第81話 踏み出した結果、親友のツッコミが容赦ない件
翌朝。
目が覚めた瞬間、胸の奥がふわりと浮いたような感覚に包まれた。
昨日の出来事が、夢だったのか現実だったのか――一瞬、判断がつかない。
(……キス……した、よね……?)
布団の中でごろりと寝返りを打ちながら、頬がじわじわ熱くなる。
思い出そうとすると、余計に心臓がうるさくなってしまって、慌てて顔を枕に押し付けた。
そんなとき、襖の向こうから物音がする。
起きてきた気配に、思わず身を強張らせた。
顔を洗い、着替えて、そっとリビングに出る。
そこにいたのは――やっぱり、あっくんだった。
視線が、合う。
ほんの一瞬。
それだけなのに、二人同時に固まった。
次の瞬間、熱が一気に顔に集まる。
(げ、現実だーーー!!!)
あっくんは気まずそうに咳払いをして、視線を逸らした。
私は私で、なぜか冷蔵庫の中を必要以上に覗き込んでしまう。
「……お、おはよう」
「……う、うむ。おはよう」
声がぎこちない。
距離も、いつもと同じはずなのに、やけに近く感じてしまう。
二人ともそれ以上何も言えず、黙々とそれぞれ仕事の準備を始めた。
私はバッグを確認し、あっくんは上着を整える。
なのに、無意識に動きがシンクロしてしまって、また気まずくなる。
そんな様子を、少し離れたところからじっと見ていた視線があった。
「……何か、あったんですか?」
不思議そうに首を傾げる声。
振り向けば、ルカくんとリュカくん、それにタヌロフが揃ってこちらを見ている。
「いつもより静かですね」
「顔、赤いですけど……?」
「風邪たぬ?」
「な、なんでもない!!」
思わず声が裏返る。
あっくんも同時に「問題ない」と言い切って、視線を泳がせた。
三人と一匹は顔を見合わせ、揃って首を傾げる。
――どうやら、しばらくは誤魔化しきれそうにない。
そんな予感だけを胸に抱えながら、私は靴を履いた。
◇
会社に着いても、胸の奥のそわそわは消えなかった。
朝の業務をひととおり片づけ、給湯室でお湯を沸かそうとドアを開けた、その瞬間。
「……あれ?」
先客がいた。
マグカップを手にした絵莉が、私の顔を見るなり目を細める。
「ちょっと。あんた、顔赤くない? 大丈夫?」
「え!? そ、そんなこと……」
慌てて頬に手を当てたけど、ひんやりしているはずの指先が、逆に自分の熱をはっきり教えてくるだけだった。
「……あ」
隠しきれない。
私は小さく息を吸って、覚悟を決める。
「私……昨日、踏み出したよ……!」
ぽかん、と一瞬きょとんとしたあと、絵莉の口角がゆっくり上がった。
「へぇ?」
次の瞬間、完全にニヤニヤしている。
「ちょ、ちょっとその顔やめて!」
「で? どこまでいったのよ」
「――っ」
一気に耳まで熱くなる。
「キ、キスまでしか……してないもん!」
言い切った途端、絵莉が吹き出した。
「“しか”って言うところがもうダメでしょ!」
「うぅ……」
「はいはい。で?」
楽しそうに身を乗り出してくる。
「その先いくのも時間の問題じゃないの?」
「なっ……!」
「だってさ。あんた今、顔に“幸せです”って書いてあるもん」
ケラケラと笑う絵莉につられて、私も力が抜けた。
胸の奥にあった緊張が、少しだけほどけていく。
「……うるさい」
「はいはい。でもさ」
絵莉はマグカップを持ち上げながら、少しだけ声を落とした。
「ちゃんと踏み出せたの、えらいじゃん。応援してるから」
「……ありがとう」
その言葉に、胸がじんわり温かくなる。
給湯ポットが、ちょうどいいタイミングで沸き上がった。
立ちのぼる湯気の向こうで、絵莉がにっと笑う。
「さーて。恋するみのりさん、今日もお仕事がんばりましょ」
「……はいはい」
そう答えながら、私は思わず口元を押さえた。
――昨日のことは、夢じゃなかった。
その実感が、まだ胸の奥で、静かに熱を持っていた。




