第75話 バイト仲間を守るためなら、正体バレもやむなしです
仕事を終え、夜の部屋にはそれぞれが思い思いにくつろぐ静けさが満ちていた。
私はコタツの端で家計簿を広げ、ペンを走らせながら、思わず口元を緩めていた。
(最近、みんな力の使い方にも慣れてきたし……家具も家電も、何にも壊れてない。貯金、減らなくなったな)
「何が面白いのだ?」
背後から声がして、顔を上げると、あっくんが不思議そうにこちらを覗き込んでいた。
「最近、みんな日本に馴染んできたなって思って」
「そうであろう。もう仕事も一人前だ」
確かに、あっくんたちがスーパーに戻ってきてからというもの、店は連日大盛況だ。重い荷物も率先して運び、接客も丁寧で、常連のお客さんたちの評判もいい。
――そのときだった。
テレビから、聞き慣れた緊急音が流れる。
〈臨時ニュースです。〇〇区付近で、また正体不明の生物が目撃され――〉
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
「……私の方が、日本に馴染めてないのかも」
魔物がいる日常には、どうしても慣れきれない。
「急行するぞ」
短く告げたあっくんの声に、全員がうなずいた。
◇
現場に到着し、いつものように手早く配置につく。
あっくんが結界を展開し、淡い光が周囲を包み込んだ――はずだった。
「な、なに!? なにこれ……!」
結界の内側から、震えた声が響く。
「……え?」
そこにいたのは、見覚えのある女性だった。
眼鏡をかけ、柔らかな巻き毛を低い位置でひとつにまとめた、スーパーの同僚。
「真帆さん!」
ルカくんが、はっと息を呑む。
彼女の名前は相川真帆。
新人指導も丁寧で、特にルカくんのことをよく気にかけてくれていた人だ。
「ル、ルカくん? ここ、なにが起きて――」
そのとき、街灯の光が届きにくい路地の奥で、重たい気配が動いた。
アスファルトを引っかく硬い爪音とともに、闇の中から姿を現したのは――大きなトカゲのような魔獣だった。
全長は三メートル近く。
鱗に覆われた体は鈍い緑色で、ところどころが黒ずんでひび割れている。
太い尾が地面を引きずるたび、砂利がじゃりっと音を立てた。
爬虫類特有の横長の瞳が、ぎらりと光る。
その視線は冷たく、感情というものを感じさせない。
裂けた口の奥からは、鋭い牙が何本も覗き、低く湿った呼吸音が漏れていた。
魔獣は一度、首を左右に振り、周囲を値踏みするように見回す。
そして――ぴたりと動きを止めた。
次の瞬間、前脚に力を溜め、地面を蹴る。
巨体とは思えないほどの速度で、一直線に跳びかかってきた。
狙いは明白だった。
結界の内側に取り残された、一般人――真帆さんのいる方向。
「……っ、来る!」
鋭い爪が夜気を切り裂いた。
トカゲの魔獣は大きく身を捻り、太い前脚を叩きつけるように振るう。
「危ない!」
ルカくんが駆け出し、彼女の前に立ちはだかる。
次の瞬間、衝撃とともに、ルカくんが弾き飛ばされた。
「ルカくん!」
リュカくんの魔法が即座に放たれ、魔物の動きを牽制する。
タヌロフは転がるようにルカくんの元へ駆け寄り、小さな手で必死に応急処置を始めた。
「大丈夫たぬ! 血、止めるたぬ!」
「……平気、です……」
歯を食いしばるルカくんの前で、あっくんが静かに剣を構える。
「――終わりだ」
一閃。
魔獣は抵抗する間もなく消滅し、結界の中に再び静寂が戻った。
呆然と立ち尽くす真帆さんに、私たちは事情を話すしかなかった。
異世界のこと。魔物のこと。彼らの正体のこと。
真帆さんは目を丸くしたまま、しばらく黙り込み――やがて、ぽつりと呟いた。
「……確かに。あんな重い荷物、普通の人が軽々運べるわけないですよね」
眼鏡の奥で、彼女はゆっくりと瞬きをした。
スーパーのバックヤードでの光景が、ひとつひとつ思い返されているのが分かる。
特売日の山のような飲料ケースや、本来は台車必須の米袋をひとりでひょいと担ぎ上げていた背中。
誰よりも長時間動き回っていたのに、息ひとつ乱さなかった姿。
「台車使ってくださいって言っても、『大丈夫ですよ』って笑ってて……」
彼女は小さく息を吐き、苦笑した。
「今思えば……あれ、全部“普通じゃなかった”んですね」
視線が、包帯を巻かれたルカくんへと向けられる。
それでもどこか申し訳なさそうに微笑む彼の様子を見て、彼女は静かにうなずいた。
「……納得せざるを得ません。あんな人たちが、ただのバイトなわけないですよね」
夜風が通り抜ける中、彼女の声にはもう疑いはなかった。
結界を解き、駅まで見送る。
「今日は……助けてくれて、ありがとうございました」
深く頭を下げる真帆さんに、ルカくんは少し照れたように笑った。
「こちらこそ……ご迷惑をおかけしました」
背中が人混みに消えていくのを見届けてから、私は小さく息を吐く。
――また一人、こちら側の世界を知ってしまった人が増えた。
それが、吉と出るか凶と出るかは、まだ誰にもわからない。




