第2章・第9話 『あの廊下の、その先で』
――三年後。
春。
あの日、赤いランプを見上げた病院の廊下を、
今は別の形で歩いている人がいる。
「大丈夫ですよ」
落ち着いた声。
名札には、
支援コーディネーター 神崎 蒼
白衣ではない。
けれど、胸を張っている。
蒼の右手は、少しだけ震える。
完全には治らなかった。
細かい作業は今でも難しい。
でも。
誰かの手を握ることは、できる。
それで十分だった。
あの日のように、赤いランプが点いている。
廊下の端で、泣きそうな顔の中学生の女の子。
蒼は、ゆっくり隣に座る。
「家族?」
女の子がうなずく。
「怖いよね」
その言葉に、女の子の目から涙がこぼれる。
蒼は知っている。
あの冷たい光。
時間が止まる感覚。
何もできない無力さ。
「でもね」
蒼は静かに言う。
「戻ってくること、あるんだ」
女の子が顔を上げる。
蒼は少しだけ笑う。
「俺、二回戻ってきた」
強がりじゃない。
事実。
女の子が、小さく息を吸う。
「ほんと?」
「ほんと」
震える右手で、ハンカチを差し出す。
「だから、信じよ」
あの頃、言えなかった言葉。
今は言える。
病院の外。
私は待っている。
桜が咲いている。
蒼が出てくる。
スーツ姿。
少し大人になった顔。
それでも、笑い方は変わらない。
「今日も更新」
私は笑う。
「何回目?」
「分かんね」
肩をすくめる。
でも、目は優しい。
「なあ、美桜」
「なに?」
蒼は少し真面目な顔になる。
「俺さ」
右手を見る。
「この手、嫌いだった」
胸がきゅっとする。
「でも今は」
ゆっくり言う。
「この震えがあるから、隣に立てる」
私は何も言えない。
ただ、涙が溢れる。
そのとき。
救急車のサイレンが鳴る。
蒼が一瞬だけ、空を見る。
あの日の自分を思い出しているのが分かる。
でも。
目を逸らさない。
「行ってくる」
仕事の顔。
私はうなずく。
「いってらっしゃい」
蒼が走る。
完全じゃない足取り。
でも、迷いはない。
赤いランプは、今日もどこかで点く。
泣いている誰かがいる。
でも。
その隣に、蒼はいる。
かつて救われた少年は、
今、誰かの支えになっている。
命は、続いている。
物語は、終わりに近づく。
でも――
まだ一つ、言っていない言葉がある。




