第96話 戦慄の特売日――おばちゃん軍団と魔王軍の攻防
特売日の夕方、スーパーでは安さを求める主婦たちの熱気で溢れかえっていた。
青果コーナーを担当するあっくんは、今日も山積みのキャベツの前で、厳しい検品作業に没頭していた。
「……ふむ。このキャベツ、葉の巻きが甘いな。不合格だ。余の厳しい基準をクリアしたものだけを並べよ」
無骨な手つきで野菜を吟味するあっくんの背後には、彼を遠巻きに見つめるおばちゃんたちの集団がいた。
「ねえ、見て。今日の青果のお兄さん、また一段と気合が入ってるわね」
「あの鋭い目つき、最高にクールだわ。ねえお兄さん、どれが一番美味しいの?」
そう声をかけられると、あっくんは至って真面目な顔で、最高の一玉を差し出した。
「これだ。この重み、そして芯の詰まり具合……これこそが、今夜の食卓の覇者となるだろう」
「まあ! 覇者だなんて、かっこいいわねぇ! 三玉いただくわ!」
おばちゃんたちの勢いに、あっくんは「……うむ。良い判断だ」と満足げに頷いた。
一方、惣菜コーナーのレジでは、ルカが理論に基づいた超高速スキャンを展開していた。
「お客様、こちらのコロッケは他の商品と接触すると衣のサクサク感が五パーセント減少します。袋詰めは僕に任せてください」
「あらぁ、ルカちゃん。今日も頭がいいわね。ねえ、このクーポンも使えるかしら?」
「……条件を確認します。ふむ。期限は昨日までですが、貴女のこれまでの来店頻度を考慮した特別措置を店長に上奏して……」
理屈っぽくも丁寧なルカの対応は、意外にもおばちゃんたちには「しっかりした息子さん」として大好評だった。
そんな兄の横で、リュカは相変わらずふわふわとした空気を纏い、品出しに励んでいた。
「あ、お客様……その棚の高いところにあるジャム、僕が取りますね……はい、どうぞ。落とさないように気をつけてください……」
「あら、リュカちゃん。ありがとうねぇ。本当にお人形さんみたいに可愛いわ」
リュカが微笑むだけで、おばちゃんたちは「もう一瓶買っちゃおうかしら」とカゴを埋めていく。リュカは意図せずして、店の売上に多大な貢献をしていた。
そこへ、事務作業を終えて売り場に出てきた真帆が通りかかった。彼女は眼鏡の位置を直し、テキパキと指示を出す。
「はいはい、そこの兄弟、おしゃべりしてないで。おばちゃんたちも、彼らを独り占めしたら他の人が困っちゃうでしょ?」
真帆が冗談めかして割って入ると、おばちゃんたちは「真帆さんには敵わないわね」と笑いながら散っていった。
真帆は、この個性の強い三人を手玉に取る「スーパーの女帝」として、周囲から一目置かれていた。
「……真帆さん。僕は不適切な対話はしてないです。あくまで業務の一環として……!」
「はいはい、わかったから。ルカくんは、まずその真っ赤な顔をどうにかしなさい」
真帆がルカの耳たぶを指先で軽く弾くと、ルカは「くっ……!」と呻いて沈黙した。
その時、キャベツコーナーから「ぬんっ!」という凄まじい気合の声が聞こえた。
見れば、あっくんがおばちゃんたちに囲まれ、カボチャの解体を頼まれていた。
「お兄さん、このカボチャ硬くて切れないのよ。お願いできる?」
「承知した……余の筋力、カボチャ如きに屈せぬ!」
あっくんが渾身の力で包丁を振り下ろした瞬間、あまりの気合に上半身の筋肉が膨張し、バイト制服のエプロンが「パァァン!」と景気よく弾け飛んだ。
「「「キャーーー! 素敵ーーー!!」」」
スーパー内に、黄色い声が響き渡る。
半裸に近い状態で「……店長、予備を要求する」と堂々と告げるあっくん。
その光景を遠くから目撃したみのりは、カゴに入れていた特売の牛乳を落としそうになりながら、深い溜息をつくのだった。
◇
食卓を囲む一同の顔は、どこか神妙だった。
特にあっくんは、みのりが用意した予備のTシャツに着替え、腕組みをしたまま動かない。その前には、なみなみと注がれたシチューが置かれている。
「……まずは、店長に謝りなさい。あっくん、エプロンを何枚もダメにするなんて、どういうつもり?」
みのりがスプーンを置いて切り出すと、あっくんは気まずそうに視線を逸らした。
「……不可抗力だ。カボチャという敵が思いのほか強固だったのと、おばちゃんたちの声援が余の闘争本能を刺激したのだ……筋肉が勝手に膨張した」
「筋肉は勝手に膨張しません」
隣でシチューのジャガイモを理論的に小さく切り分けていたルカが、冷淡に指摘した。
「アークロン様、公共の場での露出は公序良俗に反します。とはいえ僕も、おばちゃんたちに飴玉をポケットいっぱいに詰め込まれてレジの回転効率を著しく阻害されました……これは魔王軍の規律として看過できません」
ルカのポケットからは、今もピーナッツ飴や黒飴が顔をのぞかせている。
「ルカくん、しどろもどろだったじゃない。真帆さんに耳を触られて、顔が林檎みたいになってたのはどこの誰かしら?」
みのりがニヤリと笑って突っ込むと、ルカの動きがピタリと止まった。
「……あれは、その、真帆さんの不意打ちによる精神汚染の結果であり……」
「兄さん、耳まで赤くなってますよ……僕は、おばちゃんたちが『このお野菜、リュカちゃんみたいに色が白くて綺麗ねぇ』って、たくさんカゴに入れてくれたのが嬉しかったです」
リュカはどこか満足げな表情で人参を頬張っている。
色白でどこか儚げなリュカは、おばちゃんたちにとって「守ってあげたい綺麗な男の子」として、高級なホワイトアスパラや白菜のような扱いを受けていたらしい。
「……みんな、この世界で一生懸命働いてくれるのは嬉しいけど、あんまり目立ちすぎないでね。特にあっくん。次はエプロンじゃなくて、お店の備品を壊しそうなんだもん」
「……善処しよう。だが、あの店長という男、余の働きぶりに免じてエプロン代は給料天引きで良いと言っていたぞ。寛大な男だ」
「それはね、あっくんがいるとおばちゃんたちの客足が三倍になるからよ……」
みのりは溜息をつき、おかわりの鍋を差し出した。
そんなやり取りを、テーブルの端でシチューをフーフーしながら聞いていたタヌロフが、羨ましそうに声を上げる。
「羨ましいたぬー! タヌロフもスーパーに行って、おばちゃんたちにメンチカツとか貰いたかったたぬ!」
「タヌロフ、貴様はダイエット中だ。余たちの戦場を、餌場と勘違いするな」
「殺生たぬー!」
反省会とは名ばかりの、賑やかで温かい夕食。
筋肉痛の痛みも、バイトの疲れも、この白いシチューの優しさに溶けて消えていくようだった。




