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チルチルハミチルーー私たちと青い鳥ーー  作者: 銀ねも
第二話「ミチルの不安な新婚生活」
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悪夢の正体2

 チルチルはたった今、夢から覚めたようにミチルに目を向けた。チルチルに倣い、少女もミチルを見る。

少女がミチルに向ける視線に、違和感があった。おかしな程真っ直ぐで強いのだ。恐ろしい獣に毅然として立ち向かうような、揺るぎない決意に満ちている。幼いミチルへ向けるものではない。

ミチルは一瞬のうちに、少女のことを好きになれないと思った。

 

「この娘がミチルさんね?」


少女がミチルから目を放さずに言う。身じろぎすると彼女の体からも、チルチルのような良い香りがした。それはとても甘ったるい香りで、隙腹が突き刺すように痛んだ。

ミチルは、不安になってチルチルを見上げた。チルチルはミチルを見つめたまま、こっくりと頷く。


「そう。この娘がミチル」


 そう言って、微笑みかけたのは少女に対してだった。ミチルの心に小さな刺がささる。チルチルは追われるように、矢継ぎ早に言った。


「心配しなくていい。この娘は特別だ。本当に大人しい良い娘なんだ。銀の牢から出てここに来るまでの間、ずっと良い娘にしていた。他の凶暴なやつらとは違う。だから……」


 何か言い連ねようとするチルチルの唇に、少女は人差指を押しあてた。チルチルの丸くした目に、柔らかく微笑みかける。


「ええ、信じているわ。あなたのご自慢の妹さんだもの」


 チルチルはぱちぱちと瞬きをすると、脱力したように笑み崩れた。少女がチルチルの緊張を解きほぐし、癒している。それは本来ならば、妻の役割だった。

 

ミチルは鋭い声で少女を牽制しようとした。


「お兄さま、こちらのレディはどなた?」


 誇り高いメーテルリンクの者として紹介のない、素性の知れない人間とは言葉を交わさない。

チルチルは紹介がまだだったね、と言うと、少女の背に手を添えた。


「紹介しよう、ミチル。彼女の名はマリ・ダオン。今はただのマリだ。僕らも今じゃ、ただのチルチルと、ただのミチルになったんだよ。だからもう、ややこしいマナーもそんなに必要ない。初対面のひととも、きちんと挨拶して。マリ、妹のミチルだ」

「マリです。はじめまして、ミチルさん」


 マリは幼いミチルに対して、丁寧に感じよく挨拶をした。しかし、それくらいで今更、マリに対する心象は良くならない。ミチルはカーテシーもせずにつっけんどんに言った。


「はじめまして、レディ・マリ。そして、さようなら、レディ・マリ」


 チルチルがおや、と片眉を跳ね上げても、ミチルは態度を改めない。チルチルはマリと顔を見合わせると、くすくすと笑った。


「どうしてお別れの挨拶をするんだ? マリとはこれからずっと一緒だよ。たった今から、僕とマリが君のお父さまとお母様になったんだからさ」


 ミチルは目を剥いた。冗談であれば良かったけれど、チルチルはそんな性質の悪い冗談を言って、ミチルを混乱させたりしない。ミチルは兄に縋りついた。


「お父さまとお母さまなんて、ミチルにはいりません! わたくしには、お兄さまだけいてくださればいいのです!」

「それじゃ、マリは君のお姉さまだよ」


 チルチルはミチルの肩を押してさがらせると、跪いて視線の高さを合わせた。ドレスの裾が汚れるのも気にせず、同じように屈みこんだマリに目配せをして、チルチルは嬉しそうに言った。


「マリは僕の婚約者だ」


 その言葉がもつ重さと強さは、ミチルの心を混濁させるに十分だった。


箱馬車に乗り込んで、少し乱暴な運転に揺られる。椅子の背凭れにつかまり、チルチルの綺麗な横顔を彼の腕に収まった状態で見上げながら、同じ言葉がぐるぐるとミチルの頭を駆け巡っていた。


(約束したのに。わたくしが望めば、わたくしと結婚してくださるって、約束したのに。うそつき。お兄さまのうそつき)


 ミチルは右目をぎょろりと動かした。マリは向かい側の席で背凭れにしがみつき、振動に耐えている。


(この女……突然現れて、わたくしからお兄さまを奪おうなんて、なんて悪い女なの。魔女よ、この女は魔女だわ。魔女は退治されてしまうべきよ)


 その結論に達したとき、本能はミチルにどうすべきか教えてくれた。五感が鋭い針の束になり、マリのみに注がれる。マリの肉の柔らかさを見て、甘い香りを嗅ぎ、巡りのいい血流を聞いた。


「レディ・マリ」


 ミチルが出しぬけに呼び掛けると、マリは虚を突かれてぽかんとした。困り顔になり、勝手な憶測で喋り出す。


「どうしたの、ミチルさん? もしかして、気分が悪い? ごめんなさいね、ここを抜けるまで、もう少しの辛抱だから……」


 チルチルもマリと同じ勘違いをして、ミチルの肩を励ますように抱いた。


「大丈夫さ。我慢出来るね、ミチル?」


 ミチルはチルチルに顔を向けなかった。マリを見据えたまま、ゆっくりと頭を振る。


「いいえ、我慢なんて出来ないわ。わたくし、お腹がすいてお腹がすいて、切ないの」


 ミチルの背に血が集まる。力強く糾われた血が蠢いた。拉げるような音をたてて、ミチルの背から無数の『手足』がつきだした。

背後で御者の悲鳴が上がる。馬がいななく。チルチルは足元に転がって呻き、マリは絹を裂くような悲鳴を上げた。

 制御を失って傾がり横転しかける馬車を、ミチルは『手足』で支えた。


 静止した箱馬車の中で、ミチルはすっくと立ち上がる。『手足』に支えられているので、二本足は床を離れている。竦み上がるマリを冷然と見下ろして、ミチルは冷ややかに言った。


「ねぇ、レディ・マリ。わたくし、お腹がすいたの」


ミチルは乾いた唇を舐めた。



 

一繋ぎの悪夢は、決まってここで途切れる。他にも断片的な記憶が閃光のように閃くが、ミチルはそこからストーリーを読み解くことは出来ないのだった。

 

 ミチルは寝台から立ちあがり、鏡台の前に立った。美意識は人それぞれだけれど、割れた鏡に映り込むこの顔を、たいていの人が「マリよりは美しい」と評するに違いない。醜い左目さえなければ。

 ミチルは憎らしい左目に爪を立てた。激痛に貫かれ、ミチルは床に崩れ落ちる。

 

(わたくしが醜いから、チルチルお兄さまはわたくしを選んでくださらなかった)


 記憶の断片に刻み込まれた、チルチルの怯えた表情は、今になってもミチルの心をずたずたに引き裂き、血を流し続けている。ミチルは床に倒れ伏して、さめざめと泣いた。


(ウェンディは美しい。わたくしに勝ち目はない。旦那様の愛を奪われないために、わたくしに出来ることは……)


 ミチルは長くうっとうしい髪を掻き揚げ、化粧台を見上げた。金の鍵束が月のように仄かな燐光を帯びて見えた。


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