第2章・第3話 「はじめての喧嘩」
六月の雨は、やたらと長い。
蒼は検査後、アルバイトを始めた。
「体力つけたいし」
そう言って、無理のない時間帯で塾講師をすることになった。
最初は、応援していた。
でも。
講義終わりに会う時間は減った。
メッセージの返信も遅くなる日が増えた。
“既読”のまま、数時間。
それだけで、不安が膨らむ。
また倒れてない?
無理してない?
でも聞きすぎるのも、縛るみたいで怖い。
ある日。
約束していたカフェ。
三十分過ぎても来ない。
電話も出ない。
胸がざわつく。
嫌な想像が、勝手に広がる。
ようやく蒼が現れたのは、一時間後だった。
「ごめん、授業長引いた」
息を切らしている。
でも私は、笑えなかった。
「連絡くらいしてよ」
思っていたより、きつい声が出た。
蒼が少し驚く。
「悪いって」
「悪いじゃなくて」
止まらない。
「倒れたのかと思った」
周りの視線が気になる。
蒼は眉を寄せる。
「毎回そんな顔すんなよ」
その一言で、空気が変わる。
「そんな顔って?」
「俺がどっか行く前提みたいな」
胸が刺さる。
「違う」
「違わないだろ」
声が低くなる。
「俺だって普通に生活したい」
言い返せない。
でも、怖い。
「普通にしてて、倒れたじゃん」
言ってしまった瞬間、後悔する。
蒼の目が揺れる。
「……それ言う?」
沈黙。
雨音だけが聞こえる。
蒼は小さく息を吐く。
「ごめん。今日は帰る」
背中を向ける。
私は立ち尽くす。
追いかけられない。
その夜、眠れなかった。
言い過ぎた。
でも、怖かった。
好きだから怖い。
失いたくないから、縛りそうになる。
翌朝、スマホに通知。
《昨日はごめん》
短い。
私はすぐに電話をかけた。
蒼が出る。
「おはよ」
少し掠れた声。
「昨日、ごめん」
同時に言って、少し笑う。
「俺、ムキになった」
蒼が言う。
「普通でいたいのに、普通じゃないの思い出させられて」
胸が痛む。
「でもさ」
続ける。
「美桜が怖いの、分かる」
私は泣きそうになる。
「怖いよ」
素直に言う。
「毎回、何かあるんじゃないかって」
長い沈黙。
「俺も怖い」
蒼の声が震える。
「でも、ずっと“患者”でいたくない」
その本音が、重い。
私は深呼吸する。
「じゃあさ」
ゆっくり言う。
「患者じゃなくて、彼氏として扱う」
蒼が小さく笑う。
「どう違うんだよ」
「連絡はちゃんとする」
「それは普通に守るわ」
「無理してたら怒る」
「それも普通だな」
少し、空気がやわらぐ。
「でも」
私は言う。
「倒れたら全力で心配する」
蒼が笑う。
「それは止めらんねえな」
雨が止んで、光が差す。
「なあ」
蒼が言う。
「喧嘩できるって、いいな」
意外な言葉。
「なんで?」
「本気で続く前提じゃないと、ぶつかれないだろ」
胸が温かくなる。
「更新中だから」
私が言うと、
「またそれか」
蒼が笑う。
「じゃあさ」
少し照れくさそうに。
「更新祝いに、デートしよ」
「何それ」
「ちゃんと普通のやつ」
映画館とか、ショッピングモールとか。
病院じゃない場所で。
未来の話をする場所で。
私はうなずく。
「うん」
好きは、優しいだけじゃない。
ぶつかって、泣いて、
それでも離れないって選ぶこと。
それが第2章。
雨上がりの空は、少しだけ明るい。
不安は消えない。
でも、手は離さない。
喧嘩しても、更新は止まらない。




