第3章・第7話 『パパと呼ばれる日』
娘が一歳を迎えた。
小さな靴。
よちよち歩き。
転んでは泣き、すぐに立ち上がる。
蒼は、そのたびに胸を押さえる。
「心臓もたない」
本気で言う。
誕生日当日。
小さなケーキ。
ろうそくは一本。
娘は意味も分からず手を叩く。
蒼が、写真を撮りながら言う。
「一年前、産声で泣いてたのに」
目が潤んでいる。
「成長、早すぎ」
私は笑う。
「更新スピード早いね」
蒼がうなずく。
「親、置いてかれてる」
その夜。
娘が、ふと蒼を見て声を出した。
「……ぱぱ」
時間が止まる。
蒼が固まる。
「え?」
娘が、もう一度。
「ぱぱ」
はっきり。
蒼の目から涙が一気に溢れた。
「今の」
声が震える。
「今の聞いた?」
私は笑いながら泣く。
「うん」
蒼が、娘を抱き上げる。
震える右手で、しっかりと。
「もう一回言って」
必死。
娘は笑うだけ。
それでも蒼は、泣きながら笑っている。
夜、娘が寝たあと。
蒼は静かに言った。
「俺さ」
天井を見つめる。
「パパって呼ばれる未来、想像してなかった」
胸がきゅっとする。
「病室でさ」
赤いランプの前。
「自分が大人になるとか、結婚するとか、子どもできるとか」
首を振る。
「考えられなかった」
私は、そっと手を握る。
「今は?」
蒼は少し笑う。
「贅沢すぎる」
その言葉に、涙が出る。
数日後。
蒼の定期検査の日。
私は久しぶりに緊張していた。
娘を抱え、待合室に座る。
蒼が診察室から出てくる。
顔は、穏やか。
親指を立てる。
「更新」
ほっとする。
娘が、両手を伸ばす。
「ぱぱ!」
蒼が駆け寄る。
抱き上げる。
「ただいま」
その声は、父親の声だ。
不安も、傷も、全部抱えたまま。
でも、立っている。
帰り道。
病院の廊下の奥に、赤いランプが見えた。
点いている。
蒼は一瞬見る。
そして、娘を見る。
「大丈夫」
小さく言う。
「俺、逃げない」
かつて救われた命は、
今、呼ばれている。
“パパ”と。
その二文字は、蒼にとって何よりの証明だった。
生き延びた意味。
つながった未来。
命は、ちゃんと続いている。
春は、また来る。
呼び声と一緒に。
――つづく。




