第16話 魔道研究開発の開始と技術者の涙
ルベリット男爵家の屋敷、その地下にある埃を被った倉庫。
そこが、今日から我が領地の『中央魔導研究所(仮)』となった。
備え付けの机には、私が市場で買い集めた最低限の触媒と、魔導具師カイルが私物の袋から取り出した、使い古されて傷だらけの測定器が並んでいる。
「……信じられない。本当に、好きに使っていいのですか? この予算も、この場所も」
カイルはまだ、夢でも見ているかのように周囲を見回していた。
彼の指先は、実験用の魔石に触れるのを躊躇うように震えている。
「当然よ、カイル。あなたは私の『開発担当』なんだから。……いい? 設備投資をケチる経営者は三流よ。あなたが素晴らしい『製品』を作れば、それは将来的に数倍の利益になって戻ってくるんだから。これは必要経費よ、気にする必要はないわ」
私は、踏み台の上に乗って、カイルにノート――私が自作した『魔法構造解析マニュアル』を手渡した。
「さて、オリエンテーションは終わり。さっそく実務に入りましょう。……まずは、私が銀糸麦に使った魔法『ハイ・アクセラレート』の構造を、あなたの魔導具に落とし込むための『仕様書』を書いてきたわ」
「し、しようしょ……? ……なっ、なんだ、この記述は……!?」
カイルがノートを開いた瞬間、その絶叫が地下室に響いた。
無理もない。そこには、この世界の魔導書にあるような詩的な詠唱など一行も書かれていない。
代わりに並んでいるのは、魔力の流動をグラフ化した設計図と、条件分岐(if文)を多用した、極限まで論理化された「魔法のソースコード」だ。
「カイル、魔法は『祈り』じゃない。『記述』なの。魔力を波形として捉えて、植物の細胞周期に同調させる。このタイミングを〇・〇一秒でも外すとエラー(枯死)になるわ。……さあ、やってみて」
「……。……。……は、はいっ!」
そこから、地獄……もとい、充実した「深夜の共同開発」が始まった。
★
一時間経過。
カイルは額に汗を浮かべ、必死に魔導ペンを走らせていた。
彼の役割は、私の脳内にある複雑な魔法式を、誰でも使える「魔導具」へと変換すること。だが、私の魔法の処理速度が速すぎて、彼の理解が追いつかない。
「お、お嬢様……。この魔力の折り返し(ループ処理)の部分ですが、私の魔導回路では負荷が強すぎて、パーツが焼き切れてしまいます!」
「あ、ごめんなさい。メモリの管理(リソース配分)が甘かったわね。……ここ、ガベージコレクションを挟んで、不要な魔力残滓をリアルタイムで廃棄するように書き換えて。ほら、指をこう動かして――」
「ひぃ……!? 指が、指が追いつかない! なんて精密な……!!」
三時間経過。
カイルの目は、徹夜明けのプログラマーのように充血し始めていた。
普通の人間なら、脳の疲労で発狂してもおかしくない密度の情報量だ。だが、私の「三時間睡眠でフルチャージされた脳」は、止まることを知らない。
「カイル、集中して。ここの変数がズレると、麦が爆発するバグが出るわよ」
「は、はい……! ……。……くっ、でも、お嬢様。これ、凄すぎます……。王立魔導院で『不可能』と断じられた魔法の自動化が、今、私の手の中で形になっていく……。この数時間で、私は一生分を上回る知識を得ている……!」
彼は指先を震わせながらも、歓喜に震えていた。
技術者にとって、自分の理論が証明され、さらにその先を見せられることほど、興奮する経験はない。
そして。
時計の針が、深夜四時を回った頃。
私は彼の肩を叩いた。
「はい、定時よ。カイル、作業を中断して。寝なさい」
「……え? な、何をおっしゃるのですか! 今、一番いいところなんです! この回路を繋げれば、ついに試作一号機が――」
「ダメよ。労働基準法(ホワイト領地宣言)を忘れたの? 集中力の落ちた作業は、バグの温床よ。……あなたはこれから『八時間』寝て。これは命令(業務命令)よ」
「は、八時間も……? そ、そんなに休んでいいのですか?」
カイルが信じられないものを見るような目で私を見た。
王立魔導院時代、彼は「結果を出せない無能」として、連日連夜の雑用に追われ、床の上で二、三時間仮眠するのが精一杯だったという。
それを、こんな最高に刺激的な研究の最中に「たっぷり寝ろ」と言われる。
「お嬢様……。あなたは、私にこんな素晴らしい環境を与えてくださって、その上、私の体まで気遣ってくださるというのですか……?」
「当然でしょう。あなたはルベリット領の大事な『資産』なのよ。壊れたら代わりがいないんだから」
私が当たり前のことを告げると、カイルは突然、顔を覆って泣き崩れた。
「…………。…………。ああ……ああああ…………っ!」
「えっ、ちょ、ちょっと!? カイル? どこか痛むの? 魔法回路の過熱!?」
「いいえ……いいえ、違うんです……!! 嬉しいんです……幸せなんです……!!」
カイルは嗚咽を漏らしながら、床に膝をついた。
「魔導院では、私の理論はゴミだと笑われました。誰も私の話を聞かず、ただ便利な道具のように扱われ、眠る暇も、食事をする暇も与えられず……。……でも、ここでは……。こんなに、こんなに研究に打ち込める環境があって……。お嬢様は私の目を見て、対等な技術者として扱ってくださる……。おまけに、八時間も眠っていいなんて……! ここは、ここは天国ですか!? 聖域なのですか!?」
「(……えええ、八時間寝るだけで天国扱い? この世界の労働環境、どんだけ暗黒なのよ……)」
私は戦慄した。
前世の私の会社だって、さすがに椅子で三時間は寝られた。
どうやら、私は知らず知らずのうちに、世界一ホワイトな職場(※リリア基準)を作ってしまったらしい。
「わかったから、泣かないで。……ほら、クロ。彼のメンタルケア(福利厚生)をお願い」
「……ふん。世話が焼けるな。……おい、カイル。俺の腹の毛で涙を拭け。特別だぞ。……あ、おい! 鼻水を付けるなよ! 伝説の厄災獣の威厳に関わるだろうが!」
クロが文句を言いながらも、カイルの足元に体を擦り寄せる。
カイルはクロのフワフワな毛に顔を埋め、さらに号泣した。
「ああああ……伝説の魔獣様にまで優しくされるなんて……!! 私、私、一生……一生この領地のために、お嬢様のために、この命を……魂を捧げます……!!」
「命は捧げなくていいから、納期を守ってちょうだい」
私は苦笑いしながら、彼の背中を優しく叩いた。
一人の天才を、ただ「寝ろ」と言っただけで完全に懐柔してしまった。
これもまた、社畜時代の私が喉から手が出るほど欲しかった「理想の上司」としての第一歩……なのかもしれない。
地下室からカイルを(物理的に引きずって)寝室へ追い出した後。
私は一人、月明かりの差し込む窓から領地を眺めた。
「(技術者は確保した。次は……この膨大な利益を管理する『財務官』ね。……そろそろ、王都から『不当解雇』された優秀な人材が流れてくる頃かしら?)」
三時間睡眠の幼女の脳内には、すでに次なる「中途採用計画」が展開されていた。
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