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柿の花咲く頃  作者: 秋沢文穂
本編「柿の花咲く頃」
2/18

一、

一、伯父の家

 最後の雨戸を開け終えると、家中に光が差しこみ明るくなった。

 庭の中央に生えている柿の木はまだ若い芽を出したばかりで、初夏の日差しを一心に受けていた。

 杉崎すぎさき玖美くみは柿の木を眺めながら、大きく伸びをして胸いっぱいに山の空気を吸いこんだ。


 すると、どこからともなくホーホケキョとウグイスの鳴き声が聞こえてくる。

「やっこさん、上達しましたな」と感心して呟く。

 前回ここを訪れたのは三月十日で、ケキョ、ケキョと拍子抜けするほど間抜けな鳴き声を発していた。

 それから、約二ヶ月が過ぎ一人前のウグイスになっていた。


 口元を緩めつつ居間に移動し、仏壇の前に正座して手を合わせる。

(伯父さん、先月はお邪魔できずにごめんなさい。その変わり今日から二泊させてもらうね)

 挨拶を終えて顔を上げると、初老に差しかかった男性が彼女に向って微笑んでいた。

 

 伯父杉崎直也なおやは半年ほど前、心筋梗塞で倒れ帰らぬ人となった。

 玖美はこの伯父が大好きで、学生の頃から週末ごとに訪れ、長期休みになるとよく泊っていた。


 立ち上がった玖美は宿泊のため買い揃えた食料品を冷蔵庫につめこむ。

 最後の一本となる缶ビールを手にして、一瞬躊躇した。

「う~ん、終わってからにしますか」

 結局、持っていた一本を冷蔵庫にしまった。


 それから、玖美は久しぶりに訪れた伯父の家の掃除にとりかかった。

 この家は山中に建っており、両隣りはこの家の上下に分かれていて、ほとんど見えない。

 離れた近所にここの存在を示すには、ぼやでも起さない限りわからないだろう。


 部屋の数は全部で三つ。

 八畳の居間、伯父の書斎兼寝室の六畳間、そして玖美が泊るたびに使わせてもらっていた六畳間に、台所と風呂トイレが付き三DKだ。

 家全体が昭和のままで、柱や天井は黒く煤けている。

 玖美は幼少の頃、この家にお化けが住みついているようで怖かったが、大人となった今は柱や天井に使用されている木々の息吹を感じ、訪れるたびやすらぎを感じていた。


 掃除は思いのほかてこずった。冬から春、初夏となり、虫たちが活発に這いまわっていた。

 玖美は家の中に潜んでいたムカデを見つけると、割り箸でつまんで外へと放り投げた。

 放り出されたムカデは腹を見せ足をもぞもぞさせ、ふとしたタイミングでひっくり返ると何事もなかったかのように動き出した。


 休まず体を動かしたおかげで、主要拠点である居間はあっという間にきれいになった。

 きれいになった居間を眺めながら、自宅から持参してきた梅干し入りのおにぎりを頬ばり、ペットボトルのお茶を飲みこんだ。


 午後からは伯父が自分専用にあつらえてくれた部屋を掃除しよう。伯父の書斎は明日でいい。

 しかし、自分は伯父の書斎を片付けられるのだろうか。

 それ以前に足を踏み入れることができるのだろうか。


 あれは確か小学四年生の夏休みだった。

 玖美は伯父から留守番を任され、大人しく居間でテレビを見ていた。

 しかし、すぐに飽きてしまい、他にすることもなく家の中を探検しようと思い立った。

 居間から順々に置いてある家具の引出しまで調べたが、小四の少女が夢中になれるものは何も見つからなかった。


 そして、残すところは伯父の部屋のみとなった。玖美はあふれる好奇心に押されて、ドアを開けようとした。

「玖美ちゃん、なにしとる!」

 背後から男の大声がし、振り向くと眉を吊り上げ青い顔をした伯父が立っていた。

 伯父の怖い顔を見た玖美は消え入りそうな小さな声で、「ご、ごめんなさい」と謝るのが精いっぱいだった。


 やがて伯父は泣きそうな玖美に、「大声出してごめんな」とすまなそう、というよりも悔しそうに謝罪した。

「伯父さんが悪かった。アイス、買ってきたから一緒に食べよう」

 いつもの優しい笑顔を見せ、二人して居間ヘ移動した。

 今でも伯父の大声は玖美の耳にこびりつき、部屋の前に立つたびに身がすくむのであった。


「ああ……」

 ため息とともに伸びをしながら、畳の上に寝転んだ。いぐさの匂いが近くなり、天井が遠くなる。

