第3章・第10話 (3章最終話)『春は、終わらない』
三年後。
娘は五歳になった。
背が伸び、よく喋り、よく笑う。
そして、蒼にそっくりな目で、世界を見る。
蒼は相変わらず病院で働いている。
赤いランプは、今も毎日のように点く。
でも。
蒼の足は、もう止まらない。
迷わない。
怯えないわけじゃない。
それでも、進む。
ある日の夜。
大きな事故があった。
救急搬送が続く。
廊下に緊張が走る。
そして、赤いランプが点いた。
蒼は深く息を吸う。
かつて、人生が崩れた場所。
かつて、命の重さに押し潰されそうになった場所。
でも今は――
「行くぞ」
仲間に声をかける。
力強い目。
その姿は、もう“守られる側”じゃない。
手術は長時間に及んだ。
何度も危機があった。
何度も心臓が止まりかけた。
でも。
「戻れ!」
蒼の声が響く。
震えていた右手は、今は確かに命を繋いでいる。
数時間後。
モニターが安定する。
静かな拍動。
蒼はマスクの奥で目を閉じる。
生きている。
救えた。
赤いランプが消える。
手術室の外。
一人の少年が泣きながら立っていた。
震える肩。
蒼は一瞬、時間が止まる。
あの日の自分。
赤いランプを見上げていた少年。
蒼は、ゆっくり歩み寄る。
隣に座る。
何も言わず。
ただ、隣に。
少年が嗚咽混じりに言う。
「父さん……」
蒼は小さくうなずく。
「大丈夫だ」
優しく、でも確かに。
「今、ちゃんと生きてる」
少年の目が揺れる。
蒼は続ける。
「怖いよな」
少年がうなずく。
蒼も、うなずく。
「俺も、ここで泣いたことある」
少年が顔を上げる。
「でもな」
蒼は、少し笑う。
「終わりじゃなかった」
春は、ちゃんと来た。
何度も。
その夜。
家に帰ると、娘が眠っていた。
小さな寝息。
蒼はそっと頬に触れる。
「今日も更新」
私は後ろから抱きしめる。
「お疲れさま」
蒼は静かに言う。
「なあ」
振り返る。
「俺、やっと分かった」
「何が?」
蒼は娘を見る。
そして私を見る。
「あの赤いランプさ」
少し笑う。
「春の前触れだった」
胸が熱くなる。
「絶望じゃなかった?」
蒼は首を振る。
「違った」
「始まりだった」
あの日、怖くて、泣いて、震えて。
でも。
逃げなかった。
隣に座った。
命と向き合った。
だから今がある。
数年後。
娘は小学校に入学する。
桜が舞う校門。
蒼が写真を撮る。
右手は、まだ少し震える。
でも。
その震えは、もう恥じゃない。
生きてきた証。
戦ってきた証。
娘が言う。
「ぱぱ、泣いてる?」
蒼は笑う。
「花粉」
でも目は赤い。
私は知っている。
蒼が泣いている理由を。
更新は、止まらない。
命は、続いていく。
赤いランプも、きっとこれからも点く。
でも。
その向こうに春があることを、私たちは知っている。
蒼が空を見上げる。
青く澄んだ春空。
「終わらないな」
私は手を握る。
「うん」
「春は、終わらない」
命がつながる限り。
誰かが隣に座る限り。
怖くても、震えても、それでも生きると選ぶ限り。
物語は、続いていく。
赤いランプの向こう側で。
何度でも。
何度でも。
春は、来る。
――第3章・完。




