別れの覚悟 3
仕事始まりが6日からだから5日頃に帰ってくるだろうと思っていた樋口だったが、家に戻ってきたのは何と2日の夜だった。
「どうしてこんなに早く帰ってきたの?ご両親とか…」
「うちは兄貴も姉貴もいて甥も姪もいるからさ、俺はどちらかと言えばお邪魔虫なんだよ。それより俺はお前に会えなくて寂しかったんだけどな。お前は?」
「寂しかった…です」
私がそういうと樋口はうれしそうな顔をする。翌日近所の神社に初詣に行った。そんなに大きい神社ではないが結構人は多い。
「あの…」
「どした?」
「…手 つないでもいい?」
樋口はあまり手をつないだりするのは好きではないようで、何度か言ったことがあったが断られていた。だがその時は少し恥ずかしそうな顔をしながら手を差し出してくれた。私は彼の手をぎゅっと掴むと歩き出した。
そして仕事がはじまって数日後、私は樋口に名古屋に引っ越すことを告げた。
「お前…お前はそれでいいのか?遠距離になるんだぞ?」
「遠距離にはならないよ。例え遠距離になったとして私はそういうのは無理」
「どういう意味だ?」
「…別れよう」
震える手をぎゅっと握り締めて私は樋口に告げた。樋口は信じられないといった様子で返す言葉もなかったようだ。
「さっきも言ったけど 遠距離恋愛とか私は無理だから 私が引っ越すのを機に別れようと思う。今までありがとう。出来るだけ早めに部屋は出るから…」
それだけ言うと和室へと向かった。付き合い始めてから毎晩樋口のベッドで一緒に寝ていてこの部屋で寝るのは久しぶりだ。私は布団を敷いて電気を消した。
―――言えた。ちゃんと言えた…途中涙が出るかと思ったけど 何とか誤魔化して普通に言えた。でもこれで終わりだ…自分が切ったカードが自分自身を傷付けている。たぶんそれ以上に樋口も傷つけた。きっと彼は私のことを許さないだろう。だがそれでいいのだ。嫌いになってくれれば諦めもつくかもしれない。
「樋口さんと別れるって…あんたそれでいいの?」
「あかり ちょっと落ち着いて、お腹の子供に障るから…」
「この状況が落ちついてられるって言うの?悦子、まさかあんた知ってたんじゃないわよね」
「知らなかったわよ!私も今聞いたばっかりだもの…」
「ひなた!何があってどうしてこうなったわけ?樋口さんの何が不満なのよ!」
「だからあかり、そんなに興奮しないで」
あかりは村田との間に子供が出来て会社を辞めていた。私は悦子とあかりに名古屋に引っ越すことになったこと、それで樋口とは別れることになったと伝えた。あかりは全然納得いかないようで不機嫌な顔 丸出しだ。
「あのね、私達は別に樋口さんと別れるなとか強制してるわけじゃないのよ。でもついこの前まで上手く言ってた2人が突然別れるとか…何かあったの?」
「何もないよ。ただ私が名古屋に引っ越すから 遠距離恋愛は無理なので別れるだけ」
「別れるだけって…樋口さんそれで納得したの?」
「………」
「だよね。私実は樋口さんとひなた 結婚すると思ってたもん」
「私もそう思ってたよ。樋口さん あんたのこと大事にしてたじゃん」
「前から言ってるでしょ?私は誰とも結婚しないって」
「あんたまだそんなこと言ってるの!何でそんなこと言うのよ!」
「あかり…落ち着いて…」
結局あかりも悦子も納得はしてくれず、私は事実だけを伝えるだけになった。私は明日ここを出て行く。私は樋口の部屋に戻るとそのまま和室へと向かった。部屋にはほとんど荷物は残っていなくてあとはダンボール2個、これを明日発送すれば完了だ。
「ひなた、入るぞ」
樋口の声がして和室のドアが開いた。樋口は私の手を掴んで自分の部屋に連れて行くと ポケットから箱を出して手に握らせた。
「ひなた、結婚しよう。俺がお前の保護者になる。俺にはお前が必要だしお前も俺のこと愛してくれてるんだろ?だったら…」
「…ごめんなさい…」
私は顔を上げることができなかった。顔を上げたら私の目が涙でいっぱいになっているのがばれてしまう。
「私は誰とも結婚しないの。だからこれももらえない」
手に握らせてくれた箱の中身はきっと指輪だろう。そんなものもらえるわけはない。私は呆然としている彼にもう一度ごめんなさいと言って机の上に箱を置いて部屋を出ようとした。
「ダメなのか?もう俺達…」
彼の声が震えていて それだけでも心が締め付けられた。振り返れば彼の目から涙がこぼれていた。泣かせてゴメン、困らせてゴメン、苦しめてゴメン…私はその言葉を伝えるように彼の首に腕を回して抱きしめた。