第2章・第10話(2章最終話) 『春は、何度でも来る』
あれからさらに一年。
蒼は、相変わらず忙しい。
患者支援コーディネーターとして働きながら、夜は大学院で学び続けている。
再発は――ない。
定期検査は続いているけれど、数値は安定している。
「今回も更新」
検査結果を見て、蒼が笑う。
もうその言葉は、冗談じゃない。
生きている証明だ。
春。
あの病院の前の桜が満開だった。
蒼が言う。
「ちょっと付き合って」
連れて行かれたのは、あの廊下。
赤いランプを見上げた場所。
静かな夕方。
ランプは消えている。
穏やかな光だけが差し込んでいる。
蒼が、ゆっくり息を吸う。
「ここでさ」
右手を見る。
少し震えている。
でも、逃げない。
「俺、二回死にかけた」
胸が締めつけられる。
「怖かった」
正直な声。
「あのとき、お前いなかったら」
言葉が詰まる。
「たぶん、途中で諦めてた」
涙がにじむ。
私は首を振る。
「蒼が頑張ったんだよ」
蒼は、首を横に振る。
「一人じゃ無理だった」
静かに続ける。
「赤いランプの前で、何回も立ってくれた」
私の目から涙が落ちる。
「泣き虫だったのに」
「うるさい」
笑いながら、泣く。
蒼が、ポケットに手を入れる。
小さな箱。
心臓が止まりそうになる。
蒼が、深呼吸する。
「なあ、美桜」
声が少し震えている。
「俺、完璧じゃない」
右手を見せる。
震えている。
「傷だらけだし、いつ何があるか分からない」
一歩、近づく。
「でも」
目が、まっすぐ。
「あの日、春を諦めなかった」
箱を開く。
小さな指輪。
「これから先も、何回でも春を迎えたい」
涙で視界が滲む。
蒼が言う。
「俺と、更新し続けてくれませんか」
嗚咽が漏れる。
返事なんて、一つしかない。
「はい」
声にならない。
でも、ちゃんと届いた。
蒼が笑う。
あの頃と同じ笑顔。
でも、もっと強い。
指輪をはめるとき、少し手が震える。
「貸せ」
私がそっと支える。
二人で、はめる。
完璧じゃない。
でも、それでいい。
そのとき。
遠くで、赤いランプが一瞬だけ点いた。
私は、思わず見る。
蒼も見る。
でも。
今は、立ち尽くさない。
蒼が言う。
「行こう」
私はうなずく。
二人で、廊下を歩き出す。
怖さは消えない。
未来の保証もない。
でも。
春は、一度きりじゃなかった。
何度も、何度も取り戻した。
だからきっと。
これからも。
桜の花びらが舞う。
蒼が、私の手を握る。
震えている。
温かい。
確かな鼓動。
命のリズム。
春は、何度でも来る。
そして私たちは、そのたびに更新する。
――終わり。




