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影を売った聖女は、断罪の夜に微笑みました~あなた方が捨てたのは、光そのものでしたのに?~

作者: uta
掲載日:2026/07/18

「シャルロッテ・エヴァンス。お前との婚約を破棄する」


王城の大広間。無数のシャンデリアが煌々と輝く夜、王太子アルベルトの声が高らかに響き渡りました。


「そして聖女の座も剥奪する。罪状は――魔物討伐への非協力、そして闇の術に手を染めた背信だ」


居並ぶ貴族たちのざわめき。刺すような視線が、わたくし一人に集まります。


わたくしは、静かに一礼いたしました。


(――ふぅん。背信、ですって)


表向きは、感情を読ませない切れ長の瞳を伏せたまま。けれど内心では、前世の記憶がぽつりと呟いておりました。


(闇の術に手を染めたって……そりゃまあ、影を扱う仕事はしてますけど。それ、あんたらの影なんですけどねぇ)


アルベルトの隣で、亜麻色の巻き髪を揺らす少女が勝ち誇った笑みを浮かべています。対抗聖女を名乗る子爵令嬢、ミレーユ。


「まあ、シャルロッテ様。そんなに睨まなくても……わたくし、あなたのぶんまで頑張りますから」


愛らしい声で、しっかりと毒を含ませてくる。


(あなたのぶんまで、ねぇ。……その浄化、九割がた私の仮面補助なんですけど。素で言ってるならある意味大物だわ、この子)


アルベルトが冷ややかに続けます。


「お前の陰気な仕事はもう要らん。ミレーユの光があれば十分だ。……お前の影は、もう我が国には不要だ」


光。


その一言に、わたくしは思わず――内心だけで、噴き出しそうになりました。


(光ですって? あの子の影、まるっと私が預かってるんですけど。この国の結界を五年間支えてきたの、誰だと思ってるのかしら)


