第3章・第8話 『赤いランプの向こう側へ』
娘が一歳半になった頃。
蒼の元に、一通の手紙が届いた。
差出人の名前を見て、蒼は少し驚く。
三年前――
赤いランプの前で泣いていた、あの中学生の女の子だった。
封を開ける手が、わずかに震える。
手紙には、こう書いてあった。
あのとき隣に座ってくれて、ありがとうございました。
お父さんは助かりました。
今はリハビリ中です。
私、将来、医療の仕事に就きたいです。
蒼は、しばらく動かなかった。
目が潤む。
「……助かったって」
かすれた声。
私はうなずく。
「バトン、つながってるね」
蒼は、何度も手紙を読み返した。
数日後。
蒼は言った。
「会いに行こうと思う」
娘をベビーカーに乗せ、三人で病院へ向かう。
あの廊下。
何度も立った場所。
何度も見上げた場所。
赤いランプは、今日は消えている。
女の子と、その父親が待っていた。
少し痩せたけれど、確かに生きている姿。
蒼は深く頭を下げられる。
「あなたがいなかったら、娘は壊れていました」
父親の声は震えている。
蒼は首を振る。
「俺も、同じでした」
静かな笑顔。
「隣に座っただけです」
女の子が、娘を見つめる。
「かわいい」
蒼は照れくさそうに笑う。
「更新の証拠」
みんなが少し笑う。
帰り際。
女の子が言った。
「私、あの赤いランプ、今も怖いです」
蒼はうなずく。
「俺も」
正直な答え。
「でもさ」
ゆっくり続ける。
「怖い場所が、誰かの始まりになることもある」
女の子の目が揺れる。
「俺、あそこから全部始まった」
病気も。
夢も。
今の家族も。
蒼は娘を抱き上げる。
震える右手で、しっかりと。
「怖いけど」
笑う。
「終わりじゃなかった」
その夜。
家に帰り、娘を寝かせる。
小さな寝息。
蒼は窓の外を見る。
遠くに、病院の灯り。
「あのランプさ」
ぽつり。
「俺の敵だと思ってた」
私は隣に立つ。
「今は?」
蒼は少し考える。
「スタートライン」
胸がじんわり熱くなる。
「二回目も、三回目も、あそこから始まった」
蒼が、私を見る。
「お前と結婚したのも」
娘を見つめる。
「この子が生まれたのも」
小さく笑う。
「全部、あの夜の続き」
私は、そっと言う。
「越えたね」
蒼はうなずく。
「やっとな」
翌朝。
娘が目を覚まし、蒼に両手を伸ばす。
「ぱぱ!」
蒼が抱き上げる。
「おはよう」
震える右手を、小さな手が包む。
過去は消えない。
傷も消えない。
赤いランプも、これからも点くだろう。
でも。
もう、飲み込まれない。
あの光の向こう側に、春があると知っているから。
蒼が、娘の額にキスをする。
「次はどんな更新だ?」
私は笑う。
「一生分」
命はつながり、
バトンは渡り、
物語は続いていく。
赤いランプの向こう側へ。
私たちは、もう歩いていける。
――つづく。




