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チルチルハミチルーー私たちと青い鳥ーー  作者: 銀ねも
裏側の二話「彼を嫌う婚約者」
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母の死の謎

 愛する母を喪い、愛する妹もまた失われつつある。辛い現実を、だまし討ちのような形でつきつけられた彼の悲しみは深かった。活力を失い、零落した花のように衰弱した。絶望で寝台に縛り付けられた状態で、いくつかの日をやり過ごした彼は、やがて一つの結論にたどり着く。


(母さんが、おれたちを残して自殺するなんて、あり得ない)

 

 母は優しく強い女性だった。妹が不治を患い、その責任に打ちひしがれたとしても、だからと言って、窮状を打開する努力もせず、安易に死を選ぶような女性ではない。自死は贖罪ではなく逃避だと、母も彼と同様に考えていた筈だ。


(なら、母さんは何故死ななきゃならなかった?)


 母の死は、父が語ったような単純なものではない。きっと何か裏がある。

 母の死の真相が、自殺とは別にあるのではないかと疑ったとき、真っ先に頭に浮かんだのが、継母の顔だった。継母は母を憎んでいたし、継母が罪を犯したと知れば、父は可能であればそれを揉み消そうとするだろう。


 彼は感情的に導きだした推測を、真実であると鵜呑みにし、激昂した。幸か不幸か、部屋を飛び出し、継母に襲いかかるような真似をすることは、体が弱っていた為に出来なかったが。彼の世話をする為に顔を出した、彼付きの召使いに、彼は己の推論をまことしやかに喚き立てた。もしかしたら、妹も継母の手にかかったのではあるまいか。そう考えれば考えるだけ、継母への憎悪が募る。召使はまた彼が癇癪を起したのだと思ったのだろう、さして気にした様子はない。彼が苛立ち、なんとか言えと怒鳴りつければ、召使はいつもと変わらない抑揚のない声で答えた。


『お母上のことはわかりかねますが、ぼっちゃま。お医者様は、妹君は病に犯されたのだと仰っておりました。お母上は御気の毒なことにすっかり取り乱され、娘とは決して離れぬと、ものすごい剣幕でお医者様に反発なさって……』

『だから? だから母の死は自殺に違いないとでも? ばからしい、お前みたいな低能の意見なんて、誰も聞きたく無いんだよ。とっとと失せろ!』


 もしも彼が自由に動けたら、枕元の花瓶を投げつけるくらいはしただろう。召使がすごすごと退室しても彼の怒りは収まらず、彼は言葉にならない罵倒を叫び続けた。

 叫び続けて声が枯れ、口腔に血の味が満ちていく。咳こむと、霧のような血がシーツに散った。そうしているうちに、彼はなけなしの空元気すら使い果たしてしまった。食事をとらない彼の体には、頭にのぼる為の血すらない。ただ横たわるしかなくなってやっと、彼は頭を冷やして考えることが出来た。

 妹が奇病を患ったのは、信じたくはないが事実なのだろう。そうして、母の死には、妹の病が関係している。断じて、自殺などではない。


(母さんの死は人為的な要因によるものだと考えて、まず間違いないだろう。そこに悪意があろうが、突発的な事故だろうが、母さんは殺されたんだ)


 彼はその翌朝から、アロンソの世話を受け付けた。すっかり縮んでしまった胃袋はアロンソが運んできたミルク粥さえ受け付けず、しくしくと痛み、蠕動して吐きもどそうとしたが、懸命に飲み下し腹に収めた。アロンソに持って来させた鏡に映る、骸骨のような無残な容姿を、一刻も早く、もとにも戻さなければならない。寄宿生活で身に付けた、付け焼刃の優雅な物腰と機知に富んだ話術、人の腹の底を見透かす眼力。そして、母から受け継いだ整ったルックスを最大限に活用して、彼は母の死の真相を探り始めた。


