。いつもと変わらない夕食の席で、青い鳥はミチルに訊ねた。


「楽しい時間ヲ過ごせたカ?」


 ミチルが肉を切り分ける手を止めて顔を上げると、青い鳥は重ねて言った。


「サベゲテル・ラニマーテルが話し相手二なっただろウ」

「ええ。テルはわたくしによく馴染んでくれます。なぜかしら、ずっと前から彼を知っているような気がしますわ」


 ミチルが和やかに応えると、青い鳥は「そうだろウ」と首肯した。まるで、筋書きを知っている物語を追っているかのように。

 食事のあと、青い鳥はミチルを隣に座らせると、ミチルの柔らかい髪を撫でた。うとうととまどろむミチルに不思議な声でこう言った。


『サベゲテル・ラニマーテルと深く関わりなさい。彼がお前の運命を、この私と共に生きる道へ導くのだ』


 青い鳥の言葉はふわふわした雲のように捕えることが出来なかった。けれど、テルがミチルにとって特別な存在になるだろう予感は、既にしていたのだった。



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