大広間の隅で、白髪をきっちり結い上げた老女が、震える拳を握りしめているのが見えました。ドロテア。わたくしの労苦を、唯一間近で見てきた人。


泣かないで。


わたくしは、目線だけでそう伝えます。


そして――ゆっくりと顔を上げ、王太子を真っ直ぐに見据えました。


「かしこまりました」


声は、あくまで穏やかに。


「では――お預かりしていたものを、すべてお返しいたします」


その言葉の意味を、この場の誰も、まだ理解してはいませんでした。


◆◇◆


――時を、わずかに巻き戻します。


断罪の前夜。王太子の私室では、二つの影が身を寄せ合っておりました。


「ねえ、アルベルト様。本当に、明日でいいのですか?」


ミレーユが甘えた声で、王太子の腕に指を絡めます。


「ああ。あの陰気女さえいなくなれば、すべてが上手くいく」


アルベルトは満足げに頷きました。


「あいつは何もしていない。ただ暗い顔で城の隅をうろつき、木くずの匂いをまき散らしているだけだ。それに引き換え、ミレーユ。お前の浄化魔法の輝かしさときたら」


「まあ、嬉しい」


ミレーユがくすくすと笑います。


「あの女、いつも仮面なんか彫って……気味が悪いったら。あんなもの、なんの役に立つのかしら」


「捨ておけ。明日で終わりだ」


二人は知りませんでした。


その『気味の悪い仮面』こそが、王都全域を魔物から守る結界の正体であることを。


そして――彼ら自身の『影』もまた、その仮面の中に、静かに封じられていることを。


魔物は、濃い影に殺到する。


影を返された者は、格好の餌になる。


彼らは今まさに、自らの命綱を、自らの手で切り落とそうとしていたのです。


読者の皆さまだけが、それをご存じですね。


――さて。舞台を、断罪の夜へ戻しましょう。


◆◇◆


「お預かりしていたもの……だと?」


アルベルトが眉をひそめます。


わたくしは懐から、一枚、また一枚と、薄い木片を取り出しました。無数の――仮面契約書。わたくしが夜な夜な工房で彫り上げた、契約の証です。


「これは、契約魔法の証。この国の重要な方々の『影』を、わたくしが肩代わりしてお預かりしている、その記録でございます」


床に並べていくたびに、契約書がほのかな光を帯びていきます。


「アルベルト王太子殿下」


光。


「騎士団長ヴェイル様」


光。


「財務大臣ゴードン様」


光。


「そして――ミレーユ・ド・フォンテーヌ様」


最も強い光が、ミレーユの足元へと伸びました。


「な……なんですの、これ」


ミレーユの顔から、笑みが消えます。


契約魔法が可視化した『影値シャドウ』の糸が、大広間中の要人たちから、わたくしへと繋がっているのが浮かび上がりました。何十本、何百本もの、細い光の線。


貴族たちがどよめきます。


「あれは……影の肩代わり契約か?」

「まさか、聖女様がお一人で、これほどの……」


わたくしは、ゆっくりと一枚の仮面を手に取りました。ミレーユの影を封じた、白い仮面。


「ミレーユ様。あなたの浄化魔法――さぞ、お美しかったことでしょう」


「な、何を……」


「けれどそれは、あなたの影をわたくしが預かり、魔力を肩代わりしていたからこそ成せた業。……素のあなたには、魔物一匹祓う力もございません」


「嘘よ! でたらめを言わないで!」


わたくしは微笑みました。ただ、静かに。


「契約は、いつでも一方的に解除できると――申し上げましたでしょう?」


そして。


両手に力を込め、仮面を――


パキ、と。


乾いた音が、大広間に響きました。


その瞬間。


封じられていた濃厚な影が、糸を伝って一斉に、本人たちのもとへと還っていきました。


五年間、隠蔽され続けた、無防備な影値。


それが今――王都全域に、露出したのです。


◆◇◆


遠く、城の外から――地鳴りのような咆哮が響きました。


「な、なんだ、今の音は」


アルベルトの顔が、初めて強張ります。


窓の外。王都を囲む夜空に、無数の赤い光点が浮かび上がりました。近づいてくる。まっすぐに、この城へと。


魔物です。


濃い影に殺到する習性を持つ、あの魔物たちが。


「結界は……っ、結界はどうした! なぜ魔物が王都へ!」


騎士団長が青ざめて叫びます。


わたくしは、静かに答えました。


「結界を維持していたのは、わたくしの仮面契約でございました。皆さまの濃い影を辺境の隔離塔へ逃がし、この王都を『影の薄い、狙われぬ土地』に見せかけていたのです」


「そんな……」


「その仮面を、たった今、砕きました。ですので――皆さまの影は、あるべき場所へ戻りました。ただ、それだけのことでございます」


ミレーユが、へたり込みます。手をかざしても、あれほど輝いていた浄化の光は、もう欠片も生まれません。


「出ない……浄化が、出ないわ……! どうして、どうしてなの!?」


「素のあなたが、そうであったというだけのことです」


アルベルトが、わなわなと震えながら、わたくしを見ました。


その瞳に、遅すぎる理解の色が浮かびます。


「まさか……お前の、陰気な仕事というのは……」


「ええ」


わたくしは、深々と一礼いたしました。


「この国の光を、裏側から支える仕事でございました。――ですが、もう不要とのことでしたので」


(失ってから気づくって、ほんとにあるんですねぇ。前世で観たドラマみたい)


「お待ちください、シャルロッテ様!」


駆け寄ってきたのは、ドロテアでした。涙で顔をくしゃくしゃにしながら。


「お嬢様……いえ、シャルロッテ様。あなた様は、どこへ行こうとも光でございます。どうか、どうかお身体だけは……」


「ドロテア。長い間、ありがとう」


わたくしは、彼女の手を握り返しました。この五年で、たった一つの、本物の温もり。


「わたくしは、大丈夫。……ここではないどこかで、ちゃんとやり直しますから」


背後で、アルベルトが叫んでいます。


「待て、シャルロッテ! 行くな、契約を、契約を戻せ……!」


初めて頭を下げようとして、けれどプライドが邪魔をして、言葉は途中で言い訳に変わっていく。


わたくしは、振り返りませんでした。


ドレスの裾を翻し、崩れゆく大広間を後にします。


(さて。仮面師の本領発揮といきましょうか。――ここからが、私の舞台です)