 屋敷で働く使用人の中には、若い娘が何人かいた。彼女たちは彼の生い立ちよりも、現在の彼に興味があった。若い娘はえてして、噂好きでお喋りでロマンチストだ。妾腹であっても、貴族学校では監督生を務めるハンサムな貴公子に、多かれ少なかれ憧れている。ちょっと優しくして、思わせぶりな言葉を吐けば、彼女たちはもういちころだった。懐柔した娘たちから情報を引き出し、取捨選択していき、彼は知ることになった。凪いだ海のように穏やかに微笑んでいた母の身に、夜な夜な、恐ろしい災厄が降りかかっていたことを。


彼の母は生きる為に体を切り売りする娼婦だった。その類まれなる美貌と優しく母性溢れる人柄から多くの裕福な客に愛された。『夜の姫君』と謳われ、花街の頂点に立っていた。母には無粋な客を袖にすることすら許されていた。

しかし、とある高貴な客が花街にやって来て夜の姫君を求めたとき、母は拒否することを許されなかった。

拒否したかったに違いない。その男はとてつもなく凶悪な性癖をもっており、何人かの娼婦を買い上げたが、娼婦たちのその後は誰も知らない。まるで、消えてなくなってしまったかのように。

しかし、何人の娼婦が消えても、花街は男を歓迎する。青髪とあだ名される男の懐では、倫理を曲げるだけの金が呻っていた。

その男こそ、彼の父である。父は正妻にぶつけられない凶暴な性を、金で買った女にぶつけていた。

 たいていの娼婦ならば、一夜にして父を恐れるだろう。悪くすれば気がふれてしまうかもしれない。しかし、たおやかな風貌に反して母の芯は強かった。賤しい身であれ、気高い女。それが仇となった。父は母を気に入り、母の体はぼろぼろになった。そうして、母は娼館から忽然と姿を消した。

 

「巷じゃ、心に決めた方がいて、その方と愛の逃避行をしたって噂だったけど、きっと、お腹にあなたがいるって気がついたからだって、先輩たちが言ってたわ。旦那様の暴力で、あなたが流れてしまわないように逃げたんだって。あなたが無事でよかった。お母様に感謝しなきゃね」


そう言って擦り寄ってくる娘を胸に抱きながら、彼の頭のなかでは制御できない激情が白く発火していた。

所詮は無責任な噂だ。話を面白くする為の誇張やねつ造も混じっているだろう。しかし、母に意地悪をしたメイドたちは、母の体に生々しい傷や痣を見たと言うから、父による母への暴力は、現実にあったことなのだ。

 母は彼を守る為に逃げ出した。憎むべき邪悪な男の子でも罪はないと、愛情深く育ててくれた。そうして、下町の困窮と恐怖と暴力から彼を守る為に、父を頼ったのだ。父に迎えられれば、どんなむごい目に会うか知っていながら。

 その夜、彼は拳がぼろぼろになるまで、自室の壁を何度も殴った。額が割れるまで壁に頭を打ち付けた。ずるずるとへたりこみ、血だらけになりながら咽び泣いた。

 継母の苛め、使用人たちの中傷や嘲笑。母を苛むのはそれだけではなかった。母は酷い暴力にまで晒されていた。公爵邸はまさに、母にとって地獄だったのだろう。彼は気が付けなかった。父親の悪い噂は、場末に身をおく娼婦たちから嫌と言うほど聞かされていたのに、どうせ妬みからくる作り話だろうと、取り合わなかった。火の無いところに煙はたたないのに。


 使用人たちは、父が母と寝台を共にしているとき、夢中になって加減を誤り、母を死なせてしまったのではないかと噂していた。


彼は父を激しく憎悪した。憎んでも憎み切れなかった。出来ることなら、今すぐこの手で殺してやりたい。最も惨いやりかたで。

しかし、病に犯された妹のことを考えれば、そんなことは出来ない。父が死に、彼が犯罪者となれば、継母は待っていましたとばかりに妹を放逐するだろう。そんなことになったら、かわいそうな妹は治療を受けられず、そもそも、生きていけないだろう。

 波乱は起きぬまま春が訪れ、彼は寄宿舎へ戻った。結局、彼は立派な紳士になるしかなかった。成績優秀で、品行方正、人望も厚い監督生。しかしそれは、学校という狭い世界に限った話。世間では、彼は父の金で生きる、何の力もないただのこどもにすぎない。


