第3章・第3話 『赤いランプの夜に』
妊娠七か月。
お腹は、もうはっきりと丸い。
赤ちゃんはよく動く。
蒼は、そのたびに嬉しそうに笑う。
「元気だな」
震える右手を、そっと当てる。
「強い子だ」
でも、その夜。
その強さが、突然不安に変わった。
夕食後。
急に、お腹が強く張った。
いつもと違う痛み。
息が詰まる。
「蒼……」
声が震える。
蒼はすぐに気づいた。
顔色が変わる。
「病院行く」
迷いがない。
バッグを掴み、私を支える。
その腕は、あの日と同じ。
必死で、でも確かに強い。
夜の病院。
消毒液の匂い。
白い廊下。
嫌な記憶が、胸をかすめる。
診察室へ。
エコー。
医師の表情は読めない。
沈黙が、長い。
蒼の手が、ぎゅっと強くなる。
震えが、少し大きい。
そして。
医師が口を開く。
「切迫早産の可能性があります」
頭が真っ白になる。
「今夜は入院しましょう」
その言葉で、現実に引き戻される。
蒼の顔が、青い。
病室に運ばれたあと。
蒼は何も言わない。
ただ、ベッドの横に立っている。
ふと、窓の外を見ると――
廊下の奥。
赤いランプが点いた。
心臓が凍る。
あの光。
あの日と同じ。
蒼も気づく。
一瞬だけ、息が止まる。
目が、あの頃の蒼に戻りかける。
私は、震える声で言う。
「蒼」
視線が合う。
「大丈夫」
言い聞かせるように。
「今回は、私たちが中にいる」
蒼の目が揺れる。
赤いランプは、まだ点いている。
でも。
蒼は目を逸らさない。
ゆっくり、私の手を握る。
「俺さ」
かすれた声。
「ここ、嫌いだった」
正直な告白。
「でも」
一歩、ベッドに近づく。
「今は違う」
赤い光を見たまま言う。
「ここで、守る」
その言葉に、涙が溢れる。
深夜。
張り止めの点滴が始まる。
赤ちゃんの心拍は、安定している。
モニターの音が、規則的に響く。
トクン。
トクン。
トクン。
蒼は、その音に耳を澄ませる。
「あの日」
ぽつりと言う。
「俺の心拍も、あんな音だったんだよな」
私はうなずく。
「戻ってきた音」
蒼が、そっと笑う。
「じゃあ」
私を見る。
「この子も、絶対戻す」
強い目。
怖さを抱えたままの強さ。
赤いランプが、ふっと消えた。
廊下が静かになる。
蒼は、深く息を吐く。
「なあ」
私の額に触れる。
「春、何回目だ?」
涙がこぼれる。
「分かんない」
蒼が笑う。
「じゃあ、また更新だ」
朝。
医師が言った。
「一時的な張りです。安静にすれば大丈夫でしょう」
体から力が抜ける。
蒼の目から、静かに涙が落ちる。
何度も、何度も乗り越えてきた。
赤いランプの向こう側。
今度は、逃げなかった。
守る側として、立っていた。
窓の外に、朝日が差し込む。
春は、まだ続いている。
三人分の未来は、ちゃんと息をしている。
蒼が、お腹にそっと話しかける。
「強いな」
少し震える声で。
「でも、焦んなよ」
私は笑う。
「パパに似たら、無理するかも」
蒼が苦笑する。
「それは困るな」
赤いランプの夜を越えた。
もう、あの光に支配されない。
私たちは知っている。
春は、奪われるものじゃない。
取り戻すものだと。
――つづく。