◆◇◆


翌朝。わたくしは、冒険者ギルドの扉を叩いておりました。


煙草と汗と鉄の匂い。荒くれ者たちがひしめく酒場は、王城とは何もかもが違います。


(うん、こういう雑然とした感じ、嫌いじゃないわ。前世の工房を思い出す)


受付で用件を告げると、奥からのっそりと大男が現れました。隻眼に古傷。ギルドマスターの、バルガス・ヘイル。


「ほう。聖女様が、こんな場末に何のご用だ?」


じろりと、値踏みするような視線。わたくしは臆さず、一枚の仮面を差し出しました。


「わたくし、【仮面師】のギフトを持つ者です。他者の影を封じ、隔離し、魔物を誘導する――そういう仕事が、できます」


バルガスの隻眼が、す、と細くなります。


そして、差し出された仮面に指で触れた瞬間――彼の表情が、変わりました。


「……おいおい。こいつぁ、本物か」


「昨夜まで、王都全域の結界を、これで維持しておりました」


「昨夜まで、だと」


バルガスは、ぐるりと酒場を見回しました。今朝から、王都の混乱――魔物の襲撃と貴族たちの狼狽――の噂で持ちきりです。


そして、豪快に笑い出しました。


「はっはっは! なるほどなァ、そういうことか! 城の連中は、宝を溝に捨てたらしいな!」


酒場中の視線が集まる中、彼はわたくしの肩を、ばしんと叩きました。


「気に入った。ウチで働きな、嬢ちゃん。……ただし言っとくが、こっちは身分で人を測らねえ。実力で正当に払う。城のケチな連中とは違うぜ」


差し出された報酬額の見積もりを見て、わたくしは思わず目を見開きました。


(……え、桁ひとつ多くない? 五年間の聖女の給金、実質ゼロだったんですけど)


「破格でございますが、よろしいので?」


「宝には、それ相応ってもんがあるだろうが」


バルガスは、にやりと笑います。


その時でした。


酒場の隅、誰も寄せ付けぬ一角で、黙々と食事をしていた巨躯の男が――ゆっくりと顔を上げたのは。


鈍色の鱗。氷のような銀灰の瞳。


『氷の竜』と恐れられる、Sランク冒険者。


その男が、わたくしを見て――なぜか、耳の先を、ほんのりと赤く染めていました。


◆◇◆


「ガルドじゃねえか。珍しいな、お前が興味を示すたァ」


バルガスが面白そうに声をかけます。


のっそりと立ち上がったその大男は、身の丈六尺を超える巨躯。近づいてくるだけで、周囲の冒険者たちが道を空けます。


無表情。氷のような眼差し。けれど――なぜか視線が、微妙に泳いでいる。


(あら? この人……)


わたくしには、覚えがありました。この竜の血の匂い。この、暴走しがちな影の気配。


「もしや――五年前、竜の影を預けてくださった方でしょうか」


匿名の依頼でした。名も告げず、ただ『眠れぬ夜を、なんとかしてほしい』とだけ。わたくしは請われるまま、その荒れ狂う竜の影を仮面に封じ、静めて差し上げたのです。


巨躯の男――ガルドは、こくり、と小さく頷きました。


そして、口を開き――閉じ、また開き。


「…………」


言葉が、出てこないようです。


強面の討伐英雄が、視線を右へ左へさまよわせ、大きな手を所在なげに握ったり開いたり。


(え、なにこれ。可愛くない……? いや、六尺超えの竜人つかまえて可愛いって、私の目、大丈夫かしら)


