エピローグ
結婚式から数年後。
アパートのリビングは、以前にも増して賑やかな、けれどどこか柔らかな陽だまりのような空気に包まれていた。
「……ふふ、やっぱりみのりちゃん似かな?」
真帆さんが、ベビーベッドを覗き込んで優しく微笑む。
「でも、眉間のあたりとか、ふとした時の目力の強さはあっくんにも似てるわね」
絵莉が、少し離れた椅子から弾むような声で応じた。
「いーーーや、このおでこの感じは、ばあちゃんにそっくりたい! 大物になるばい!!」
母が、身を乗り出して我がことのように胸を張る。
「何言ってるんだ、鼻の形は完全にじいちゃん似だろ。なぁ?」
父も、普段の落ち着きはどこへやら、デレデレの目元を隠そうともせずに身を乗り出した。
「いや、皆さん。この聡明そうな瞳……僕ですね! 将来は僕が軍師として英才教育を施します!」
自信満々に宣言するルカくんに、隣のリュカくんが苦笑しながら突っ込む。
「兄さん、それはいくらなんでも無理がありますよ……」
みんなの熱い視線の先――。
そこには、みのりとあっくんの間に生まれた、新しい命が眠っていた。
透き通るような白い肌。柔らかな産毛が午後の光を弾き、握りしめられた小さな手は、時折何かを掴もうとするように空を泳ぐ。
時折「ふにゃ……」と漏れる寝息は、この場にいる全員の心を溶かす、世界で一番平和な調べだった。
「……角とか生えてなくて、本当に安心したよ」
みのりが、愛おしそうに赤ちゃんの頬を指先でなでる。
「余に似て、不敵でかっこいいな。この幼子には、余が支配したどの領土よりも広い未来を約束してやろう」
あっくんが、魔王としての威厳を湛えながらも、驚くほど慈愛に満ちた手つきでみのりの肩を抱き寄せた。
そんな中、ベビーベッドの足元では、一匹の「ぬいぐるみ」……もとい、タヌロフが必死に背伸びをしていた。
「タヌロフが一番乗りたぬ! タヌロフがこの子の筆頭教育係だぬ! 悪い虫がつかないように、尻尾で追い払うだぬー!」
タヌロフが短い足をバタつかせると、赤ちゃんが奇跡的に目を覚まし、キャッキャと声を上げて笑う。
タヌロフは「笑ったたぬ! タヌロフの虜たぬ!」と感激して、そのままベッドの端で丸くなって一緒に寝る体制に入った。
ふと、みのりは幸せな喧騒の中で絵莉に向き直った。
「そういえば、絵莉のとこはいつだっけ?」
「私はあと二ヶ月ね。もう、毎日お腹の中で大暴れされて大変よ」
絵莉が、少し誇らしげに、丸みを帯びた大きなお腹をそっとさすった。
「パパになるリュカくんはあんなに大人しいのに、お腹の子は一体誰に似たのかしらね」
真帆さんがクスクスと笑いながら言い、みのりが即座にツッコミを入れる。
「そんなの、絶対絵莉でしょ! 会社でもバリバリ仕事こなしてるし、そのエネルギーが遺伝したんだよ」
「ちょっとみのり! ……ま、否定はできないけどね」
絵莉がいたずらっぽく笑う。
その表情は頼もしい同僚としての顔と、優しい母親の顔が混ざり合っていた。
「真帆さんは来年、結婚式だよね?」
「ええ。ようやくね……ルカくんも落ち着いたから、ゆっくり準備しようって」
真帆が少し照れくさそうに髪を耳にかけた。
その薬指には、彼女の誠実さを象徴するような、控えめながらもしっかりとした輝きが宿っていた。
◇
夕暮れ時。来客たちが帰り、部屋にはいつもの「家族」だけが残った。
あの日、結婚式を襲ったリヴァイアサン級の海蛇――
あれ以来、この世界に魔物が現れることは一度もなかった。
まるで、魔王と勇者が手を取り合ったあの瞬間に、二つの世界を繋いでいた歪みそのものが、静かに閉じられたかのように。
「あっくん……幸せだね」
「ふん。当然だ。余が望み、守り抜いて、手に入れた世界だからな」
あっくんは、眠る我が子の小さな手を、自分の大きな掌でそっと包み込む。
その仕草は、かつて世界を恐怖で震わせた魔王のものとは思えないほど、優しかった。
魔王として君臨した過去も。
勇者と剣を交えた痛みも。
すべては、この小さな手の温もりへ辿り着くための、長い旅路だったのかもしれない。
「明日も、明後日も……ずっと、こうして隣にいようね」
「もちろんだ。余は、もう二度と、この手を離さぬ」
異世界から来た王と、現代を生きる王妃。
そして、その血を継ぎ、新しい時代を紡いでいく、小さな鼓動。
アパートの窓からは、今夜も変わらず、賑やかで温かな灯りが溢れていた。
それは、どんな魔法よりも強く、どんな伝説よりも確かな――
愛という名の日常の光だった。
Fin
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
実は、私にとってこの作品が人生で初めて執筆した物語でした。
右も左もわからぬまま書き始めた物語でしたが、キャラクターたちが勝手に動き出し、騒ぎ出すような感覚に驚きながら、夢中で筆を進めてきました。
初めての挑戦で、時には迷うこともありましたが、こうして無事に結末まで書き切ることができて、今は何よりもホッとしていますし、最高の達成感を感じています。
この物語が、読んでくださった皆様の心に、少しでも温かな灯りをともすことができたなら、これ以上の幸せはありません。
彼らの騒がしくも愛おしい日常に、最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
白月つむぎ




