第84話 ぐしゃっとしても、甘さは変わらない――崩れたケーキで恋人公認パーティ
無事公認の恋人となった私とあっくん。
まさか、本当に種族を超えてお付き合いがはじまるなんて、いまだに実感が追いつかない。
胸の奥がふわふわして、足元が少し浮いているみたいで――。
「みのり! こぼれるこぼれる!」
「あっ」
慌てて手元を見ると、ドリッパーから落ちる珈琲がカップを越えて、盛大にあふれていた。
慌てて布巾を掴んで台に広がった珈琲を拭く。
「もう。火傷、気をつけてよね! ……で、ぼーっとしてる理由、当ててあげようか?」
「え、なに、いきなり……」
絵莉は口元を隠しながら、いかにも楽しそうにニヤニヤしている。嫌な予感しかしない。
「あっくんと……恋人になったとかぁ」
「!!!」
思わず固まった私を見て、絵莉は声を立てて笑った。
「あはっ、みのりわかりやす〜」
「ちょ、ちょっと……!」
抗議する間もなく、指でほっぺをつつかれる。
「でもさ、クリスマス前に彼氏とか最高じゃん! 私も、負けてられないわね」
絵莉は珈琲を一口飲んで、少しだけ真面目な顔になる。
「そうだ! 仕事終わったらみのりの家でお祝いしようよ! ケーキ買ってくからさ」
「いいけど……リュカくんに会いたいだけだったりして」
「ぎくっ」
「絵莉もわかりやす〜」
「あははっ」
◇
仕事終わりの道を絵莉と並んで歩く。夕暮れの空気は少し冷たくて、だけど胸の奥は不思議と温かかった。
紙袋の中で、ケーキの箱が小さく揺れるのを確認しながら、私は足取りを緩める。
――そのときだった。
背後から、ずしり、と地面を踏み鳴らす音。
振り返った瞬間、私は息をのんだ。
街灯の明かりの下に現れたのは、岩のような皮膚を持つ巨躯の魔物だった。熊に似た体躯に、額からねじれた角が一本突き出ている。低く唸るたび、空気が震える。
「……う、そ……魔物……!?」
「み、みのり……?」
絵莉の声が震える。
魔物の赤い目が、まっすぐ――絵莉を捉えた。
「待って、こっち……!」
私が一歩踏み出すより早く、魔物が腕を振り上げる。
間一髪で私たちは身をかわしたけれど、突風のような衝撃に、絵莉の手から紙袋が弾き飛ばされた。
「ケーキ……!」
箱が地面に落ち、鈍い音を立てる。
絵莉はその場に立ちすくみ、顔を真っ青にしていた。
「だ、大丈夫! 私が引きつけるから――」
声を張り上げても、魔物の視線は外れない。
再び振り上げられる、巨大な腕。
「……っ!」
次の瞬間、青白い光が空を裂いた。
迫っていた攻撃は、見えない壁にぶつかったように弾かれ、火花を散らす。
「大丈夫ですか――!?」
聞き慣れた声。
駆け寄ってきたその姿を見た瞬間、絵莉の瞳に涙が滲んだ。
「リュカくん……!」
彼は私たちの前に立ち、杖を構えたまま真剣な眼差しで魔物を睨んでいる。
その背中が、今はやけに頼もしく見えた。
ほどなくして、空気が揺れた。
転移の気配とともに、あっくんとルカくん、そしてタヌロフが姿を現す。
「状況は?」
「あっくん……! あの魔物、急に現れて……」
短く状況を伝えると、あっくんは即座に頷いた。
「ルカ、リュカ。結界を」
「了解です!」
「僕も補強します!」
淡い光が円を描き、私たちを包み込む。外の音が遠ざかり、世界が切り離されたのがはっきりとわかった。
魔物は獣のように低く唸り、地面を蹴って飛びかかってくる。
ルカくんが前に出て剣で進路を断ち、リュカくんの魔法が横から叩きつけられる。タヌロフは隙を見逃さず、体当たりで体勢を崩した。
「今だ」
あっくんの声と同時に、強烈な一撃が放たれる。
光が弾け、魔物は悲鳴を上げて霧のように消え去った。
結界が解け、静寂が戻る。
「……最近魔物が減ったと思っていたが……まだいたのか」
「しかも、少しずつ強くなっていっていませんか?」
「生き残りの魔物が増えるんじゃなく、進化したたぬ?」
「その可能性はありますね」
ルカくんが眉根を寄せながら、考え込む。
「とりあえず、いったん家に帰りましょう」
「絵莉さん……大丈夫ですか?」
リュカくんが駆け寄り、絵莉の様子を確かめる。
「ええ、リュカくんのおかげで無事よ。でも、ケーキが……」
足元には、箱が潰れてしまったケーキがあった。
「なんでケーキを?」
「あっくんとみのりのお祝い」
「! なるほど……」
「食べられないことはないたぬ! 食べるたぬ!」
そんな一言に押されて、結局そのまま私の家へ向かうことになった。
◇
テーブルの上に広げられたケーキは、箱の中で傾いたせいで、もはや原型をほとんど留めていない。
それでも、フォークで取り分けて皿に乗せると、甘い香りだけは変わらず立ちのぼった。
「……見た目は、ちょっとあれだけど」
そう言いながら口に運ぶと、思わず笑みがこぼれる。
「美味しいね」
「うむ。甘いものは正義だ」
「お祝いに相応しいたぬ」
「形より中身、ですね」
それぞれが好き勝手に感想を言い合って、部屋の中が自然と賑やかになる。
フォークの音や、誰かの笑い声が重なって、さっきまでの緊張が少しずつ溶けていくのがわかった。
少し騒がしくて、少し慌ただしくて。
でも、同じテーブルを囲んで笑い合いながら食べるこの時間は、胸の奥をじんわりと温めてくれる。
崩れてしまったケーキでも、ちゃんとお祝いはできる。
そう思いながら、私は隣に座るあっくんへとそっと視線を向けた。
目が合うと、彼は少し照れたように、でも穏やかに微笑んだ。
その表情を見ただけで――ああ、これでよかったんだ、と思えた。