 それから一年が経ち、第七学年の進級を控えた春、彼はこうして、実家に帰省して来たのである。

 カイを継母の部屋の前に置き去りにして廊下を渡った彼は、父の書斎の前までやって来た。ノックをして呼びかける。


「お父様、ただいま戻りました」

「入りなさい」


父の許可を得て、彼は入室した。久々に会った息子に、父は開口一番に言った。

 

「お前の婚約者が決まった」


 彼は呆れて、危うく肩を竦めそうになった。


(まったく、この男は。こちとら、長旅で疲れてんだよ。下手な御者のせいでケツがクソ痛ぇんだっつうの。冷血漢に労われなんざ無茶は言わねぇから、先に休ませろ)


父の性急さに呆れはしても、彼は突然降ってわいた自らの婚約には、さほど驚いていなかった。彼はもう十八歳になる。そろそろ、縁談があっても良い頃だと予想していた。恐らく父が彼を養育したのは、政略結婚に利用する為なのだから。


(ま、此方としても、異論はないがね)


 彼は早く独り立ちしたかった。父の庇護下を抜け出し、己の地位を築き上げたかった。父に頼らずとも、妹と生きていけるようにならなければ、母の復讐はいつまでたっても果たせない。

 彼は表情を引き締めた。気を抜くと、彼の顔はそのつもりがなくても、微笑んでいるように見えるらしいのだ。同じ表情でも、その場の状況によって、にこにこしているとも、へらへらしているともとられる。彼は落ち着きはらって言った。


「お父様の御決定に従います」


 物分かりの良い彼の簡潔な返答に、父は心なしか満足そうに頷いた。


「相手はダオン伯爵の御息女、マリ嬢だ。伯爵にはマリ嬢の他に子がない。お前にはダオン伯爵家に婿入りして貰うことになる」

「はい」


 従順に恭順の意を表しつつ、彼は内心手を叩いた。


(ダオン伯爵家の一人娘のところに婿入りか、悪くない)


 彼とマリ・ダオンなる娘とは、一切面識がない。面識はないが、噂なら耳にしたことがある。非常識な変人で、上品な場を嫌い、汚ならしい貧民街に出入りしているとか。しかしそんなことは問題にならない。どんな跳ね馬だろうが、乗りこなせる自信が彼にはあったし、彼は端から妻となる女を心から愛するつもりはなかった。彼が必要としているのは妻が背負う家の地位と名誉であり、妻はその多少なりとも厄介な付き物でしかない。


「マリ嬢は貴族学校セントラル分校女学院第七学年に通う十七歳だ。先方の希望で、お前たちの結婚は、マリ嬢が卒業してからになる。近いうちに顔会わせがあるだろうから、そのつもりで」

「はい」

「話は以上だ」

「はい。それでは、失礼いたします」


 父は執務に戻った。いかにも長居して欲しくないという雰囲気である。カイ程鈍くなければ、彼でなくても気がつくだろう。父の無愛想は人嫌いの一歩手前まで進行している。彼はきびきびと一礼し、速やかに退室した。


(セントラルって言ったら、カイのバカと同じか)


 セントラルは中央都に建つ、先進的な貴族学校である。学校と父兄たる紳士が共に未来の紳士淑女を養成しようというスローガンを掲げた通学制の貴族学校である。彼の認識では、子離れ出来ないバカ親をもつ親離れ出来ないバカ息子と、暇と金を持て余した新しいもの好きの親をもつインテリきどりの娘が通っている。

 

(女の身で変人と揶揄されるくらいだ。さては、頭でっかちの才女ぶった勘違い女かね。恋愛とスイーツのことしか頭にないような女が、一番扱い安いんだが。適当におだてときゃ、なんとかなるだろ)


 ハミングしながら自室を目指して歩いていると、継母の部屋の前で、座り込んでいるカイの姿が見えてきた。どうやら、母親の許しを得るのを、ずっと待っているらしい。


(あのバカ……学習も反省もしねぇのか、サル以下だぜ)


 あきれ果てた彼の顔に、暗い笑みが浮かぶ。カイの惨めな姿を見るのが楽しいのだ。彼は颯爽とカイの許へ足を運んだ。



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