表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『君がいない春に、桜は咲かない』  作者: 優貴(Yukky)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/61

第9話 『思い出せなくても、好きになる』

蒼の記憶は、まだらだった。

自分の名前。

家族の顔。

学校の教室の場所。

それは覚えている。

でも。

私との時間だけが、抜け落ちている。

屋上も。

告白も。

泣いた夜も。

全部。

「朝倉、美桜」

蒼は私をそう呼ぶ。

フルネームで。

距離のある呼び方。

前は――

「美桜」って、あんなに自然に呼んでくれたのに。

でも、責められない。

生きているだけで、奇跡だから。

リハビリ室。

蒼は歩く練習をしている。

点滴スタンドを押しながら、一歩ずつ。

私は横で見守る。

「そんなに見んなよ」

照れた顔。

その表情は、変わらない。

「転んだら困るでしょ」

「かっこ悪いとこ見られるじゃん」

「前からいっぱい見てるよ」

口が、勝手に動く。

蒼は少し首を傾げる。

「そうだっけ」

胸が、ちくりとする。

「うん。いっぱい」

私は笑う。

蒼は少し考えて、言う。

「じゃあ、今さらか」

その言い方が、前と同じで。

涙が出そうになる。

夏祭りが、近づいていた。

退院はまだ難しい。

でも、外出許可が出るかもしれない。

条件付き。

体調が安定すれば。

「行きたい?」

私が聞く。

蒼は少し考えて、言う。

「約束、したんだろ」

「覚えてるの?」

「単語だけな」

苦笑する。

「でもさ」

私を見る。

「行きたい理由は、なんとなく分かる」

心臓が、強く鳴る。

ある日の午後。

蒼が突然言った。

「屋上」

息が止まる。

「なんか、ここに立つと落ち着く気がする」

病院の屋上。

空が広い。

風が吹く。

蒼はフェンスに手をかける。

「ここ、好きだった?」

私を見る。

私は、うなずく。

「うん。大好きだった」

蒼は空を見上げる。

「じゃあ俺も、好きだったんだろうな」

その横顔が、まぶしい。

「なあ」

蒼が小さく言う。

「俺さ」

振り向く。

「記憶なくして、正直怖い」

初めて聞く、本音。

「みんなの思い出に、俺がいないみたいで」

違う。

言いかけて、飲み込む。

「でも」

蒼は続ける。

「今は、今でいい気がしてる」

私を見る。

まっすぐ。

「朝倉といると、安心する」

涙が溢れる。

「なんでかは分かんないけど」

一歩近づく。

「たぶんさ」

喉が鳴る。

「もう一回、好きになる途中なんだと思う」

世界が、静かになる。

思い出せない。

でも。

やり直している。

最初からじゃない。

ゼロからじゃない。

今の蒼が、今の私を見て。

好きになろうとしている。

それだけで、十分だった。

夏祭り当日。

蒼は、まだ少しふらつく。

でも、浴衣を着ている。

ぎこちなく笑う。

「似合う?」

あの日と同じ言葉。

「似合うに決まってる」

夜空に花火が上がる。

音が胸に響く。

蒼は花火を見上げる。

そして、ぽつりと。

「美桜」

息が止まる。

名前。

今、自然に呼んだ。

蒼は少し驚いた顔をする。

「……今、言った?」

私は泣きながら笑う。

「うん」

蒼はゆっくり言う。

「思い出したわけじゃない」

近づく。

「でも、この名前が一番しっくりくる」

花火が大きく弾ける。

夜空が光る。

蒼が言う。

「好きだ」

記憶じゃない。

過去じゃない。

今の言葉。

「思い出せなくても、好きになる」

涙が止まらない。

五割の向こう側。

完璧な奇跡じゃない。

でも。

生きている。

笑っている。

もう一度、好きって言ってくれた。

それで、十分だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