第6話 『ちゃんと起きてる君に、好きって言う』
春は、ほとんど終わりかけていた。
校庭の桜は、葉桜になっている。
蒼は、少しずつ回復していた。
点滴の本数も減り、
短時間なら車椅子で院内を歩けるようになった。
「リハビリ、地味にきつい」
そう言いながらも、前よりちゃんと笑う。
その笑顔を見るたび、
胸が痛む。
覚えていない春を、
私は一人で抱えている。
でも。
それでも。
今日、言うと決めた。
「屋上、行きたい」
蒼が言った。
「病院の?」
「違う。学校の」
一瞬、息が止まる。
医師に相談し、
短時間の外出許可が出た。
条件付き。
三十分だけ。
放課後の校舎は静かだった。
蒼はゆっくりと階段を上る。
一段ずつ。
苦しそうに、でも確かに。
「久しぶりだな」
屋上の扉を開ける。
風が吹く。
もう桜はない。
青い空だけが広がっている。
「なんか、思い出しそうな気がする」
蒼がフェンスにもたれる。
「ここ、よく来てたよな」
胸がきゅっとなる。
「うん」
二人で並ぶ。
少し距離がある。
その距離を、今日終わらせる。
「蒼」
名前を呼ぶ。
声が震える。
「なに」
まっすぐな目。
今は、ちゃんと私を見ている。
逃げられない。
逃げない。
「好き」
風が止まった気がした。
蒼の目が見開かれる。
「ずっと前から」
涙がこぼれそうになる。
「春の前から」
声がかすれる。
「入院してからも、ずっと」
全部、伝える。
「怖かった。でも、好き」
沈黙。
屋上に、二人だけ。
蒼は、ゆっくりと息を吐いた。
「……ずるいな」
かすれた声。
「なんで今言うんだよ」
「今しかないから」
即答する。
蒼は空を見上げる。
そして、小さく笑った。
「俺さ」
右手をぎゅっと握る。
――強がるときの癖。
でも今日は、違う。
「たぶん、好きだった」
心臓が跳ねる。
「たぶん?」
「記憶ないから自信ねえ」
苦笑する。
「でもさ」
視線が、私に戻る。
「お前見てると、胸痛いんだよ」
涙が溢れる。
「安心するのに、苦しくて」
蒼は一歩近づく。
「だから、多分、好き」
不器用すぎる告白。
でも、それで十分だった。
「たぶんじゃなくて、好きでいいよ」
笑いながら泣く。
蒼も、少しだけ笑う。
「……好きだ、美桜」
ちゃんと。
起きている目で。
私を見て。
言った。
その瞬間。
屋上の扉が開く音。
医師と看護師が慌てて駆け寄る。
「時間です。戻りましょう」
蒼がふらつく。
顔色が悪い。
「大丈夫?」
支えようとすると、蒼が小さく言う。
「……なんか、思い出した気がする」
「え?」
「夜、泣いてたやつ」
息が詰まる。
「好きって言ってた」
目が揺れる。
「お前だろ」
涙が止まらない。
「うん」
蒼は、かすかに笑う。
「俺、バカだな」
その直後。
膝が崩れる。
「蒼!」
看護師が支える。
意識はある。
でも、呼吸が荒い。
医師の表情が、険しい。
「すぐ戻ります」
ストレッチャーに乗せられる蒼。
手を伸ばす。
指先が、触れる。
「……忘れない」
蒼が、かすれた声で言う。
「今度は、忘れないから」
扉が閉まる。
屋上に、風だけが残る。
空は、やけに青い。
好きって言えた。
ちゃんと、言えた。
でも。
時間は、残酷なくらい短い。
――春は、もう終わる。