 てのひらでそっと畳をなでた。織りこまれたいぐさのおうとつと、つるっとした手触り。

 やはり、畳は気持ちいい。


 自室はフローリングの中央に、ラグマットを敷いている。

 冬は温かくて快適だが、近頃は汗ばむ日も出てきてうざったくなり始めていた。

 そろそろラグを引っ込めて畳のマットにしたいところだが、仕事が忙しく後回しになっていた。


 コチコチと時計の音が聞こえる。台所との出入り口に取り付けられた柱時計の音だ。

 前回、訪れたとき電池が切れていて、慌てて下のコンビニエンス石田いしだに買いに行った。

 コンビニエンス石田はこのあたり唯一の商店で、コンビニエンスの名にふさわしくなんでも揃っている。


 コンビニというとどこかのビルに間借りした店構えか、さもなくば一軒店舗で自動ドアのイメージだが、

このコンビニエンス石田はごく普通の民家で自動ドアではなく引き戸だ。

 敷居を踏むとカランカランと電子音が鳴る。

 しかし商品のラインナップは充実していて、駄菓子、煙草、調味料、日用雑貨は、もちろん懐中電灯まであり、クリーニングの請負いもやっている。

 非常に便利なコンビニなのだ。


 一つ難点をあげるなら、お弁当やお惣菜の類を取り扱っていない。

 運が良ければ店主であるおばさんが、「作り過ぎた」と言っておかずをわけてくれる。

 だがこれは、本当に運次第だ。

 伯父はよくこのおばさんに世話になっていたらしく、この家では見たこともない豪勢な器がテーブルの上に乗っていた。


 時計が鳴った。鐘は二つ、二時になった。

 玖美はすくっと起き上がり、今晩寝る六畳間に向った。

 この六畳間だけは、全ての部屋の中で異彩を放っていた。

 伯父が生前時に玖美が泊るからということでリフォームしてくれた。

 白い壁紙にクリーム色の天井、木目調のフローリングと、現在を生きている部屋だった。


 初めてこの部屋に足を踏み入れたとき、自室に戻ってきたような錯覚をし、ひどく落胆させられた。

 だが伯父は「いい部屋になったろう。ここは玖美ちゃん専用の客間だからね。好きに使っていいよ」とにこにこして言い、

玖美は仕方なく「ありがとうございます」と蚊の鳴くような声で礼を言ったのだった。


 ところが歳月が流れるにつれ、伯父の家にも自分の部屋があると思うと嬉しく、ホッとするようになっていた。

 例え自宅の砦が陥落しても、ここに来れば別の砦がある。こんなに心強いことはない。


 しかし、その一方で伯父が結婚し、夫婦の間に子供が生まれたら、第二の砦がなくなってしまう不安もあった。

 安心と不安――。

 いつもこの二つは隣り合わせで玖美の心に取りついていた。


 部屋の掃除が済んだ玖美は、布団を取りこもうと庭先に出た。

 到着した頃、晴れわたっていた空はどんよりしていて、風までもが冷たくなっている。

「ひと雨、来るかな? 雷鳴らなければいいんだけど……」

 不安をもらし、急いで布団を叩いて取り込んだ。

 取り込むには少し遅く、ふわふわの布団ではなく湿った空気を含んでいた。

「タイミング悪いな」

 今までの経験からか、その呟きは玖美自身のようであった。


 取り込んだ布団を第二の自室に運ぶ途中、チャイムが鳴った。

「誰だろう」

 慌てて布団を投げ入れ、玄関に向った。ガラス越しのドアには黒ぽっい影が見える。

 玖美は息を飲んだ。その人影の様子から察すると、男性みたいだ。

 もし、何かあって大声を張り上げても、遠く離れたお隣りには届かないだろう。

 さらにここは人が滅多に通らない。


 身をすくめていると、再びピンポン、ピンポンとしつこくチャイムが鳴った。

「すみません! どなたかいらっしゃいませんか!」

 やはり成人男性の声だ。玖美に緊張が走る。

 仕事では男性と渡り合っている彼女も、こういう場面では怖さの方が先立ってしまう。


「いないのかな……」

 玖美がもたついていると、男の寂しそうな声がした。

 その声は男の子が学校から帰ってきて、居ると思っていた母親が留守で家の外で待たされているような寂しい顔と重なった。


「はい、ただいま」

 いたたまれなくなった玖美は、思わず玄関のドアを開けてしまった。


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