第74話 仕事帰りに魔獣出現!? 親友が救われて、推しが決まりました
給湯室には、昼休みの余韻がまだほんのりと漂っていた。
みのりがドリップバッグを開けてカップにセットすると、ふわりと珈琲の香りが立ちのぼる。
「ねえ、聞いた? 駅前に新しくできたパスタ屋」
隣でマグカップを手にした絵莉が、楽しそうに声を潜めた。
「え、知らない。どんなの?」
「生パスタが売りらしいのよ。もちもちで、ソースも本格的なんだって」
「それは……美味しそう」
二人で顔を見合わせ、自然と笑みがこぼれる。
「今日、仕事終わりに行ってみない?」
「うん、行こう!」
◇
仕事終わり、駅近くの通りに新しく灯った看板が目に入った。
店の名前は――「もっちりパスタ工房 ノッテ」
ガラス張りの店内からは、暖色の照明と賑やかな話し声が漏れている。
中に入ると、木目調のテーブルとオープンキッチン。湯気とにんにくの香りが食欲を刺激した。
「私はカルボナーラにする」
「じゃあ私はトマトとバジルのやつ」
運ばれてきたパスタは、つやつやと光り、見るからに美味しそうだった。
一口食べた瞬間、みのりは思わず目を見開く。
「……美味しいっ!」
「でしょ!」
「ずっと節約ばかりだったから、外食久しぶり」
フォークをくるくる回しながら、みのりはふっと息をつく。
その瞬間、頭に浮かんだのは、あっくんたちの顔だった。
(これ、みんなにも食べさせてあげたいな……)
――お給料入ったら、みんな連れてきてあげよう。
みのりは密かに決意する。
食事を終え、店の外に出ると、駅前が妙にざわついていた。
人だかりの中心――そこにいたのは、大きな鼠のような異形の魔獣だった。
「……ちょ、ちょっと」
絵莉が息を呑む。
「こ、これ……もしかして、あんたが言ってた魔物ってやつ?」
「そうだね。でも、どうしよう……捕獲器、持ってきてない……!」
そのとき、空気が一瞬、張りつめた。
「みのりさん!」
駆け寄ってきたのは、ルカくんとリュカくんだった。
「魔力の乱れを感じました」
リュカくんが即座に結界を展開する。
淡い光が周囲を包み込んだかと思うと、次の瞬間、景色がふっと歪んだ。
外から見れば、そこにはただ人だかりがあるだけ――中で何が起きているかは、誰の目にも映らない。
「行くよ!」
ルカくんが魔獣へ斬り込む。
驚いた魔獣は甲高い声を上げ、勢いよく――絵莉のほうへ突進した。
「きゃっ!」
次の瞬間、リュカくんが絵莉を抱き寄せ、間一髪でかわす。
「大丈夫……ですか?」
「は、はい……」
魔獣が体勢を立て直そうとした瞬間、リュカくんが一歩前に出た。
指先から淡い光が走り、地面に魔法陣が描かれる。
「足止めします!」
光の鎖のような魔力が地面から伸び、魔獣の脚に絡みついた。
動きを奪われた魔獣が苛立たしげに暴れるが、その隙は十分すぎるほどだった。
「ありがとう、リュカ!」
ルカくんが息を吸い込み、魔力を一気に高める。
手元に集まった光は鋭い刃の形を取り、夜気を震わせた。
「これで――終わりです!」
放たれた魔力の刃が一直線に空を裂き、魔獣の胴を正確に貫く。
断末魔の声を上げる間もなく、魔獣はその場に崩れ落ち、やがて淡い光となって霧散した。
結界の中に、静けさが戻る。
「……終わりました」
肩で息をしながら、リュカくんはほっと息をつく。
絵莉は、しばらく彼の顔を見つめて――
「みのり……決まったわ」
「え?」
「リュカくん推しでいく」
「はいぃ!?」
そのやり取りの裏で、リュカくんはふいに肩をすくめた。
理由のわからない悪寒が、背筋をなぞった気がしたからだ。
――なぜか、誰かに見られているような、そんな感覚を残して。
◇
「魔法ってすごいのね。あんなことが起きてたのに、周りにいた人には何も見えてなかったみたい」
駅へ向かう夜道で、絵莉が感心したように言う。
「結界の中では、外の人には“日常”しか見えないようにしています。騒ぎにならないよう……こちらの世界に、できるだけ影響を残さないための魔法です」
少し照れたように、でも誠実に答えるリュカくんに、絵莉は目を丸くした。
「へえ……そんな気遣いまでしてるんだ」
「リュカくん、今日は絵莉のこと助けてくれてありがとう」
みのりが頭を下げると、リュカくんは慌てて首を振る。
「いえ……むしろ、みのりさんのお友達まで危ない目に遭わせてしまって、申し訳ないです……」
「全然! むしろ、王子様に助けてもらえてラッキーって感じ」
絵莉はにこっと笑って、軽く手を振った。
「今日は本当にありがとう。……もっとお話したかったけど、もうホーム着いちゃった。それじゃ、みんなまたね!」
改札の向こうへ消えていく絵莉の背中を見送りながら、みのりは小さく息をつく。
「……大丈夫だった?」
「はい。少し驚きましたが……」
そう答えたリュカくんに、みのりはほっと胸をなで下ろす。
「……そういえば、あっくんは?」
辺りを見回してから、みのりが首を傾げると、ルカくんが苦笑いを浮かべた。
「今日はスーパーで、常連のおば様方に捕まってしまいまして……。試食を勧められたり、身の上話を聞かされたりして、なかなか解放してもらえなかったようです」
「それは……想像できるね」
みのりは思わず遠い目になる。
「連絡は入れています。後処理はこちらで済ませたと伝えましたから、帰ったらきっと、申し訳なさそうな顔をしますよ」
そう言って肩をすくめるルカくんに、みのりは小さく笑った。
「無事に終わったし、それで十分だよ」
夜風が頬を撫で、駅前の喧騒が少しずつ遠ざかっていく。
今日もまた、日常の隙間に魔物が紛れ込み、そして何事もなかったかのように夜は更けていく。
――ただひとつ、誰にも気づかれない場所で。
新しい想いと、次なる予感が、静かに芽吹き始めていた。




