第93話 秀才側近の計算違い? ――ルカの「完璧な」エスコートと、真帆の微笑み
オフィス街から少し離れた、落ち着いた雰囲気の並木道。
仕事帰りの真帆の隣を歩くのは、ルカだった。
中性的で透き通るような端正な顔立ち。柔らかい空色をした瞳には、常に周囲を鋭く分析する理知的な光が宿っている。
「真帆さん、本日の業務進捗はこれで全て完了ですね。お疲れ様でした」
ルカは真帆の歩幅に完璧に合わせながら、手慣れた様子で彼女のバッグを預かっている。
「ふふ、ありがとうルカくん。いつもスマートね」
「当然です。アークロン様の右腕として、随行する方の負担を最小限に抑えるのは、僕にとっての『基本』ですから」
ルカは淡々と、しかしどこか誇らしげに胸を張った。
彼はリュカのように「なんとなく」で行動はしない。事前に周辺の飲食店を調べ上げ、最短ルートと混雑状況を把握した上で、完璧なデートコースを構築していた。
「……真帆さん。少し冷えてきました。この先の角にあるカフェは、今の時間は非常に静かです。そこで温かい飲み物を摂るのが、現在の貴女にとって最も効率的な休息かと」
「あら、そう? じゃあ、そこに行ってみようかしら」
◇
カフェのテラス席。ストーブの熱が程よく届く場所で、二人は温かいカフェラテを前にしていた。
ルカは真帆の仕草一つひとつを逃さず、砂糖やミルクが必要なタイミングを完璧に予測して動く。
ふと、真帆が眼鏡を指先でクイッと直した。その知的な仕草に、ルカの心拍数がわずかに跳ね上がる。
「……完璧ね。ルカくんって、本当に気が利くのね」
「光栄です。僕はリュカとは違いますから。あのように感情に流され、公共の場で魔力を漏らすような失態は、僕の流儀に反します」
ルカは冷徹に言い放つが、その実、テーブルの下で組んだ指先が少しだけ震えていることに真帆は気づいていた。
理論武装は完璧。けれど、眼鏡の奥にある真帆の瞳に優しく見つめられるたび、彼の「計算」は少しずつ狂い始めていた。
「ねぇ、ルカくん」
「はい、何でしょうか」
「さっきから完璧すぎて、私、なんだか緊張しちゃうわ……もう少し、肩の力を抜いたら?」
そう言って、真帆がルカの手に自分の手をそっと重ねた。
その瞬間、ルカの「完璧な思考回路」が真っ白にフリーズした。
「……!? ま、真帆さん、これは……体温調節の一環、でしょうか」
「いいえ。ただ、こうしたかっただけよ」
真帆がいたずらっぽく、大人びた余裕で微笑む。
ルカの頬が、見る間に朱に染まっていく。知性で固めた仮面が、一気に剥がれ落ちた。
「……くっ……計算外、です。貴女のその……不意の接触の破壊力は、僕のシミュレーションを遥かに凌駕している……」
「ふふ、嬉しいわ」
◇
カフェを出た後、二人は夜の公園を横切る遊歩道を歩いていた。
ルカは真帆の半歩先を歩きながら、周囲の暗がりに不審な気配がないか、鋭い視線を巡らせる。その背中は、魔王の右腕として数々の難局を切り抜けてきた、彼らしい凛とした強さに満ちていた。
「……真帆さん。先ほどのカフェでの動揺、忘れてください。次はもっと、スマートな振る舞いをお見せします」
「ふふ、ルカくん。私はさっきの、顔を真っ赤にしてたルカくんの方が好きよ」
真帆がクスクスと笑いながら、追い抜きざまにルカの腕を指先でなぞる。
ルカは「くっ……」と呻き、足を止めた。
「……貴女は、どうしてそう僕の予測を外すことばかりされるのですか。年上の余裕というやつですか? それとも、眼鏡の奥で僕の混乱を楽しんでいるのですか?」
「さあ、どうかしらね」
街灯の下、真帆が眼鏡の位置を直し、ルカを見上げる。
その知的な眼差しに射抜かれ、ルカは逃げ場を失ったように、背後の木に背を預けた。今度は彼の方が、追い詰められた形だ。
「……認めましょう。僕は、貴女に勝てない」
「あら、勝負してたの?」
「ええ。対等な、あるいは貴女をリードできる男であると証明したかった……ですが、このままでは僕の理性が崩壊する一方です。ですから……」
ルカは一歩踏み出し、逆に真帆の肩を掴んで、背後の木との間に閉じ込めた。
その瞳は真剣そのもので、冗談めいた雰囲気は微塵もない。
「真帆さん。今この瞬間、僕の心拍数は正常値を大幅に逸脱しています……これ以上の対話は、僕の理性を維持する上で極めて非効率的です」
「ルカくん……?」
真帆の余裕が、わずかに揺らぐ。
ルカは彼女の眼鏡をそっと外し、瞳を細めた。
「視界を、僕だけに固定してください……眼鏡がないと、僕の顔以外よく見えないでしょう?」
至近距離。吐息が重なる距離で、ルカは真帆の唇を奪った。
それは、彼女の余裕を強引に奪い去るような、熱く深い口付けだった。
「…………」
唇が離れた後、真帆は頬を染め、視界のぼやけた瞳でルカを見つめていた。
ルカは、外した眼鏡を丁寧に真帆にかけ直してあげると、満足そうにフッと口角を上げた。
「……ふふ。どうやら、心拍数が上がっているのは僕だけではないようですね」
「……ずるいわ、ルカくん」
「計算です、真帆さん」
そう言って、ルカは再び彼女のバッグを持ち、何事もなかったかのように歩き出した。
けれど、その耳たぶが真っ赤に染まっているのを、真帆は見逃さなかった。




