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チルチルハミチルーー私たちと青い鳥ーー  作者: 銀ねも
第三話「ミチルと階下の使用人」
18/60

西の別棟へ

***


誕生日四日前の朝。ミチルは西端の渡り廊下を渡った先にある、真鍮の大扉の前までやって来た。この扉一枚を隔てた向こう側が、目指す西の別棟だ。

今のミチルはレディらしからぬ、恥ずかしい格好をしているだろう。昨日、ウェンディに着つけられたドレスを着たまま。きちんと結いあげられた髪は見る影もなく解れてしまったので、複雑な結い目をなんとか解き、せめてもの身嗜みとして櫛を当てただけで、背に流したまま。

今朝はどうしても、ウェンディが身繕いをしてくれるのを、待つことが出来なかった。


(わたくしは愛する方に、愛されたい。ただひとりだけ)


 ミチルは胸の前で両手の指を羽根のように折りたたんだ。青い鳥の言葉を祈りのように唱える。


「私だけを愛する決心がついたら、この鍵束で扉を開き、西の別棟を訪ねなさい」


 ミチルは鍵穴に金の小さな鍵をさしこんだ。くるりと回して解錠する。確かな手応えがミチルの緊張を高めたが、後には引けない。ミチルは扉の取手に両手をかけた。


(お兄さま、ごめんなさい。わたくしは、お兄さまのことをお慕い申しております。約束を違えることは決してしません。それでもわたくしは、わたくしだけを愛してくれるひとを、どうしても諦めることが出来ないのです)


 重い扉をなんとか開けると、隙間から冷気がするりとぬけだしてミチルの肌を撫でた。びくりと身が竦む。扉が閉まりかけたので、意を決する余裕もなく発作的に生じた隙間に身を滑り込ませる。

がらりと空気が変わった。目に映る色が変わったかのように。

 石造りの寒々しい螺旋階段だ。階段ははるか上とはるか下の暗闇へと、渦を巻いて伸びている。


(昇ることも降りることも出来そうだけど……どちらに進んだらいいのかしら? 旦那様はなんとも仰っていなかったわ)


ミチルは手すりから少し身を乗り出すと、首を巡らせて上を仰ぎ、下を俯瞰した。ミチルは迷って、下に降りることにした。壁の窪みに置かれた蝋燭の火が、吹き上げる風にゆらめく。ミチルは手すりを掴み壁に手をつき、暗がりに目を凝らした。足元に注意を払いながら、一段一段慎重に石階段を降りる。

 小さなつくりのつま先が痛みだして程なくすると、話声が聞こえてきた。ミチルはぎくりとして足をとめる。もう少し降りた先の壁にぽっかりと穴があいていて、話声はそこから聞こえてくるのだった。


『ねぇ、テル。あんたはどう思う?』

『どうって?』


先に話したのは女声、テルと呼ばれて応えたのは男声だ。耳をそばたてて、ミチルは不思議なことに気がついた。

 

(この声は……旦那様が時々使うあのお声と同じ。頭の中に直接語りかけてくるような、不思議な声だわ)


 ミチルは少し考えてから、声のする方へ進むことにした。ミチルは青い鳥からここへ来ることを勧められたのだ。誰かに見つかっても、咎められることはもちろん、危険なことが起こる筈もない。

 横穴を覗き込むと、真鍮の扉に閉ざされている。取手をひいてみるが鍵がかかっていた。ミチルは金の鍵束の中からぴったりあう鍵を見つけて、扉を開いた。

 横穴の扉の奥は、ミチルの部屋と同じとはいわないが、螺旋階段に比べれば随分明るかった。蝋燭の熱によりむわりと立ち上る香りに、ミチルはくらくらした。甘い香りだ。ミチルがハルメーンにいた頃に身につけることを強制されていたサシャと同類だろう。あまり強くないのがせめてもの救いだが、少し胸が悪くなる。ミチルは息を詰めて、声に集中することで嗅覚を誤魔化そうとした。

 話声は、矢張りこの奥から聞こえてくる。女声は普通に話しているのだろうけれど、とても勝気そうだ。


『あの方が『神の仔』だって話、本当なのかしらね』

『銀の悪魔を滅する神の仔?』


 出来るだけ音をたてずに扉を閉める。気付かれた様子はない。テルは呆れて言った。


『……おいおい、マジかよベティ。お前って、もしかして結構なおばかちゃんなの? ちょっと頭のネジが緩いほうが可愛い気があるけど、突き抜けちゃってんのは、ちょっと……』

『はぁ? あんたにどう思われたっていいけど、ばかにばかって言われたくない』

『怒っちゃだめですよぅ。いいでちゅかぁ、ベティちゃん。『神の仔』なんてただの伝説でちゅからねぇ。そんなガキみたいにいつまでも夢見てるから、乳臭さが抜けないんでちゅよぅ』

『あんた、絶対いつかぶっ殺す』


 ミチルはテルの軽薄な軽口と、ベティと呼ばれる女の乱暴な罵倒にたじろぎつつも、声のする方を目指す。等間隔に置かれた燭台の炎が明るく照らす廊下は、迷路のように曲がりくねっている。


(まるで迷宮だわ。導きの糸がなければ迷子になってしまいそうね。さしずめ、わたくしにとってはこの話声が導きの糸といったところかしら)


 ミチルは廊下の真ん中を、おっかなびっくり歩いていく。壁にはいくつもの扉があり、小さな格子窓が取り付けられていた。時折、視線を感じて足をとめるが、扉の奥にいる何者かはネズミのように素早く奥に引っ込んでしまう。扉の奥の何者かが大きく身動ぎすると、なんとも言えず良い匂いがふわりと香って来るような気がするが、甘ったるい香りにほとんどかき消されている。ミチルはふと空腹を思い出し、きりきりと痛む胃のあたりをさすった。


(こんなに焦ることは、なかったんじゃないかしら。朝食を頂いてから来れば良かったわ。お腹が空いてしまった……)


 けれども、せっかく勇気を奮い起してやって来たのだ。腹ごなしをしてからもう一度挑戦、という気分にはとてもなれない。仕方がなく先を急ぐミチル。声はどんどん近くなる。

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