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チルチルハミチルーー私たちと青い鳥ーー  作者: 銀ねも
第二話「ミチルの不安な新婚生活」
13/60

胸が焼け焦げるほど

 

考えてみれば、わかることだ。


ミチルは、青い鳥が好まない物語の話しばかりしている。青い鳥は優しく耳を傾けてくれていたが、本当は苦痛だったのではないだろうか。

女の無知は可愛らしいとは言え、限度がある。世間話くらい如歳なくこなせるようでなければ、退屈でつまらないばかな女なのだ。

 だから青い鳥は婉曲的に、ミチルに内にこもらず外に出るようにと、働きかけたのだろう。ところが、鈍いミチルは青い鳥の思惑に気付かずに、ただ漠然と、外に出たら青い鳥が喜ぶだろうと言う認識しかもっていなかった。 


 誕生日五日前の朝、ウェンディが去るとすぐに、ミチルは銀の鍵束を引っ掴んで扉に猛進した。イタチに追われた窮鼠のように、ミチルは追い詰められていた。


(旦那様に見限られてはいけない。旦那様に見限られたらおしまいよ)


震える手で解錠する。ノブを引き千切るように乱暴に、扉を引いた。

 

部屋を飛び出したミチルは、闇雲に走り回った。淑女らしからぬ粗野な振る舞いをとがめる者は、誰ひとりいない。毛足の長い深紅のじゅうたんが敷き詰められた屋敷の廊下は息を潜めて、ひっそりとしていた。

 ミチルはすぐに息切れを起こして、へなへなと壁にもたれかかった。物心ついてから、走り回ったのはこれで二度目だ。

 上下する胸を押えて呼吸を整える。怯えて跳ねまわっていた心臓が落ち着くと、ミチルの頭はようやく冷えた。今更、青くなる。ミチルは頬を両手で挟んで、震えあがった。


(わたくしは……何をしているのかしら。お部屋から飛び出して、お屋敷を駆け回るなんて。こんな無作法を、旦那様に見つかっては大変よ。きっと、軽蔑されてしまうわ。ひとまず、開け放ったままの扉を閉めに戻らなければならない。……いえ、もうお部屋に戻りたい)


ミチルは、がくがく震える膝を押えつけて、壁を支えに立ち上がろうとした。その時、低く掠れた女の声が聞こえてきた。


「ノイルフェイツ様より、ご生誕パーティーの招待状が届いております」


 砂塵のように無味乾燥の声調は、間違いなくウェンディのものだ。応答したのは、聞きなれた声だった。


『死に損ない白獅子翁、また一年生き延びたか。出席した処で、耄碌爺が私の厚意を覚えていられるとは考えにくいな』


 青い鳥の声だ。頭の中に直接響いてくるような、不思議な声で話している。

 話声の主は二人に間違いない。しかし、なんだか様子がおかしい。

 ミチルは、ふらふらと声のする方へ近づいた。一枚の重厚な扉に耳を寄せる。話声はより鮮明に聞こえてきた。


「『情けは人の為ならず』という格言の真意をご理解なさいませんと、数百年後には旦那様が、目をかけた若者から手痛いしっぺ返しを食うことになりますよ」


 ウェンディが言った。その声色にはミチルが聞いたことのない、なんらかのうねりがある。鉄製の硬い面の皮が蠢き、表情が苦々しいものに変わったかもしれない。 

 青い鳥は忠実な召使の諫言を、鼻先で笑ったようだった。


『未来の問題は未来の私に任せるさ。次』

「フォウルデア様主催の夜会は如何いたしましょう」

『血塗れ狼め、もう血が恋しくなったかよ。付き合いきれん、招待状を寄越せ。握りつぶして見なかった事にしよう』

「僭越ながら、私からもご出席頂きますようお願い申し上げます。お断り申し上げましたら、フォウルデア様がこのお屋敷に殴りこんでいらっしゃるでしょう。ここは旦那様が大人しく出向かれて、壁紙とカーペットが血まみれになる惨事を未然に防いで頂くのが得策かと。このお屋敷の外でしたら、フォウルデア邸でも往来でも、お好きな処でどうぞご存分に、血まみれになってくださいませ」

