第2章・第5話 『距離を置く理由』
七月。
蒼の検査数値が、また揺れた。
「すぐに再発という数値ではありません」
医師は同じ言葉を繰り返す。
でも今回は、少し間があった。
その“間”が怖い。
蒼は帰り道、ずっと無言だった。
私は隣を歩く。
何か言わなきゃと思うほど、言葉が出ない。
改札前で、蒼が立ち止まる。
「なあ」
視線を合わせないまま。
「ちょっと距離、置かない?」
世界が、一瞬止まる。
「……え?」
やっと声が出る。
蒼は苦しそうに笑う。
「別れたいとかじゃない」
余計に分からない。
「じゃあ何?」
蒼は深く息を吸う。
「また何かあったらさ」
胸が冷える。
「美桜の時間、止めたくない」
その言葉は優しさで、残酷だった。
「俺が入院とかになったら」
「やめて」
反射的に言う。
蒼は続ける。
「今度は、美桜の夢、邪魔したくない」
教育実習の話を、最近よくしていた。
将来の話もしていた。
だからこそ。
蒼は怖くなったのだろう。
「俺、足枷になりたくない」
足枷。
その言葉が、胸を刺す。
私は首を振る。
「勝手に決めないで」
声が震える。
「私は、選んでここにいる」
蒼が黙る。
「蒼が倒れたときも」
喉が詰まる。
「更新するって言ったよね?」
蒼の目が揺れる。
「言った」
「じゃあ、勝手に契約終了しないで」
少し笑って言うつもりが、涙が先に出る。
蒼は目を伏せる。
「怖いんだよ」
やっと出た本音。
「またICUとか、赤いランプとか」
声がかすれる。
「美桜があんな顔するの、もう見たくない」
胸がぎゅっと縮む。
「私も見たくないよ」
正直に言う。
「でも、見ないために離れるのは違う」
沈黙。
駅のアナウンスだけが響く。
「蒼」
一歩近づく。
「未来は保証されてない」
「うん」
「でも、今はある」
蒼の手を取る。
「今を減らす理由にならない」
蒼の指が、震えながら私を握り返す。
「……ずるい」
「なにが?」
「その理屈」
少し笑う。
涙がにじむ。
「じゃあこうしよ」
蒼を見る。
「距離は置かない」
蒼が息を止める。
「でも」
「でも?」
「お互い無理はしない」
約束のように言う。
「倒れそうなときは言う」
「……うん」
「怖いときも言う」
蒼がゆっくりうなずく。
「言う」
「勝手に守ろうとしない」
蒼が小さく笑う。
「守りたいんだよ」
「一緒に守るの」
その言葉で、蒼の目から涙がこぼれた。
人前で泣くの、初めて見た。
「ほんと、敵わない」
かすれた声。
「距離、置かない」
はっきり言う。
「置く気なくなった」
私は泣きながら笑う。
「更新成功」
蒼が笑う。
「強制アップデートだろ」
改札を抜ける前。
蒼が振り返る。
「なあ」
「なに?」
「足枷じゃないよな?」
私は即答する。
「翼」
蒼が目を見開く。
「重くない?」
「飛べる」
少し沈黙して、蒼が笑う。
「じゃあ、飛ぶわ」
未来はまだ揺れている。
再発の可能性は消えていない。
でも。
距離を置く選択は、しなかった。
怖いまま、隣にいる。
それが、私たちの選んだ第2章。




