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『君がいない春に、桜は咲かない』  作者: 優貴(Yukky)


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第3章・第9話 『それでも、生きていく』

娘が二歳になった春。

よく走り、よく笑い、よく転ぶ。

蒼はその後ろを、少し大げさなくらい追いかける。

「待て待て待て!」

公園中に響く声。

右手は今も少し震える。

でも、娘の小さな背中を支えるとき、その震えは気にならない。

そんなある日。

蒼の定期検査で、ひとつの影が見つかった。

「念のため、精密検査を」

医師の落ち着いた声。

その言葉だけで、世界の音が遠くなる。

帰り道、蒼は何も言わない。

手だけが、少し冷たい。

夜。

娘が寝たあと。

リビングで、二人きり。

「……怖いな」

蒼がぽつりとこぼす。

その声は、あの日と同じだった。

私は隣に座る。

「うん」

否定しない。

強がらない。

蒼が続ける。

「また、赤いランプ見上げるかもって思った」

目を伏せる。

「やっと越えたと思ったのに」

胸が締めつけられる。

私は、蒼の震える右手を包む。

「越えたよ」

静かに言う。

「何回も」

蒼は小さく笑う。

「更新、止まるのかな」

その言葉に、涙がにじむ。

でも、私は首を振る。

「止まらない」

「もし何かあっても?」

蒼が聞く。

私は少し考えて、答える。

「それでも、生きていく」

蒼が顔を上げる。

「あなたが教えてくれた」

赤いランプの前で、立ち尽くさなかったこと。

怖くても逃げなかったこと。

それは、もう蒼の中にある。

精密検査の日。

私は娘を連れて待合室に座る。

娘は無邪気に絵本をめくる。

その横で、私の心臓はうるさいくらい鳴っている。

診察室の扉が開く。

蒼が出てくる。

表情は――読めない。

一歩、二歩。

そして。

親指を立てる。

「影、誤診だった」

力が抜ける。

涙が一気に溢れる。

蒼が、少し笑う。

「びびりすぎ」

声は震えている。

「俺もな」

二人で、笑いながら泣く。

娘が首をかしげる。

「ぱぱ?」

蒼がしゃがみこみ、抱きしめる。

「更新」

娘は意味も分からず笑う。

帰り道。

病院の廊下の奥で、赤いランプが一瞬点く。

私は、反射的に見る。

蒼も見る。

でも、立ち止まらない。

蒼が言う。

「また誰かが、戦ってる」

小さく息を吐く。

「俺、行ってくる」

仕事の顔。

私はうなずく。

「いってらっしゃい」

蒼は走る。

かつて怯えた光のほうへ。

今は、守るために。

夜。

娘を寝かせたあと、蒼が言う。

「なあ」

天井を見上げる。

「いつか本当に止まる日が来ても」

私は、そっと見る。

蒼が続ける。

「今日みたいに、ちゃんと怖がって、ちゃんと笑えたらいいな」

私は、手を握る。

「一緒にね」

蒼が微笑む。

「春、まだ来るな」

私はうなずく。

「何度でも」

命は有限だ。

それでも。

だからこそ、今日が尊い。

赤いランプは消えない。

でも、その向こう側に歩いていける。

蒼はもう、あの日の少年じゃない。

父であり、夫であり、誰かの支えだ。

そして。

それでも、一人の人間として、ちゃんと怖がれる。

それが、強さだった。

春は、また来る。

たとえ何度影が差しても。

私たちは、生きていく。

更新しながら。

――つづく。

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