『血狂い狼をうまく丸めこんで追い返すのも、君の仕事のうちでは? 適当な愛想笑いが出来ない分、その怖い顰め面を有効活用してくれ給えよ。だいたい、君は……』

「では、こちらは如何いたします? ケサンゲレン様より二人きりのお茶会のお誘いが、この三日で、十二通届いておりますが」

『……主人の話しを遮るのが、君の嗜みかね?』

「必要とあれば。旦那様の貴重なお時間を、くだらぬ与太話で浪費してはいけませんから」

『そう……。前々から気になっていたのだが、その、ケサンなんとかいう粘着質な蛇女に、私の結婚は伝わっていないのだろうか? 書状を送るよう、言いつけた筈だが』

「書状は既に。ご開封されたかは定かではありませんが、ご結婚の件は恐らくご存じでしょう。失礼して、お手紙の一文を読み上げさせて頂きます。『嗚呼、私の愛しい青い鳥。まさか、あなたが少女にのみ性欲を感じる、異常性欲の持ち主だったなんて。それでも変わらぬ、私の深い愛をあなたは思い知るべきで……』」

『もういい。なんだね、その女は。何故、顔も知らぬ輩に貶められなければならん』

「客観的に申し上げますと、事実だからでは?」

『……ウェンディ。口を慎み給え』

「申し訳ございません」


 ウェンディはちっともすまなそうではなく、口先だけで謝罪した。青い鳥は黙りこんだ。体制を変えたのだろう、羽根が打ち鳴らされる音がする。青い鳥はやがて、切り口上で言った。


『不満があるのなら、話してみなさい』

「召使の分際で、偉大なる主人に不満などあろうはずが御座いません。旦那様が、せっかくお時間の調整をし、昼間のお体をあけられましたのに『あれは面倒くさいこれは気が進まない』と屁理屈をこねて、天使の高貴なる義務たる社交をおろそかになさるのも、きっと何か、のっぴきならない事情がおありの筈です。私からは、何も申し上げることは御座いません」


 ウェンディが慇懃無礼に言い放つ。ミチルは驚いていた。機械仕掛けのメイドが、主人に皮肉交じりの軽口を叩いている。こんなに気やすく青い鳥に接するなんて。

 ややあって、青い鳥はため息をつくように失笑した。


『可愛らしいメイド頭殿の、困った顔が見たいから……と言ったら、どうだね?』

「旦那様」


 青い鳥の、梢を跳ねまわるように軽快な声調に反して、咎めるウェンディの声調は鞭声のように鋭く重い。青い鳥は、軽妙な言葉を紡いだ。


『実際、君のその姿はとても可愛らしい』

「ご冗談でも悪趣味です」

『怒るな。本来の凛然とした美しさはもちろん、さらに魅力的だ』


 ウェンディが厳しい声で何かを言ったようだが、ミチルには聞きとれなかった。頭をしたたかに殴られたみたいだ。朦朧としながら、来た道を本能的に引き返していた。

 

どうやって自室にたどり着いたのか、よく覚えていない。扉を閉めて鍵をかけると、ミチルはその場にずるずるとへたりこんだ。頭の中は先ほど盗み聞きした、青い鳥とウェンディの、ごく親しげなやりとりのことでいっぱいだった。


(旦那様……なんて楽しそうなの……)


 ミチルと一緒にいる時、青い鳥は寡黙な紳士だった。青い鳥はお喋りが好きではないのだろうと、ミチルは思い込んでいた。

 

(どうして、ウェンディとはあんなに楽しそうにお喋りなさるの……)


 はきはきと歯切れの良い弁舌が、紅をささずとも紅いウェンディの蠱惑的な口唇から紡ぎだされている様を想像する。目から鼻に抜ける賢く、美しい女とのお喋りは、青い鳥をさぞ楽しませたことだろう。


 ミチルの幸福の認識に、大きな亀裂がはしった。


(穏やかにわたくしのお話にお耳を傾けて下さっていたのは、わたくしのお話を楽しんでくださっていたからではない。退屈なお喋りをやり過ごしていらっしゃったんだわ。頭の悪いわたくしは、それを愛情だと錯覚して……)


 ミチルは慟哭した。硬い扉を小さな拳が叩く。痛みは感じなかった。木端が飛び散り、ドレスに降り積もる。


(無様。ああ、ミチル。あなたはなんて無様なのかしら。あなたはちっとも変わらない。あなたは逆立ちしたって、あのひとに愛される、本物の淑女にはなれないのよ!)


 ミチルはわっとおめいて、床に突っ伏した。胸の痛みを紛らわそうと、絨毯のパイルをかき毟りながら、ミチルは嗚咽を漏らした。


「お願い……わたくしだけを、愛してください……。わたくしには、あなたしかいないの。あなたが全てなの。あなただけが欲しいの……」

(愛しているよ、ミチル。君だけを愛している。その証拠に、ほら。僕たちはこうして、ずっと一緒にいられるようになったじゃないか)

「わたくしだけ……わたくしだけを愛してほしいの。他の女なんて、その視界の端にも映して欲しくない。お願い、わたくしだけを見て……」


 チルチルの言葉は、空々しくミチルの心を上滑りして消え入った。ミチルの訴えは、誰にも聞き届けられる事はなかった。




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