たっぷり十秒ほどの沈黙のあと。


ガルドは、ようやく、ぶっきらぼうに言いました。


「……お前の仮面が」


「はい」


「俺の眠りを、守った」


それだけ。


たった、それだけを言うために、彼はどれほど言葉を探したのでしょう。


「あの五年、初めて……ちゃんと、眠れた」


耳の先が、また少し赤くなります。


バルガスが、ぷっと吹き出しました。


「おいおいガルド、お前そんなに喋れたのか。氷の竜が溶けてるぜ」


「……うるさい」


ガルドは、ばつが悪そうに顔を背けます。それから、真剣な眼差しで、わたくしを見据えました。


「城が、お前を捨てたと聞いた。……もし、お前を害そうとする奴がいるなら」


少し、言葉に詰まって。


「俺が、いる」


不器用な、けれど、まっすぐな言葉。


わたくしは、久しぶりに――本当に久しぶりに、心から微笑んでおりました。


「ありがとうございます、ガルド様。……とても、心強いです」


(あぁ、報われるって、こういうことなのね。五年ぶりに、誰かに『いる』って言ってもらえた)


◆◇◆


――それから、ひと月。


わたくしは、王都のはずれに小さな工房を構えました。


窓辺には彫りかけの仮面が並び、床には木くずが舞い、空気には懐かしい木の匂い。前世で夢見た、けれど叶わなかった、自分だけの工房です。


「シャルロッテ、新しい依頼だ。今度は東の隔離塔の影誘導。報酬は前回の倍」


ギルドから顔を出したバルガスが、書類を置いていきます。仕事は引きも切りません。市井の人々は、身分ではなく、確かな仕事ぶりで、わたくしを評価してくれました。


「相変わらず、竜が居着いてやがるな」


バルガスが、部屋の隅で丸くなっている巨躯を見て、にやりとします。


ガルドです。仕事の合間、当たり前のように工房に来ては、静かに座って、わたくしが仮面を彫るのを眺めている。


「……邪魔は、していない」


「そうですね。むしろ、木くずを片付けてくださって助かっています」


「そうか」


ほんの少し、耳が赤い。


(この人、本当に分かりやすいわね。ふふ)


その時、扉が控えめに叩かれました。


ドロテアです。


「シャルロッテ様。……王城から、これを」


差し出されたのは、豪奢な封蝋の押された、一通の書状。


開けば、それは――嘆願書でした。


『魔物の被害、収まらず。結界、いまだ復旧せず。ミレーユの浄化はまるで効かず、アルベルト王太子は責を問われ幽閉。どうか、どうか聖女シャルロッテ様のお力を、今一度――』


わたくしは、最後まで読みませんでした。


(あら。今さら『聖女様』ですって。あんなに『陰気な仕事』って言ってたのに)


ドロテアが、心配そうにわたくしを見ます。


「いかがなさいますか……?」


わたくしは、書状を軽く掲げ、暖炉のほうへ歩みました。


そして、ぱさりと。


炎の中へ、くべます。


嘆願書は、あっという間に、影も残さず燃え尽きました。


「わたくしの影は、もうこの国には不要なのでしょう? ――でしたら、お返しした通りに、ご自分たちで支えてくださいませ」


淡々と。けれど、五年ぶんの静かな痛快さを込めて。


ドロテアが、涙ぐみながら、けれど誇らしげに微笑みました。


「……はい。それでこそ、わたくしの主人でございます」


炎が、ぱちりと爆ぜます。


ガルドが、ぽつりと言いました。


「……次の依頼。俺と、組まないか」


「あら。竜人さんとの共同作業ですか。ふふ、光栄ですわ」


窓の外では、春の陽が、王都の外れの小さな工房を、暖かく照らしていました。


影を売った聖女は、断罪の夜に微笑んで――そして今、ようやく、自分のための光を、彫りはじめたのです。


(さあ、次はどんな顔を、彫りましょうか)

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